2019年12月31日火曜日

終わりの日

令和元年最終日。
日本人にとっては節目の一年。
振り返るようにメディアがまとめてくる。
幸せだった出来事もそうでない出来事も、明日には一括りの過去形になっているだろう。

そうやって気持ちを入れ換えるにはちょうど良い。
なにも変わらない毎日でも、せめて新年を迎えるという事で変化を味わいたいものだ。

今日も仕事。
明日も仕事。
日常の流れは変わらずとも、時間軸は新たな時代にまた突入するのだ。

今年最後の日。
どうぞ良い一日でありますように。

2019年12月30日月曜日

Unknown

そういえば昔使っていたメールソフトで、キャラを設定していない場合にメールを届けてくるのは、Unknownくんだった。茶色い紙袋のひっくり返したような姿で、ちょっと異様なキャラだった。

これまでメールも数えきれない程してきたが、それも昔の話。
便利であっても送る相手がいなければ無用の長物。送る相手がいても内容がなければ必要ないのである。

ブログはそういう意味では孤独であり孤独でない空間。
誰かが見るのだろうか?と思いつつ、期待もせずに好きな言葉を並べられるのだから。

そう思った朝。

2019年12月29日日曜日

奇跡の軌跡

この世の中に絶対はないと人は言う。
成し遂げられない結果を見越して布石を打つ言葉だと思う。
そして良い結果を招いたときは、日頃の行いが良かったと言う。
努力の積み重ねがあれば辿り着けなくはない事柄でも、小さな神にささやかな祈りを捧げるだろう。

思いつきのデタラメな行動でも、結果良ければすべて良し。
奇跡は突然やって来る。
その軌跡を振り返る事も出来ない。

ひと区切りになる暦の起点がもうすぐやって来る。
なにかを引きずっていても、その境界線を越えれば、新しい朝を迎えられたと感じることだろう。
なにも変わらないと知れば、どこか辛くなる生きにくさも、時計の針が頭上をまたげば、変わり行く時代の流れに期待してしまうものだ。

後少しの「今年」を流れるままに過ごそう。
軌跡が起こる瞬間のような特別な時間など望まず、せめて静かに新しい「今年」の始まりを受け入れよう。

2019年12月28日土曜日

それは知っている

幾つかの経験が自分を形成している。
失敗と挫折がその殆どである。
繰り返し痛みを味わうことで乗り越えてきた。
弱さは常に根底にある。本来の自分だろう。
失敗や挫折全てが苦しみではない。
あえて踏み込んだ本能的な性質と言えよう。
そこで成功を勝ち得るには程遠いと分かっていても、泥沼があるとしても、寄せられるのは弱さでしかない。

勝利をつかむ方程式。
幸運を引き寄せるメゾット。
そんなものは成功者の独り言だろう。

でも確実に言えるのは、自分の弱さがどこにあるか。
それは知っている。

2019年12月26日木曜日

忘却の彼方のその先にあるもの

年の瀬に駆け込むように新しい何かを見つけるとか、出逢ってしまうようなことはない。
どちらかと言えば総決算とおぼしき記憶の整理が始まる時期になってきた。
まだまとまらない感情と経験が頭の中を駆け巡る。
捉えようのない様々な思いがあるらしい。
言葉にすれば残るものも、そうでないものもあるようだ。

また会おう。
昨日よりも前の自分に。
探し物があるなら見つけにいこう。
明日への自分を助けてくれるかもしれない旅に。

2019年12月25日水曜日

メリー

今日はクリスマス。
明日は普通の日。
この違いは何だろう。
不思議。

2019年12月24日火曜日

ハートランド

イブの夜。
聖なる夜は続いている。
きっとイルミネーションの下で、来年の今日もなんて語り合っているのでしょう。
今日と言う日を過ごすために特別なサプライズを従えて、見えない未来を誓うなんて、ナンセンスでもあるけど、それが今という時間の限りある価値を高めている。

サンタクロースはいない。
トナカイも夜空に雪車を引いて飛んだりしない。

ただそんな幻想を持ち合わせて人はこの日を迎えるのだ。
プレゼントは幸せを詰め込んでおくといい。
聖なる夜だから許される浮かれ気分を解き放つ。
寒くても暖かいねと言える日になれれば良いね。

うどん屋のカツ丼

何だかなぁ。
うどん屋のカツ丼って美味いよね。
勿論うどんが美味しいお店での話だけど。
出汁が良いんだろうということしか言えないが、使ってるロース肉がそんなに高級でなくてもそこそこ美味い。

たまに肉が冷えてるカツ丼出す店がある。
揚げたてじゃないってどういうこと?ってなる。
デパートの食品街が意外にそうだったりする。
そういう店は二度といかないだけなんだけどね。

丼もので言えば、天丼や牛丼よりカツ丼が好きです。
以上。

イブ

毎度お馴染みクリスマス。
かつては子供にとって夢のあるイベントだったと思うが、今では国民行事の色も褪せて、商魂逞しい業界も、サイバーマンデーだのブラックフライデーだの、クリスマス前に色々セールしちゃうもんだから、クリスマスの有り難みが薄味に感じるのは気のせいでしょうか?

自分が子供の頃は、各家庭に煙突があって、サンタが煙突から入ってくるっていうのもありだった。但し、人ひとり通り抜けられるようなサイズではなかったのだが、まぁ、夢がある話ではあった訳です。

今では玄関からやって来るっていうのが正統派でしょうね。
いくら子供でも、窓から入ってきたら不審者だと思うでしょうから。

タワーマンションに住んでいる富裕層のサンタは大変でしょう。
オートロックだの指紋認証だのセキュリティが厳しい家も、サンタが訪ねにくい気がします。
まぁ、そもそも居ないのだが。

それでもクリスマスはやって来る。
何故かイブの方が盛り上がる気がしてならないが。

2019年12月18日水曜日

カラコンとメイク

視力低下した人には欠かせないコンタクトレンズ。
自分は使用していないが、眼鏡という鎧で覆うことによる顔の印象の変化が嫌な人等には適しているアイテムであろう。
使い捨てレンズ等もあり、きっと昔よりはお手軽なのは感じるところ。コンタクトデビューで人生観が変わる人もいるかもしれない。
眼鏡はチョイスを間違うと、眼鏡に性格的な要素が反映されかねないからだ。

コンタクトレンズでもカラーコンタクトは異質である。
元々は映画の特殊メイクとかから発展したと推測するが、今では色のバリエーションより、黒目を大きく見せるアイテムになっている。
その方が目が大きく可愛らしく見える?のであろう。

二重・大きな目・まつ毛長めで生まれて来た自分には分からない世界です。
カラコン、メイクで決めすぎるとどうもSF映画に出てくる異星人ぽく見えてしまうのは自分だけでしょうか?

ナチュラルメイクが素敵だと言いたい今日この頃でした。

丸裸♪

自分の脳内の構造が疑わしくなる時。
このところ見る夢(寝てるとき)は支離滅裂だ。
目が覚めて覚えているのは僅かだが、残った記憶は斬新なシーンばかり。

Netflixで話題の「全裸監督」という作品がメディアで度々取り上げられ、少なからずとも興味はあるが、Netflixに登録していないので見ていない。そこまでして見ようとも思わないし、言わばその程度なのだが。
今日の夢の何気無いシーンだったと思うが、BGMで流れて来たのは、意味のない「丸裸♪~~~」というフレーズ。
何度もリピートされるメロディーが夢の中の自分の頭に刷り込まれていく。
何故丸裸なのか?
そしてシチュエーションに関係なく流れて来たのは何故か?
誰に問うこともなく過ぎ去るであろう夢の出来事でした。

2019年12月17日火曜日

雨が降るように

今日は雨。
晴れていても寒さが厳しい今日この頃。
雨が降っているせいか気温が僅かに高いようだ。
薄暗くどんよりした空に溜め息をひとつつく。

雨の日が好きだという人は少ないが、そういう人は必ず好きだという理由を持ち合わせている。特別な思い出でもあるのだろう。そう思えることが羨ましくもある。

雨の思い出は幾つかあるが、どれも悲しい記憶。
だから雨を好きだと言えないままである。

雨の中で満面な笑顔を見せるのは、誰よりも幸せな人達に思える。
微かな記憶さえ手のひらを溢れていくような程生きてきた自分に、雨の良き思い出は作れるだろうか。


2019年12月16日月曜日

ソノサキにあるもの

何かを考えて、何かを掴みたくて、何かが分からないまま進む事がある。新しい事は古い記憶の上書きでしかない。より高くと望んでも、その準備が出来ていないのだから、足元に近い高さの低空飛行が現実なのだと終わりの瞬間を待たずして訪れる。

足元がぬかるんでいれば危ないが、安定しているからこそ、不用意に未知なる世界を見たくなるのかもしれない。

情報や噂を聞き付けても、そこにあるのは歪められた理想だったり、彩られた擬物であったりする。だとしてもそこに自分を投影してみて気がつくのは、闇を欲する心の隙間かもしれない。
救いがたい愚かさは、いつか自分を呑み込むだろう。
吐き出された言葉は意味のない過去の積み重ねばかり。

少し落ち着いて見渡す余裕が出来れば、昨日の自分を称えられる程になるのだろうか?
新しい朝を迎えるに相応しい自分を見つけられるだろうか。

金運アップ♪

年末押し迫り、なにかと物入りの時期になってきました。
令和元年も後半年で終わるんだなぁとしみじみ感じる程の情緒は持ち合わせていませんが、刻一刻とその時は来るのです。

今年を振り返るような書き出しですが、まだ早いので本題へ戻ります。
このところの趣味である数字選択式宝くじ。大当たりこそ逃していますが、小当たりはボチボチありまして、運気としては悪くないと思っているのです。こういうのって「当たる!!」と思わずして当たるはずもないというのが持論ですので、今は買い時なのです。
かといって、闇雲に買い続けるとか、何となく買うのでは当たりを引くことはできません。
幾つかの当たるジンクス(当たルールと名付けよう)を見つけて実行するのも楽しいのです。
売り場がここが良いとか、抽選日はいつが良いとか。

更に金運アップの定番にもちょっと頼ってみようというわけです。
今回は財布をチェンジしてみることにしました。
お札を折らない長財布で、金か黄色(黄土色)が良いという情報のみで財布を購入しました。
当たりますように。

2019年12月15日日曜日

R18に挑む訳

つい最近R15指定の作品を見た。
今の映画作品は年齢指定が細分化されていて、上映や鑑賞の際に注意が必要と言う認識である。その考えや根底にある時代背景(犯罪に影響をもたらした可能性)を否定こそしないが、言論や報道の自由といった法の下の平等は、安全安心の神話を構築するために削られていっている気がしてならない。
興味がある世代には与えず、成人には与えようというのは、結局検挙出来るかどうかの差でしかなく、無知なる者は幾つになっても変わらないとは思うのだが。理想を積み上げれば今の時代の生きにくささえ、抜け道を知るものにしてみれば関係のない緩い世界でしかないのだろう。

それにしても、日本映画であえてR指定の作品を描くのか?
AVというジャンルが一般化して、成人映画的なものは衰退していったはずなのに、興行的にも利幅が薄く、ドラマチック描こうにもシナリオが軽く見える気がしてならない。

今回見た作品で言えばこうである。
アングルもワンカメの構図が多く、安く作っているのがわかる。
見た作品は有名な役者は一人もいない。展開も急すぎて辻褄が合わず苦しいが、感情が噴き出すようなシーンでは、役者の迫真の演技が冴えていてそれなりに見ごたえがあった。でもラストシーンは意味不明な終わりだった。
きっと何度も見るような名作ではない。
故にある味わいを自分なりに見つけて楽しむ作品なのだろう。
どうも日本のこの手の作品は、貧しい、寂しい、悲しいを絡ませるのが定番過ぎてつまらない。

でもそのチープさが何となく良い気がしたのである。
何となく。



2019年12月14日土曜日

眼鏡を買う。

眼鏡は欠かせないもの。
学生時代に視力が落ちてからずっとしている。
眼鏡がなければ車も運転出来ないし、きっと生活にも支障があるだろう。
コンタクトレンズにもチャレンジしたことがあるが、お試しでしてから購入に至っていない。何となく違和感があったり、装着の手間が煩わしいと感じてしまったからだ。

眼鏡はそう買い換えるものでもないが、2、3年おきに買っている。
毎日使うものだけに、気が付けば傷んでいたりするのもある。視力の変化に合わせて度数を変えると、以前から使っている眼鏡が使えなくなるので、このところ度数は変えずにオーダーしているが、いつかはそうもいかなくなるであろうと感じている。

比較的安く購入出来る店があるので、最近はその店でお得意様になっている。技術代や材料費、様々な経費的なものからしても、売れれば利幅の大きい商品であろう眼鏡が、1本数万円以上(3~4)が当たり前の時代は買うのも躊躇ったものである。今は数千円からあるのだから、いい時代になったものだ。但し数千円の眼鏡を好んで買う事もないが。

1週間後に新しい眼鏡が出来上がる。
仕事用にはもったいないブランドフレームの眼鏡が新しい世界を見せてくれるだろう。

ノーベル賞を戴けるのなら

発明家として莫大な財を築き財団を設立。
世界的に立派な活動や研究をした人達に贈られる賞。
何だかよく分からないけど、世界を代表して誉めてくれる感じ。
受賞者は時の人となり、今で言うならインフルエンサーとかになって、通販で商品売ったら儲かりそうだなと思う。
そんなこと企まない人が貰える名誉なんだけど。

もしもノーベル賞を貰えるなら、文学賞とかぐらいかな。
他はあまり興味ない。
どうしてもと言うなら戴くけど、表彰式には出ないふりをするかな。

2019年12月9日月曜日

50kmの挑戦

不要な緊張感を自ら味わうなら、車の燃料メーターが残量警告を発してから、どれだけ走れるか試すのが良い。
今時映画のワンシーンでもあるまいに、ガス欠で車が止まるなどあり得ない話だが、警告を無視して走り続ける以上、そのリスクは当然付き物だ。
自分の車では、理論上警告灯が点いてから、およそ60kmは余裕で走れる筈である。あくまで理論値であり、もっと走れるか、それとも短いかは試したことがないので分からない。

今朝買い物に行ったときは、まだ余裕があったのだが、再スタートをしてしばらくすると、警告灯が点滅し始めた。
目的地はまだ15km先だし、いつも行くスタンドに戻るには時間的に余裕がない。取り敢えずそのまま向かうことにする。
簡単な用事を済ませ、自宅に向かうまでに3ヶ所寄り道をしたいのだが、迂回ルートとなるため、30kmは走らなければならない。ガソリンスタンドがどこにあるか頭に入っているが、出来るだけいつものスタンドまで走破したい。慎重に車を走らせる事とする。
大きな国道を走れば距離は近いが信号が多く、一時停止などのリスクもある。万が一ガス欠で車が止まれば大ひんしゅくでもある。山道を走ればカーブが多く、小刻みにギアが変化することでの燃費の浪費もあるが、一定速度で走りきれば何とか距離が稼げると判断し、山道を選択する。

前後に車もなく至ってスムーズに山道を終え、市街地に出たところで究極の選択である。
このままガソリンスタンドに向かうべきか? 用事を済ませ自宅近くのスタンドで給油すべきか?
普通なら前者を選ぶべきだろう。リスクは少ない方がいい。
ただ、午前中に用事を済ませたい。後15kmは行けると判断し、寄り道コースを選択する。
1軒ごとに車を停車し用事を済ませなければならない。この次エンジンが掛からなかったらどうしよう。人知れずドキドキしながら無事に任務完了。最終的には目的のスタンドまで辿り着きました。
過去最高水準まで満タンにし、家路についたのです。

心臓に悪いのであまりしない方がいいですね。

本日はお休み

お休みの日はゆっくりすれば良いと思うのだが、日頃出来ないことややり残したことを思いだし、結構忙しく過ごしてしまうのが常である。性分というか、年々そういう風に自分を追い詰めていっている感も否めない。昔はそうでなかった気がするからである。

一旦帰宅してきたが、出掛けるまでにそんなに時間がないと決めつけている。慌てることもないのだが、落ち着かない。あれもこれもと頭によぎる予定を整理していると、途方もない量の用事が増えていくのだ。本当は今日の予定に組み込んでいなかったはずのことでさえ、まるで今日中に終わらせなければならない重要なことのように思える。

午前中の予定はほぼ決まった。
頭の中にはカーナビのような地図が浮かび上がり、到着予定時刻をアナウンスしている。
午後からの予定を空白にして、慌ただしいであろう今からの時間をきっちりこなしていこう。

迷っている暇はない。ナビが急かすように進路を誘導してくれている。頭の中で正確な情報を刻々と。終わりが近づくまで。

24時間営業ではありますが

朝早起きして買い物に出掛ける。
車の通りも少なく、買い物のレジ待ちもないのが魅力ですが、今日は店が棚卸しか何かで一時閉店状態だった。
前もって知っていれば来なかっただろうに、冬空の下は寒さが一層増すばかりの無力感。今日1日の予定がこれで狂ってしまった。

朝早起きした分時間に余裕はあるのだが、午前中の予定が詰まってしまった。分刻みのハードスケジュールに変更である。そもそも個人的な予定なので予定変更を緩くすれば良いだけなのだが、後回しにしたくない一心で、この後過ごすことでしょう。

仕方がないので、最寄りのコンビニでホットコーヒーを買ってみた。
キリマンジャロブレンド新発売である。
とりあえずは薄い。香りもコクもである。
温かい飲み物にありつけただけが心を満たす。
車の列が流れて、信号の度に長い帯のように連なっている。
暗かったはずの景色も、朝の顔に変化して見える。

一旦戻ろう。
予定の細かな組み立ては帰宅後にすることにした。

2019年12月8日日曜日

座敷わらしに出会ったなら

日本には妖怪が居るという言い伝えがある。
さらに幽霊や怨霊、奇々怪々な伝承があるがどれも架空の存在であり、科学的根拠のない想像の賜物とされている。
但しそれらは信心深い人達によって語り継がれ、どこかに居るのではという潜在意識と結び付いている。物がなくなったり、突然見つかったりすれば神隠しだと思い、夢か現実か分からない現象を霊的なものと結びつけることで、納得しようとする。

それらを見えてしまう人は霊感が強いと言い、良い悪いを識別しては御祓をしたり、供養したり、時には対話もするようだが、私にそんな特殊能力が有るわけもなく、特段そういう世界を信じているわけでもない。

そんな中今朝早く不思議なことがあった。
まだ夜も明けていない時間帯。真っ暗なな部屋でスマホの画面が煌々と光っている。画面に写し出されているのはシューティングゲームのような画面。朝起きれないと言っている家族がこんな時間にゲームをしているようだった。注意すべく足元から近づき布団を剥がすと、うつむせだったはずが仰向けで寝ている。「スマホを出せ!」と言うと眠そうに「向こうの部屋」と言う。確かに言われた場所にあった。
あの眩しいほどの明かりは消え失せ、それぞれが眠りにつくしかなかった。

明けて出た結論は「座敷わらしが居たんじゃない?」である。

プラスに捉えて解決となった。

間違いなく見えたのである。
ただ事実と現実が相違していなかったのである。
座敷わらしかどうかは別として、不穏な空気が一掃出来たのは、いにしえの伝承が救いとなったようである。

そして座敷わらしが居る家は栄えると言う言い伝えに、年末の微かな期待が加わることになった。
結果は未定だが、良い方向に進めば良いと思う。


2019年12月5日木曜日

ナーブ

今日も映画の話です。
「ナーブ ~世界一危険なゲーム~」
短めの映画でした。だからでしょうか、導入部とラストの展開があっさりしすぎてる感じの映画でした。
大学進学を控えた高校3年生のヴィーは、親友とのトラブルをきっかけに、裏オンラインゲーム「ナーブ」に挑戦する。視聴者と挑戦者で成り立つ過激なゲームをクリアすると、賞金が振り込まれるシステムだ。度胸試しのつもりで一度だけのつもりで始めたゲームに、次第に取り込まれていくヴィー。最初の挑戦で偶然知り合った男とゲームを進めるのだが、より過激な挑戦と目に見えない狂喜の世界に巻き込まれていくのだった。最後はどうなるのかは映画を見てください。

SFやホラーのような要素はなく、現実社会にもしかしたらあるかもしれないと思わせる設定ですが、肝心の首謀者が誰かなどの伏線は全く出てきません。それが良かったりするのかもですが。

たまにはこういう映画もありかなという作品でした。

2019年12月4日水曜日

インフルエンザ

流行ってますね、インフルエンザ。
もうそんな時期なのかと、季節の風物詩のように感じます。
お陰さまでインフルエンザ流行とは縁がない健康体。
それ以外にはあちこちガタが来てはいますが、ウイルスに対しては結構耐性があるようです。

目に見えない敵と戦うには予防しかないのですが、潔癖症ぐらいの人じゃないとそういう行動をしない気がします。
但し、マスクは流行しているインフルエンザを追従する流行のようにしている人が多い気がします。おしゃれアイテムみたいな感じでしょうか?マスク美人が増える時期でもありますね。


2019年12月3日火曜日

ハッピーバースデー

おめでとう自分。
ありがとう自分以外のすべて。
ありのまま、あるがままでいられる今が最高です。


2019年12月2日月曜日

まだまだだな

LOTO6抽選日。
結果は5等1本当選。
かなり良い感じで予想したつもりだったけど、少し宛が外れてしまったみたい。
もう少し予想を絞っていけるかな?
でも全く当たらないよりはましかな。

さぁ、頑張ろう!

12月だった

ブラックフライデー。
サイバーマンデー。
まだ聞きなれないセールが立て続きに開催されているうちに、12月だった。
クリスマス。
大晦日。
そして新年。
2020年。
オリンピック。
なんか景気のいい話が勝手に流れてるようでもある。

激動の一年もあと僅か。
やり残した事も多いし、出来なかった事もあるだろう。
来年に持ち越すことが多い一年の気がするけれど、ゆっくりで良いから前に進んでいこう。


昨日は焼肉

急遽昨晩焼肉を食べに行きました。
こういう時って写真を撮ってアップするのがSNSぽくって良いのだろうけど、そういうのしません。
私の誕生日祝いという名目ですが、払いも自分です。
初めて行くお店でしたが、まぁ普通。
口が肥えているので(自称)評価は厳しめですが、特別旨いとまではいきません。
ただお祝いの席を過ごせた事がご馳走だったと言えるのでしょう。

明日誕生日です。
生きてるだけで幸せだと言えるように、日々を感謝しなくてはと思います。

世界平和を考える

スネークマンショーをご存じだろうか?
日本を代表するアーティスト集団によるユニットで、ラジオ番組として活動してきたらしい。かなり昔のことだが、詳しくはWikipediaで検索して欲しい。
そのスネークマンショーが出したアルバムがある。音楽とコントが融合した珍しい作品なのだが、大人の遊び心というジャンルがそこにはある。
まず、現在の地上波では放送出来ない下ネタが組み込まれており、一流の音楽家や俳優などが、これ程ふざけてしまってることがおどろきなのである。
ましてや音だけの世界。
人の聴覚から得られる情報を脳内の映像に反映させる手法は、今でも斬新にして先進的でもある。

彼らユニットのアルバムの中に「死ぬのは嫌だ 怖い 戦争反対」がある。
時代は反戦ブームだった影響もあるのだろう。
しかしそれさえもブラックジョークテイストの仕上がりである。
初めて聞いたときは面白さが優先だったが、改めて聞き直すと少し考えが変わった。戦争未経験の世代に戦争の本質をかなり急な角度ではあるが訴えていると感じる。
故にこういった風刺は必要な表現なのであろうと思う。

LOVE AND PEACE


2019年11月30日土曜日

まるで春のような陽気

夜は冷え込みが激しいというのに、今は春のような暖かさ。
なにか生き物が間違って活動しそうな気さえしてならない。
久しぶりに今日はよく寝た。いつものように朝方起きてから再び眠りに付くと、お昼のニュースが流れる時間だった。
覚えてはいないが、いつものように変な夢を見て、ややうなされ気味に目が覚めた。このところ見る夢は得たいの知れないストーリーばかり。自分の脳に眠っている記憶の断片だとしても、意味不明過ぎるのである。

前回の宝くじ購入そびれで逃した当たりを悔やみながらも、次の大当たりが近いと信じて早速購入しました。
運気が高いと思い込んで予想作業に時間を費やし、3等以上を目標にしています。果たして来週の抽選日どうなるか?楽しみです。
懐が暖まれば良いのですが。

2019年11月29日金曜日

泣けるからいいや

最近はどうも感情移入出来る映画やドラマが好みである。
僅かな時間の中で登場人物の内面を感じとり、自分が変化していく瞬間を楽しんでいる。
こうなったら、この流れになったら、そう分かっていてもグッと来る感じが自分の弱いところとリンクする。
周りに誰もいなければ、その感情が爆発する。
一瞬だが紛れもなく号泣している。

まだまだ人として未熟なのだと納得するのだ。

買っとけばよかった

宝くじ再開して4週目。
数字選択式宝くじなので自分の予想がすべてなのだが、前回の予想分を見送って買わずにいたのだが、今朝当選見たら3等が当たっていた。何度見ても当たってるのである。
かなりの当選金が見送られたわけで、ショックでしかなかった。
今日買った分はもちろん玉砕でした。しかし今は波が来ている予感しかない。
つまりもうすぐ大当たりを引くのだ。
夢を見たいなら買うしかない。

教訓を味わった1日でした。

2019年11月26日火曜日

ラザロ・エフェクト

医療系ホラーというジャンルでしょうかね。映画です。
大学の研究所で死んだ動物を生き返らせる新薬の開発をするグループ。薬を投与し電気ショックで蘇生させるのだが、ついに犬の蘇生に成功する。ただその直後「重大な違反」があったとして、研究室の使用禁止と研究データの没収が告げられる。大手製薬メーカーによる買収がその理由だったが、製薬メーカーの思惑に反発するグループは、研究データを再収集し公表すべくラボに侵入し、犬の蘇生をするのである。しかしその際リーダーの恋人が電気ショックの高電圧で被災し心配停止となる。いつもは実験の際外していた金属製の指輪が原因だった。恋人を生き返らせるために蘇生薬を投入し電気ショックを与えると彼女は生き返るのだが・・・。

ここからの展開がホラーとして展開するのだが、思いの外普通。
驚異的な能力などの説明や理屈も微妙に描かれており、ラストシーンもホラーらしいとは言えるが小粒な恐怖でした。
なにかが少しずつ足りない感じの映画でした。残念。

ロストボディ

スペインのサスペンスホラー映画です。
ホラーというよりほぼサスペンス要素の強い映画でしたね。
遺体安置所の夜警がなにかに怯えて逃亡し、森を抜けたところで車に轢かれ意識不明の重体になったところから物語は始まります。事故を受け遺体安置所に駆け付けると一体の遺体が忽然と消えている。製薬会社を始め幾つかの会社の代表を勤める社長だった女性。急性心不全により死亡し、この安置所に運ばれたのだが検死は終わっておらず、その不可解さから、若き元大学教授だった夫が容疑者として呼ばれるのだが・・・。実は夫は妻を自社の開発した毒薬で殺害しているのだが、計画は完璧なはずだった。安置所で起こる奇妙な出来事が夫を少しずつ追い込んでいく。死んだはずの妻が生きているのではないか?
殺害計画を実は知っていて逆手にとられているのではないか?様々な憶測が交錯する中、意外な真実がラスト10分に一気に伏線を巻き込んで結実する。見応えがある映画でした。

遺体が消えた事から起こる「妄想」が散りばめられていて、疑心暗鬼な犯人を追い込んでいきます。
犯人である夫が仕組んだ殺人計画ですらも、実はもっと根深いところで用意周到に準備されていたかのようであるところも、小さなヒントが凝縮されるラストシーンの急展開が秀逸でした。
中盤までの幾つかの場面で不可解な設定から違和感を感じてしまいますが、ラストでつじつまが合うのです。なので、途中これって面白い映画なの?ってなりますが、面白いです。

スペイン映画ってもしかしたら初めてかも知れませんが良かったです。

2019年11月24日日曜日

小雨が降る

季節の変わり目を意識させるような優しい雨が降っています。
雨上がりの午後以降はグッと気温が下がることでしょう。

冬の訪れが待ち遠しい訳ではありません。
どちらかと言えば苦手な季節。寒い環境に順応出来ないのです。
きっと氷河期に最初に滅びた生命体の系統なのでしょう。
雪が降っても嬉しくなく、銀世界を満喫した記憶さえないほどです。
ただ雪道を車で走るのは好きです。スリップしそうな危険な雪道を颯爽と駆けていくのがたまらないのです。

小雨のまま雨が上がりそうな天気ですが、冷え込みそうな予感が午後からの予定を凍結させるばかり。温かいお風呂に浸かってのんびり過ごそうかな。

ちょっといいもの入れてみる

今日は車のメンテナンスの日。
最初から決めていたわけではないけれど、出掛ける用事と待ち時間があったので、エンジンオイルを替えることにした。
昔から安いオイルをこまめに替える派(自称)だったのだが、古い車を長く乗るにはグレードの高いオイルを入れる方が良いという当たり前のような情報を今更ながら目にして実行しているところ。

お店から送られてくるクーポンで少しでも安くするぐらいしかないが、これでなんとか車が長持ちすることを願っている。
幸い今のところエンジントラブルとかないので、日頃からのチェックは大事である。

本当は洗車までしたいが外はあいにくの曇り。
きっとこれから雨が降るだろうと言わんばかりのどんよりした空が広がっている。
内側だけでも綺麗になれば車も喜ぶだろう。きっと。

2019年11月23日土曜日

運気が上がる方法が知りたい

久しぶりに数字選択式宝くじを買った。
念入りにとまではいかないが過去当選の数字を予測し、2週目で末当選。投資に対して60%の回収。

とにかく当たったことが第一歩。
後は大当たりを目指すだけ!!

色んな神社とか行くべき?
お賽銭は出せないけど・・・。

更新されるのですね















公式ブログのプロフィール。
昨日ご結婚された壇蜜さんのステータスは未婚のままでした。
いつ更新されるのかが気になるところ。
文字が書き換えられるだけなのですが、意外に放置されそうです。
過去のブログに「オオザッパーズ(株)」代表とあったものですから。

ブラックフライデーなのにね

新たなイベントが広まっていきそうな予感。
ビックセールの日である。なぜブラックフライデーなのかまでは知らないが、爆買いを狙う小売店の思惑が見え隠れする。
この日は安いと言われても、お得感やお値打ち感が見当たらないのは何故だろう。購買意欲に結び付くには何かが足らないのである。

在り来りの日常と日用品。手に届く範囲の全てで生活が賄えていることで満足してしまっているのだろう。物欲が薄い気がしてならない。
欲は向上心を刺激し、その反動で高みを目指して行ける場合もあるが、足元が緩いままだと上がるどころか深みにはまる事もある。
じっとしているように見えて少しずつ前に向かうぐらいで今はちょうどいいのである。

ネットでセール品を見たが特に購買意欲を掻き立てられずに終わった。きっと安いのだろう。そう思うに留まった。
そして何より今日はサタデーなのに・・・と思ったのでした。

ブックマークするけどお気に入りじゃない

便利だね~と思う。
気になる事柄はネットで調べられる世の中。
もっと興味のある事とかあるのだろうけど、そこに辿り着く前にご近所を散歩する程度の検索が日常である。

何度も読み返したい。利用したい。そうなればお気に入り登録すれば良いのだが、フォルダーが渋滞するのが嫌なのであまりしない。
履歴から追走することもしばしばある。ただそれも一時のこと。
先日からお気に入り登録したサイトの要らない所を削除したら10件ぐらいあった。
そこからまた10件増えるでもなく、お気に入りが減ったのである。
基本動画は見ない(映画は別)ので、そう言ったチャンネル登録はない。ユーチューバーを肥やしていないのである。
相互リンクとかスポンサー契約とか、インフルエンサー等としてどうにか稼ぎたいのであれば、もっとネットを知らなければならないだろうが、興味ないのである。

飽きが早いという前に踏み込んでいかない無精者と自己判断。
新しい扉が開かれる日が来るのかは定かでない。
せめて10件の新しいお気に入りが見つかれば、自分の感性も豊かになるかもしれないなぁと思うのであった。

上書きで週末が混雑する

国会。
国際問題。
薬物所持。
入籍。

今週は何かとラッシュでどんどん上書きされている。
興味の矛先がどこに向くかは受け手次第だが、国会(政治)がらみよりも芸能の方がやはり乗っかりやすいようである。
SNSが当たり前の時代。良い知らせも自分発信がしやすくなり、ファンの皆様へという手法でお得感が発揮される。
にわかや半端者は二の次なのである。残念。

年末が近いと総決算なる企画が増えるが、もはや春までに起きた事件・ニュースなんてものは過去の記憶なのである。
新年最初のとか、令和最初のって言ってたお祝い事も古いのである。
今ぐらいの駆け込みニュースが年末まで新しい記憶になるが、大晦日から元旦にかけて一気に塗り替えられるあの切り替え感。恐ろしいぐらい新年をお迎えしちゃってる日本人達の感情の波が、もう少しでまた押し寄せてきそうです。

その前に今日明日のワイドショーは何を出してくるか楽しみです。
国会関係は実にレベルの低いことばかりやっちゃってるので、評論家が沢山集まってお話をする的な番組とか限定でお願いしたいものです。見ないけど。

フェイシス

バイオハザードやフィフスエレメント等の主演女優ミラ・ジョボビッチ。比較的強く躍動感溢れる演技が印象的な彼女のサスペンス映画を見た。

連続殺人鬼の目撃者となってしまった彼女だったが、現場から逃げ出す際橋から転落し頭を打ち川へと転落してしまう。危うく一命は取り止めたが、頭を打ったことにより人の顔が認識できない症状を患ってしまう。犯人は目撃者である彼女に接近するも、その症状を知った上でまるで弄ぶかのような振る舞いを見せつつ、新たな殺人を重ねていくのだった。恋人や親友の顔さえも認識できない中、捜査を担当する刑事の顔だけは理解できた。不安の中で犯人探しが進んでいくのだが・・・。

全体としてはそこまで新しい展開もなく、ありがちな場面の繋ぎ合わせのような構成だった。
はっきり言ってサスペンスとしては物足りない。
当然アクションシーン等あるわけではないので、展開もスローに感じてしまう作りの映画だった。
女優ミラジョボビッチのファンだから見ておきたかったというだけの作品。もっと思いがけない犯人登場とか、心理的効果があったら良かったのにと思う。



2019年11月22日金曜日

今年一番の衝撃であります

結論から言おう。だからどうしたなのである。

先ほどネットニュースで壇蜜さんの結婚の記事を読んだ。フェイクニュースではなかろうかとも思ったが事実らしい。相手は漫画家だが存じ上げない人でした。もはやその辺の情報ですらどうでも良い気がする。個人的に尊敬に値する立ち位置のタレントさんなので、結婚報道は祝福したいと思うのだが、そういうことすら匂わさず艶っぽいことを言っていたプロの技に改めて感服なのであります。

そして応援する芸能人が恋愛や結婚したからといって、自分にどう影響するでもないのに、なんだか少し寂しくなってみるのは何故なんだと自問自答してみる。答えは「だからどうした」なのである。

家庭を築き子宝に恵まれて欲しいという気持ちと裏腹に、いつまでも今のままでいて欲しいという勝手な願望が渦巻くが、人は年を取りその姿も変わるのである。やがてひっそりと退いているかも知れない。
とにかく先の事も含めてタレントの壇蜜さんの人生であり、本人に言わせれば、「だからどうしたの?」なのである。

お幸せに。これからも応援します。

2019年11月20日水曜日

孤高になるな孤独になれ

相次ぐ薬物逮捕者が一流であることに疑念を抱く人やその反対の人もいる。あの人ならやりそうだなど知ったかぶりが鼻に付くが仕方ない。色々言うのが仕事な人達が口を閉ざせば、その人達に疑念が及びかねない。それらを楽しむ人もいるからこその加熱報道が続いている。

ある人が言う。
「唯一無二の存在にして孤高の人」
その存在が素晴らしいと評価しているのだろうが、その行く先が墜落一歩手前の崖っぷちに見る楽園だともいうのだろうか?
高みを目指して駆け抜け登り詰めた先にあるものは孤高の寂しさ。
重圧が自分を蝕んでいく現実から逃れるために薬物に手を出したとでもいうのか?振り切った感情を沈める誘惑は止めどないフラッシュバックでその身を包み込む。脱力感は制御できない自分の弱さを拡大していく。もはや重圧など無くなっても欲しがる快楽にのめり込み、秘密を暴かれ拘束されるまで終わらないループにはまっていく。その後も抜け出せない誘惑に悩まされると知りながら。

孤高になるな孤独になれ。
高見から見える世界はやがて足がすくむ恐怖の対象でしかない。
ならば孤独になり耐える強さを身に付けよ。
極めれば見える世界は限りなく広く雄大であろう。

2019年11月19日火曜日

夢だけにして欲しいものである

今朝もまたこの夢か・・・という類いの夢を見た。
これまでの人生で何度このシチュエーションにであっただろう。
その度に冷や汗をかいたような嫌な感覚で目が覚める。決して目覚めは良くない。

それは購入直後の車が盗まれるというもの。
自宅近くで。駐車場で。路上で。気が付いたら無いのである。
同じ夢の中で2台盗まれるといったこともあった。今回はバイクと車が同時に盗まれていた。
直後に目が覚めたのだが、夢だったことはその前から認識しているので動揺こそなく、ただ目覚めが悪い、そんな感じだった。

ただ今回は買ったばかりの車を数時間後買い換えてからの盗難。
それこそおかしい話なのだが、夢なのでありなのだろう。
現実的には車を盗まれたことはないが、くれぐれも夢だけにして欲しいものである。

2019年11月17日日曜日

ざわつくよね

有名女優の禁止薬物所持容疑での逮捕を受け、業界も世間もざわついている。ただ世間の反応の方が冷静でさらに言えば冷ややかだ。
驚かないと言った声が聞こえる。イメージとして「あり」なのだろう。悲しい世論である。

イメージはともかく見た目は美しいと疑う余地もなく地位を確立したが、スポンサーが全てとも言える芸能の世界において、薬物所持や性犯罪などの逮捕は致命的だ。違約金などの発生も考えれば、人生が終わるぐらいの問題でもあるが、一度味わえば抜け出せないからこそ薬物依存は怖いのである。また肉体的快楽を加速させるために使用したとすればイメージダウンは間逃れないだろう。
事実関係を知らない者の想像で語るのは気が引けるが、人の心理は実に単純である。特に欲望と欲求に溺れてしまって周囲がみえなくなっていけば、正しい事とそうでない事の境目は狭くなるのである。

逮捕の報道に、「3年後の復帰説」や「芸能しかない」と擁護のような意見やその反対意見が早くも飛び交っている。

本人が快楽のために使用する分には良いのかもしれない。ただそれを容認することは出来ない。法治国家でもあるし、薬物使用で犯罪行為に及ぶ可能性もある。影響力もあるからだ。

なにかとお騒がせといわれた女優ではあるが、今回を期に少し舵を本業なり自身の人生に向き合って欲しいものである。

2019年11月15日金曜日

コードブルーにはまる

フジテレビで放送されていた医療ドラマ。
救命センターのドクターヘリを題材に若き医師達の成長と葛藤を描いたヒューマンドラマである。
ファーストシーズンから10年経つらしい。恐れ入った。
最近偶然再放送を見てからのはまりよう。毎回の緊迫感はやばい。
再放送なので毎日1話ずつ放送される。当然仕事の都合があるので録画だが仕事終わりの楽しみとなった。

医療ドラマは作り込みが繊細で、リアリティーとクオリティが高いと思う。そうした中で人間関係や心の葛藤を織り込んでくるのだから、出来上がりの良さは中々である。
コードブルーでは中心人物が恋愛とかする訳でなく、ストイックに医療現場に向き合う流れが好感持てるポイント。
脇を固める重要人物がそれぞれの人間関係を交えて、命との向き合い方を見せているのだ。

もはやビデオでも借りて一気見したいぐらいである。
そんな暇無いけど。

2019年11月14日木曜日

今日の一言

「結果とは何をするかではなく何をしたかで決まる」

その先にある着地点に求める結果が知りたいなら、何をするかと考えるより行動する時間の積み重ねを大事にしようという意味。

2019年11月13日水曜日

振り返ると君がいた日々

いつもいつでもいつまでも。
願う言葉をかけてくれたのは君でした。
少し離れた場所から見せる表情を焼き付けて、今日という日を綴った。まるで何度も読み返した小説のように物語は積み重ねられている。

道標がその未来を引き裂くなら、その分岐にたどり着く前に全てを終わらせてしまいたいと思えるほど、駆け抜けるスピードは加速していく。無防備な優しさは誰も守れない。誰かを傷付けるほどの強さも持たず、愚かさと向き合うことで何かを掴みたい一心だった。

振り返ると君がいた日々。
やがて君の方がその先にいたことが過去との決別となった。
そして振り返るとそこに君がいないことに気付く。
忘れることが出来なかった物語の最終章もいつしかぼやけている。
忘れるのではなく思い出せなくなっただけなんだ。
それは寂しいとさえもはや感じ得ない。
過ぎ去った事にさえ気付かなくなったのだろうか。

2019年11月12日火曜日

無料に敏感

「タダほど高いものはない」
そう教わって来た記憶があります。
なぜ無料で貰えるのか。使えるのか。その裏にある陰謀に気を付けよと言ったところでしょうか?
値引きや激安と言った方がインパクトがありますが、無料はやっぱりありがたいものです。

今は無料Wi-Fiなどが身近でありがたいと思える代表格。
目に見えないものだけに、後で通信料が高額になるのは怖いですからね。良く利用しています。(今も利用中)

一昔前は携帯電話が本体無料が当たり前でしたが、それもなくなり買い換えを渋るようになりました。契約上の縛りがあったにせよ、無料は極めてありがたかったのです。
その分高い通信料を払っていたのも事実ですが。

公衆トイレは無料の代表と勝手に思っていますが、有料化になれば大変でしょうね。マナーを守って利用したいものです。

夢を買おうよ

かつては「富くじ」として庶民の生活に必要な米などが当たっていたのが発祥とされる宝くじ。今でも公益性の高さが謳われるが、これもギャンブルの一つと言えよう。
今日やっと売り場へ買いに行った。数字選択式のくじである。
どこに売り場があるかいくつか候補があるが、今日は向かう先にある2ヶ所のうちのひとつで割りと古い売り場に行った。理由は特にないが、運転コースに近いのが唯一の理由と思う。駐車場とかが近いのであればもうひとつの方が有利だが、何となくそこに向かっていた。

売り場に着くと先客がいた。
すでにくじを買う準備をしていたので、やり取りを見守る時間がもどかしい。ジャンボらしきくじ券を返却されつつ何やら説明を受けているところだった。
「当たってないんですか?」
先客のご婦人は苛立った口調で問いただそうとしているところだった。
「換金日が明日からですので、当選のご案内ができかねます」
売り場の女性が丁寧に答えていた。
「分からないんですか?」
今の説明で納得いかないのか食らい付くご婦人。
「ですので明日にならないとご案内できかねます」
売り場の女性も怪訝な顔にならざるを得ない所を堪えている。

納得いきませんと言わんばかりの空気感バリバリでご婦人が去っていった。後ろに人が待っているから仕方ないとでも言いたそうに、当たっているかもわからないくじ券をバックに突っ込みながら。
「当たっていませんように」
そう勝手に祈る自分がいた。
もしかして高額当選しているかもしれないが、このやり取りはないなと思った。

その後でくじ券を買うのは気分的には良くないが、数字は自分が選んだものなので気分は関係ないと言い聞かせて。
当たればこういうのも運気上がるのかな?

行動すべきなのでしょうか

昨日はほぼ寝ていました。堕落しているというか、体力的に撃沈していたというか、起きて行動するにはあまりにも重たいとしかいえないぐらいだったのです。
今日もまだその重さが残っています。気持ちの持ちようでしょうが、冴える感覚が皆無なのであまり何かしたいという感じではありません。
時間をこれ程贅沢に無駄に過ごせる事は幸せなのかも知れません。
数時間後には嫌でも歯車に組み込まれていく姿が想像できるからです。そうなれば忘れてしまう時間の使い方でしかないのですから。

準備を怠れば結果に跳ね返ってくる。
そういう日々が待ち受けているので、今から行動します。
迷っている余裕がないぐらいが充実した日々なのかもと、いつか気がつくのでしょう。立ち止まる事も必要ですが、歩き出すきっかけを自分で決めないと進めないぐらい道はまだ険しいようです。

2019年11月11日月曜日

新しい漢字

流行語大賞の時期ですね。と言うことは年末が近いということ。
何だかなぁ~。今年ももう終わりか?って言いたくなります。
新しい言語らしきものが生まれ持て囃される現代でも、新しい漢字が生まれないのは何故なんでしょう?
それはアルファベットが記号のような立ち位置にある文字に対し、漢字が一つ一つ独立した意味を持つ事だからでしょう。
数字と同じ意味合いのアルファベットであれば新しい言語を生み出す(スラングと言うべきがは疑問だが)のは容易い。しかし日本語において漢字を新たに作るのはもはや皆無であろう。

元々は大陸文化の古代中国から伝承されたもの。
その先を追うほどの知識もないが、文字や漢字を生み出し広めた人物は今で言う所のノーベル賞以上の功績だなって急に思っただけです。

2019年11月9日土曜日

時間には厳しめ

約束事というのは生活の全てに散りばめられていて、それを当たり前のように守りながら人は生きているものです。
取り分け時間については平等に進むもの。どんなに偉い人でも、一秒ずつ刻んでいるものです。
ただし時間を区切って管理する上では様々な約束事が発生するわけで
、それを守れないことで破綻することも当然のようにあります。
そういう経験上からか自分は時間に関しては厳しく、出発時間とか到着時間とかには間に合うように余裕をもって行動するのですが、ギリギリまで準備ができてない人とかがいると、正直イラっとしてしまいます。

無駄な時間っていうのも必要ですが、それは余裕があっての事。
余裕があるっていうのは、時間を無駄にしないとも言えるのです。
そんな事があると気持ちの余裕も無くなるし、ついつい気が散ってしまう。だからこそ計画的に行動したいのです。

朝からそんな話題でバトルが勃発。
結局言葉が悪いと謝る事にしましたが、実に無駄な時間を過ごしてしまいました。計画外の論争は時間の無駄なのですが、そういう事にならないように、時間に余裕を持って欲しいだけなのでした。

勝負するのかしないのか

勝負事というのはどうも人の闘争本能を掻き立てる要因で、その勝利の瞬間を味わうとさらに突き進もうという欲求にさいなまれる訳です。
勝負事=競争であり、それは生き抜くための知恵でもあり、時には無駄な感覚の麻痺状態を呼び起こすものでもありますね。

ギャンブルなんて勝負事の代表みたいなものですが、どこかしら負けて当たり前だけど勝ったときの興奮が忘れられないと口々に言います。その不平等なバランスにあって勝負に挑むのは、本能的な衝動なのかも知れません。

日本でもカジノ法なるものが成立し、ラスベガスやシンガポールのような合法カジノの建設と営業をするらしいとの事。税収アップ・外国人観光客の獲得が目的らしいですね。思惑がどうであれ、利権をめぐる争いや治安問題、依存症対策などの問題は結局後手に回ってしまう気がしますが、政府主導の経済政策らしいので任せることにしましょう。

それはさておき、久々に宝くじでも買おうかなと思い立ったのであります。買うのはジャンボと言われる1等で億が当たる・・・かもの運任せ系ではなく、統計・理論である程度確立が上がる数字選択式の宝くじです。
今回は久し振りなので軽く過去データを参考に直感買いすることにしました。1年半以上買ってないので、自分のデータベースもありませんからね。直近で良く出た数字をチョイスしてみました。
買うのは「ロト6」「ビンゴ5」の2種類。
まずはどちらが自分に合っているかの検証も兼ねてW買いをしてみます。
目指せ目標10万円!!
過去に中当たりはあるのですが、それ以来はすっかり当たってませんね。中当たりからの購入金額差し引きの収支はかなりプラスのままですが、当たって直ぐに物に変えてしまっているので、そういった意味ではリスタートという感じでしょう。

当たったら何がしたいとか夢を語っても空しさ倍増の可能性もあるので、まずは宝くじ売り場へ買いに行くぞ~!!
いざ勝負なのです。

2019年11月7日木曜日

太陽と北風

旅人が歩いている。そんなシチュエーションで始まる物語を思い浮かべる季節になった。夜はひんやりと肌を撫でるような冷気を感じ、陽の当たる日中は上着を羽織るのを忘れさせる暖かさだ。
昼夜逆転の生活が長ければ、どちらの時間帯も生活の中心となり得る。時間差の変化を考えながら行動することが必然になるものだ。

辺りが静まり返る程の時間帯がこの辺は早い。
華麗な装いの目映さを散りばめている世界とは、かけ離れたスピードで夜を迎えている。地上の薄暗い風景を照らす星の輝きがそれを教えてくれる。都会は星が見えないというが、見えないのではなく空を見上げる事を忘れるほどの誘惑に満ちているのだ。空気もどこか違うのは、車の排気ガスや工場の煙などではなく、多くの溜め息を飲み込んでしまう息苦しさなのかもしれない。

旅人は歩き続ける。旅人である以上留まることがない。
砂漠を抜けオアシスに辿り着いても、また次の地へ歩き出す。目的は何なのかを探すため。迷いながら。
太陽も北風も通過点の出来事。
物語の結末より先にある目標を目指して歩き続ける。

2019年11月4日月曜日

終わった

飲み会終了。
上品な料理でノンアルコールの宴は物足りなさがありますが、主役ではないので客観的に良い席だったといたしましょう。

早速家に帰って飲むとしますか。
それでは。

今日は宴 ~大人になったなぁ~

仕事関係の飲み会が今からあります。
まぁ、サラリーマンと呼ばれる働く日本人にとってはありきたりな行事なのでしょうが。
ありきたりな日本人でありながら、どうもこういう行事が苦手でありまして、出来ればご遠慮願いたいと思っているタイプであります。

そうはいっても断りきれない事情とかもある訳で、表立っては用事がなければ参加しますと言わざるを得ず、その度に大人になったなぁ~と自分に感心するのです。
お酒が嫌いなわけでも、弱くて困ってるわけでは無いのですが、家が遠いからという理由で「飲まない」事を条件に参加しています。シラフで酔っぱらいを相手するのは得意ではありませんが、自分が酔っているときに潰れかけている人がいると冷めてしまう時よりかは楽かなと言い聞かせています。

会費を支払い、小鳥の餌ほどの可愛らしい料理をいただいて、2時間その場に留まるのはなかなかの苦行ではありますが、家に辿り着いてからの1杯が美味しくいただけるよう頑張ります。

今でこそ飲みの席で飲まないようにしていますが、かつてはさんざん酔い潰れ色んな人にご迷惑をかけてきた事が思い出されます。暴れたり、暴言を吐いたりと言った見苦しい酔い方こそしていませんが、何度となく介抱された記憶があります。
その頃は飲む量も凄かったし、寝れば治るぐらいの感じだったのできっと出来たのでしょう。今はというと・・・。

せっかくの機会なので面白い話のひとつも聞ければぐらいの気持ちで行ってきます。

支離滅裂でしょうか?

読み返すことなどしないが、最近自分のブログの記事が荒れている。
平たく言えば「おちがない」のである。
何となく書き始めていてもそれなりに流れが出来ていて、それなりに結末を迎えていた筈なのに、どうも最近は迷走が止まらない。それどころか不時着したいが為に文章が長くなる傾向にある。最後にとっておきの「おちがあれば」許されるであろう長話も、空中分解してしまえば読み手が困惑するばかりだ。

元々遊び場として開設した場所なので自由に遊べば良いのだが、何かのカテゴリーに特化しているわけでもないので、日常における話題作りということがないからなのだろう。

最近の事、知人の付き合いで「落語」を見に行ったという話を聞いたのだが、「面白くなかった」というのだ。決して有名な噺家でもなければ、作品も定番の古典落語でないらしい。素人相手に下手な噺を聞かせる会だなんてさぞ苦痛だったろうと労った。
落語はその噺の「画」が見えてくる聞かせ方で上手いか下手かわかるという。
そうでなけりゃ、いい大人の独り言をひたすら聞かされる修行かと思ってしまう。

損な話をしたからだろうか。自分のブログももうちょっと上手になればなぁと思ったのです。今日のところはおちは無いままですがね。

気になるからの考察

今の時代、誰でもが有名人や人気が出る時代。
誰でもがそうなれる可能性を持ち合わせている。ただメディアの影響力は衰退したとは言えないのも事実。TVからの情報や番組は今の時代の変化を模索し続けながら新たなものを生み出し続けている。

そしてその成長の過程を見ることも出来るのがTVだったりもする。

様々なメディアが新なスターを発掘しても、その評価がたちどころに知れ渡るのはTVであり、バロメーターでもある。少なくとも私にとってはであるが。

ここでいくつかの例を挙げていきたいと思う。
個人的注目タレント(有名人)についてである。

壇蜜
「日本一きれいな隣のお姉さん」と言うキャッチフレーズでお茶の間を席巻。
取り上げられた当初は過激なグラビアと発言、妖艶なキャラというセクシー路線からスタートしたように記憶しているが、その頃から実に的確なコメント力を発揮しており、どことなく落ち着いた雰囲気と合間って独自のポジションを確立している。
タレントとしてキャラを作る(イメージを作る)事で、他者との差別化を図り人気を獲得しようとするのが定番だが、素の自分の独自性を惜しみ無く出し連ねている辺りがすばらしいのである。
生放送の番組内で無茶振りされても、比較的動揺もせずうまく立ち回り、更には乗っかって周りをざわつかせる辺りは見事である。
古風な日本人女性のような風合いと、気品高き立ち振舞い。言葉のチョイスも秀逸で非の打ち所がないといったところである。

毎日更新されるブログも欠かさずチェックしているが、いわゆるタイアップ的なものだったり、ステマの要素もない。至って素の日常とおぼしき世界観と文章構成が飽きさせないのである。
先日私の夢に出てきたときは「旅館の女将」という設定だったが、また次回作も期待したい。


田中みな実
TBS元アナウンサー。現フリーアナウンサー。タレント。女優。
局アナとしてのデビュー当時は「ぶりっ子キャラ」を全面に出し「みんなのみな実」とか言っていた記憶がしっかりある。
当時から可愛かったと評判が良かったが、個人的には興味がなかった。
先輩アナウンサーとのキャラかぶりを避けてのことなのか定かではないが、インパクトは十分だった。(その後味をしめたのかTBS女子アナぶりっ子キャラが多く排出されている)
ここ数年、フリーになる直前から急に綺麗になった気がする。
表情も表現も豊かになったからだろうか?それとも大人の余裕でも身に付けたのであろうか?フリー転向後は本業のアナウンサーとして活躍する傍ら、モデル、女優と幅を広げ高い評価を受けている。それはそれですごいことなのである。
肘ブラなどのセクシーショットでも話題であるが、適度に大人になった仕事っぷりがこれからも期待したい人物である。


田中瞳
テレビ東京入社1年目のアナウンサー。
(もやもやさまぁ~ず2 4代目アシスタント)
ネットなどでも話題になっている新人アナウンサー。
やはり上記番組の抜擢が大きいと思うが、なんせ笑顔が良い。
常に笑顔なのである。
そして新人らしからぬ度胸。番組進行を考えてなのかNGなしで突き進む。張り切った結果の素の表情。初々しい部分と、思いっきりの良さから垣間見る芯の強さも魅力である。
個人的には意外に慎重が高いところも高ポイントを差し上げたい。
いずれは大先輩である大江アナのように報道キャスターが出来るアナウンサーを目指しているとか。そこは頑張って下さいとしかいえないけど、目が離せない注目株です。


結局ネットは辞書であり、メディアは教科書なのである。
う~ん。そういうことにしておいて下さい。

2019年11月2日土曜日

昨日の夢

大好きな壇蜜さんが登場しました。
古びた旅館の女将役でした。
よく分からない展開のピンチを布団を被った姿で助けてくれました。

掛布団から聞こえる「今よ!逃げなさい」が印象的でした。
また出演お願いします。

近くで見ないで

小じわの気になるお年頃などというCMではないが、経年劣化というものは致し方ないものですね。
今日も最近趣味と化している車の洗車に勤しみました。
今日はボディーの輝きを取り戻すため、コンパウンドで磨き、コート剤で仕上げるといった作業をしました。

小傷や塗装の傷み。近くで見ると結構あります。
気にし始めると切りがないほどです。
焦って塗装を剥がしてしまう事がないように、表面仕上げのみにしました。本当に綺麗にしたいなら全塗装しかないのですから。

最近の女子は化粧を「工事」
厚化粧を「全塗装」
などと表現することもあるようですが、車種によって仕上がりが違うと感じます。
車で例えるなら往年のシボレーコルベットのような流線型が良いかな。
スーパーカーと言われる車は維持費が高そうです。

なんだか話が逸れましたが、遠くで見ると新車並みになった気がします。内装までは時間がなくて出来ませんでしたが、せめて掃除機がけぐらいはしておきたい。
この間YouTubeで見た洗車をする動画に出てきた汚い車(恐ろしく汚かった)を見て、あんな風にならないように小まめに綺麗にしようと思ったここ最近なのです。


アクションの次はサスペンスでもいかが?

このところ映画といえばアクションものを多く観てきた。
飽きたというわけではないけれど、観たい作品を一巡してしまったので、趣向を変えようというわけである。
展開が読めない程の絡み合ったストーリーは目が離せない。そういう作品があれば観てみたいと思う。
ちなみに、観た人の感想が載っているところであまりに評価が低いものは避けるようにしている。意外と信用性が高い事がこれまでの経験上理解できているからである。評価を無視して、面白かった(自分的に)作品の続編やリメイク版で何度か時間を無駄にしたことがあるからだ。

最後はこうなるだろうなってわかる作品では無いものを観たい!
2分の1の当たりくじのようである。

2019年11月1日金曜日

待ちわびるだけの物語はいらない

あれが最後だった。

再会の約束は守られるべきなのにね。
笑顔で告げた言葉が扉の向こう側に閉じ込められたまま。
あれから流れた時間はまだ先に向かって延びている。
平行線のように交わることのないラインを描きながら。
記憶の彼方に少しずつ溶け込んでいる。

佇んで動けない。
それではなにも変わらないから。
前を向いて歩いていく。
引き返してもなにも変わらないから。
空を見上げて遠くを目指す。

人生の交差点ですれ違っただけの間柄。
瞬きほどの接点が果てしない物語を紡いでいる。

あれが最後だった。
そのとき気が付かなかった事が今はわかるよ。
そして今なら言える言葉も伝える術もない。
感情の錯綜する空間の制御に時間をつぎ込んで至る。
変わりゆく風景が追憶と共に消えていく。

それが新しい道に進むということなのだろう。


2019年10月31日木曜日

おなかすいた

我が家にはウサギがいる。
ペットではあるが、世の風潮とでも言うべきか「家族」というカテゴリーで存在している。

犬や猫のように愛玩動物としての歴史が浅いというか、その性質上人になつくと言った概念があまりない(個体によって違いはあるだろうが)ようで、比較的攻撃的である。
我が家では「反抗期」と位置付けて見守っておりますが。

ついさっき頼まれましてラビットフードを注文したのですが、
「ウサギの餌お願いします~!!」
だって・・・。
家族と位置付けているのですが、まだまだウサギと人との壁は厚いようです。

首里城燃ゆる

ニュースのトップ項目ですね。
沖縄の琉球王朝時代の象徴でもある首里城。
原因はまだ定かではありませんが、重要な建物が全焼だとか・・・。

30年の歳月をかけ再建したのは今年3月だとか。
莫大な費用と人力が必要だったと推測されます。
なんと言って良いのか分かりませんが、残念であります。

形あるものいつかは滅びるとは言うものの、思いがけず一瞬で消滅するのはやるせなくなります。
人の一生よりも長くそこにあったであろうものでさえ、儚くも消え行く定めなのでしょうか。

どんなに傷付いても立ち直る人の精神力は、忘却という手段があるからに過ぎません。逆に同じ過ちをおかしてしまうのも然りです。
でも建造物や構造物などはその形を維持するためには手をかけ、存続することへの期待と希望が不可欠なのです。
失望から復興へ向かう道のりは限りなく遠いですが、沖縄に住む人達の思いが再建という一大事業を突き動かし、再度栄華を誇った琉球王朝の姿を再現されることを望むばかりです。

ハロウィンだってよ

ハロウィンってなんだ?とまでは言いませんが、いつの間にか日本の行事に組み込まれている気がする。
元々は埼玉県の川崎で地域復興のための一環としてパレードをしたことから全国に広がったとか(諸説あり)ですが、まぁ、単なるコスプレパーティーの日ですね。

普段しない格好をして街を歩いても不審がられない日なのです。
コスプレマニアにはたまらないでしょう。

みんなで盛り上がる、大騒ぎして良い日というだけで、違法行為が許される訳ではないので注意したい。
そもそもハロウィンに縁もゆかりも興味もないのだが・・・。

イベントでコスプレしているらしい方々に敬意を表したい本日です。



2019年10月30日水曜日

ホームボタンいるの論争

I-PHONEについていたホームボタン復活について語られているらしい。
スマートフォンの代名詞ともいえる機種のオリジナルデザイン。
画面の外にあるがゆえに本体サイズを大きくしているだけのもののような気がしていたが、無くなれば無くなったで復活を望む声が挙がっているという。

操作性とデザイン性の狭間で揺れている。
そんなところだろうか。

そもそもスマホを持っていない自分には縁のない話だ。
どうしてもというのなら、ある・なしバージョン2機種作れば良いのにと思ってしまった。

それ以上の機能や性能の向上が日々開発されているわけだから、ボタンひとつにかまってられないだろうけど。


こちらをおすすめします

ネット記事を読んでいるとページの最後とかに、
「この記事を読んでいる人はこの記事がおすすめです」
などと親切に教えてくれる。
いまどきのAI検索的なものだろうか。
まぁ、興味のない顔ぶれに疲弊している自分に対し、ネットの時間を終了ですよと教えてくれる時報のような存在である。

それでもニュースなどはタイムリーであるので、いくつかは読む。
ブログに関してはおすすめは皆無である。
ちょっと覗いて見ますもない。
おすすめは断るためにあるのだと言えよう。
洋服の趣味が合わない店員のセールストークなのだ。

もっと的を得た「おすすめ」があれば良いのにと思う。
1本買うとさらにもう1本付いてきますみたいな...。

2019年10月29日火曜日

曇りはちょうどいい

朝起きて空を見上げる。
日の出の時間は過ぎているのに薄暗い。
これから晴れるのか雨が降るのか。
不安定な朝の始まりだった。

唯一曇りの日は車の洗車に丁度良い。
日差しが照りつければ作業しにくい。
洗った端から乾けばムラになるし、暑い中での作業は酷である。
かといって、曇りの元では雨との戦いが待っている。
洗い終われば良いものの、作業途中での雨は最悪。
ましてやせっかく綺麗になった車が雨で汚れるのも辛いものだ。

でも曇りが丁度良い。
だから今日は洗車してみた。

専用クリーナーを使って色々試したが、かなりの強敵であった。
遠目に見ると新車だが、近くではそうはいかない。
だが今日はもう終了することにした。
晴れてきたのもある。一通りやったからでもある。
気に入らないところもあるが、飽きてしまうからである。
また今度。
残りの時間はTV録画と映画鑑賞に当てた。

雨こそ降らなかったが、やることは何かと多い。

2019年10月27日日曜日

毎日変身

毎日のようにブログを更新する人に憧れる日々。
話題は尽きない。
その日あった出来事であったり、過去の思い出。
流行についてだったり、自分の譲れない事だったり。
そういう幅広い話は興味深くならざるを得ない。

こちらも毎日覗いてみるのだが、更新が遅れると少し残念な気分になる。
「あ~、今日はまだか」
などと勝手な感情が湧いてくる。
そして改めて記事が更新されていると安心するのである。

今は2、3件だがお気に入りの訪問先をもう少し増やしたいと思っている。
そう思う反面自分のブログの更新が滞っている事も気になっていた。
何でも良いから毎日更新していく事が、何か発見に繋がるのではないか?と常々思ってはいるのだが...。

少し思い立った今だからやってみようと思う。
毎日更新。
出来れば写真付きも。
それが目標ですね。

あなたに教えたい2000のこと

今日の夢の中で観た本。
凄く良い話2000話が載っている。
いくつか読んだか秀逸な人生訓。
これが夢の中で観たとは思えないレベルだった。
つまりは自分の脳内にそんな話が詰まっているってこと。

ただ目が覚めて思い出せずにいる。
あなたに教えたい1のことも言えずにいる。

2019年10月24日木曜日

クレームの嵐

クレームを言う客は厄介だ。
それは端から見ていてそう思うことが多々ある。
その殆どは自己中心的な言い掛かりで意味不明なものである。
ネットで炎上するような土下座の強要・金品の要求を伴うクレームは、その性質上逆に叩かれてしかるべきとも言える。

しかし理不尽な対応に仕方ないと泣き寝入りするのも気が引ける。
クレームはことの本質を的確に捉えて、改善要求出来ればという場合にするには必要だと思う。

つい先日ある宅配業者の対応(ドライバー)の対応についてクレームを入れた。
詳しい内容は書かないが、度重なる業務放棄的な対応であったので、その行動が会社公認なのか?という問い合わせである。
電話対応の職員は謝罪の言葉を並べるが、こちらの意図はもっと違う方向に向いている。
しばし平行線が続いたが、会社の体質がそういう問題を黙認しているわけではないという回答を引き出した。
それと共に一つ一つのチェック機能が働いていない事に、改善していくという回答を得たのだが、果たしてどこまで真摯に捉えているかは確認のしようもない。
またこのようなことがあれば、またクレームになるだけなのだが。
自分もそんなに暇ではないのだ。
そう言いたい。

結局人間は機械ではないので、こういうことは無くならないだろう。
それは分かっているが、どうしようもなく駄目なものは駄目なのである。

「お客様の声をお寄せください」
と各企業はその窓口を開設しているが、今回の会社はメールの受付が原則となっている。
直接話し合えない(後に電話があったが)スタンスにさえ軽く憤りを感じるのである。

最終的には大人の対応をしなければならないが、私のところにクレームの種を蒔いて欲しくないと言うのが本音である。

あぁ、疲れた。

あなたの趣味は何ですか?

ここ10年の密かな悩み。
「あなたの趣味は何ですか?」
の問いである。

かつては色々な趣味が有りすぎて答えられなかったものだが、時間の余裕や、それぞれの趣味が満足いく領域まで行ってしまったからだろうか、あまりこだわってなにかに没頭することがなくなっていた。

そんな現在。
もし質問を投げ掛けられたら?
「車の掃除とプチカスタム」
と言うだろう。

小傷も多いし、基本はノーマル使用の車。
ただ通勤で使うだけだけれども、古い(汚い)車では嫌なので、少しずつではあるが、こだわった掃除をしようと思う。
誰に誉められるでも無いけれど、綺麗になっていくさまが心地よいのである。

この間はヘッドライトのくすみを専用クリーナーで落としてみた。
一気に綺麗になって気分も上がってます。
次は予定でガラスの油膜取りを徹底してやってみようと思います。
道具を3つほど買ったので次の休みが楽しみです。


自分では出来なかったもん

車屋へ電話した後、速攻で到着。
うちからは1分あれば着くのだ。
かれこれ10年の付き合いもあり多少の無理もきく。
お得意様なのだ。

持ち込みの取り付けとなるが、そこは快く引き受けてくれた。
工賃が掛かるが自分で失敗するリスクを思えば安いものである。
工事は10分程度で終了。店側からすればこんな簡単な作業はないと言った感じだろう。
道具も揃っているし、何よりプロの技術。
早くて当然である。

LEDランプを安く手に入れたが、工賃で4割増しとなってしまった。
それでも比較的安く収まったと思う。
 これは白色のフォグランプ。
黄色っぽく見えるけど普通に白です。

 これは黄色。
これはお気に入りの青です。








古い車(クラッシックカー)ではないけれど、飽きないように乗るには、お金があまり掛からないカスタムが良いですね。


2019年10月21日月曜日

自分で出来るもん

愛車?のフォグランプが切れて交換することとなった。
交換するのはハロゲンランプからあえてのLED。
規格内なので外して付けるだけ。
そして交換後はランプの色が「白」「黄色」「青」に選べると言ったおまけ付き。
ネットで部品を購入して今日届きました。

早速ネット画像で見つけた交換手順で交換開始。
バンパー裏のカバーを何とか取り外しランプを抜こうとするが抜けない。
工具が必要なのか?
狭い隙間をてを潜らせながらの作業はしばらく続いたが、配線を引きちぎりそうなので断念した。

カバーを元に戻し、近くの車屋へ電話した。
事情を説明し取り付けの予約をする。
工賃が掛かるがおまかせすることとなった。(つづく)

2019年10月18日金曜日

工事中

歯医者に行くと思うのが、
「これって工事なんじゃないか?」
ってこと。

悪いところを治療してもらったり、メンテナンスしてもらったり、
そりゃあお世話になっているんですけどね。

子供の頃は嫌いだった。
技術も施設も格段に良くなる前の話だね。
きーんという機械音。
隣から響く泣き声やら叫び声。
お化け屋敷よりよっぽど怖かった。
先生も容赦なく「我慢しなさい」って言ってたなぁ。

1年ぐらい忙しくて通えなかった歯医者に又通いだし、
今は奥歯の治療が進行中。
今日は麻酔があったので口元の感覚がおかしい。
麻酔が強いと口元が垂れて飲み物こぼれるんだよなぁ。

今でこそ時間に追われていなければ、歯医者は好きである。
口を開けたまま仮眠もできる。
ちょくちょく指示が出るので熟睡はできないが、思いの外リラックス出来るのである。

ただ、サクラダファミリアのように建設途中の工事のように、終わりがないのが歯医者でもある。

サプライズは苦手

誰かを喜ばすのにサプライズは有効だと思う。
だが自分はサプライズが苦手だ。
計画し準備し実行する。
ただそれだけなのに、余計な心配性が邪魔をする。

宅配で送ったなら、ちゃんと届いているか。
ものは壊れていないか。
何よりも喜んでもらえるかなど。
心配は尽きない。
なのでついつい、こういう物を送ったからとかお知らせしたくなる。

つい先日旧知の友に贈り物をしたのだが、やはり心配性が発動して、予告メールをしそうになった。
ただメールが長くなりすぎて自滅。送信を断念した。
これでサプライズになるとは。

予期せぬことは人を困惑させる。
それが幸せの一部であることが重要だ。
だからサプライズは難しい。

2019年10月16日水曜日

クロスする

決して忘れない。
そう誓ったあの頃の思いは、痛みが薄れてゆくようにぼやけてしまった。
ただ傷跡が残像のように瞼をかすめるのは何故だろう。
その答えを見出だせないまま、随分と時が経ってしまったようだ。
鮮明に映るのはあの瞬間。
全てを失うであろう出来事の始まりと終わり。
語り尽くせないほどの感情を押し殺してもがいていた。
選ぶべき道を間違えたというのなら、すれ違うことも出来たのに。
進むべき道を間違えたというのなら、振り返ることも出来たのにと。

柔らかい言葉で包む情は受け入れがたく流れていき、形を成すことさえ出来なかった。
それを受け止める器も脆く、儚いものだけで溢れ落ちる現実を受け止められずにいた。

時を止められる筈もなく、過ぎ去ったあの頃を時々思えば苦しい。
交わることのない筈の時間がクロスする。
今を生きることの意味と、今に繋がる過去の記憶がぶつかり合う。
結論のない言い訳を投げ掛けても、報われない記憶の重みを感じるだけ。
それがいつまで続くのか。
果てなき日々の断片が許しを求めている。

決してこの先も交わることなき人であれど、消えない記憶がある。

チュールの中毒性。

猫とかのおやつ?
チュールとかいう専用食品がやばいらしい。
そんな話を聞いた。

空の容器を延々舐める。
チュールと言うだけで鳴く。
他の食事を受け付けない。

そんなところだ。

よっぽど美味しいのだろう。

我が家に猫はいない。
試すこともない。
一安心だ。

ただ最近ウサギ用チュールが出たという。
やばい。
我が家にはうさぎがいる。
しかも食べ物の好みがうるさいタイプだ。
安い餌には食いつかない。
新鮮な餌でないとそっぽを向く。
そんなやつに与えたら・・・。

でも一度は与えてみたいと好奇心もある。
きっと人間のエゴである。
ウサギは知らない。
知らなくていいのだ。
そう言い聞かせている、自分に。

プライムまた終わるって!!!!!!!!

Amazon primeでバットマン3部作を観るのが大好き。
暇になるとどこでも見ている。
もう何十回観ただろうか。
台詞を再現できるレベルかもしれない。

だがそろそろ終了するらしい。
以前もあったが、半年ぐらいは有料だった。
レンタルでも190円ぐらいなのだが、その度に払っているとかなりの額になるのは必然的。
暫くは我慢の日々となるのであった。
いっそのこと買おうかなとも思う。
そのぐらいヘビーに観ているのだ。

他に観たい作品があっても、間で差し込んで観るぐらい中毒です。

2019年10月14日月曜日

異状なし。

大型台風上陸のニュースが連日駆け巡るなか、その影響の少ない地域にいた自分は少し乾いた強めの風を感じていた。

普段あまり連絡を取らない古い友人にメールをしてみた。
きっとかなりの影響がある地域なので、心配だったからだ。
返信は早かった。
交通機関の計画運休やお店の臨時休業で日常が麻痺しているが、取り敢えず無事だという。停電や家屋の被害等無さそうなので、過ぎ去るのを待つばかりと言ったところだろう。

自然には勝てない。
どんなに科学や人類が進化しても、地球上の森羅万象をコントロール出来ないのだ。ましてや、有り得ない変化の引き金を引いているのだから自業自得としか言えない。
地球環境問題について各国が話し合う国際会議が話題となったが、異常気象をもたらす原因を真っ向から受け止めた国がどれだけあったかは不明である。
それどころか近年高層化によって自国の発展をアピールする国が多い気がする。自然災害に強い設計が自慢なのだろうが、いつかそれらが自然の強大な力で崩壊したとき、何を思い学ぶのか?
理想郷として近代化を推し進めるがゆえに、見失った現実を思い知らされる日が来るのだろうか。

何より友人が無事でよかった。
命あっての人生。
大きな問題よりも小さな繋がりの方が自分にとって大事なようだ。

2019年10月13日日曜日

辿り着いた先に

「まだ・・・」
目的も目標も見定まっていないままだ。
ただゆるりと歩を進めている様に感じる。
思いも考えもまとまらず、空虚な頭が下を向く。
「また・・・」
呼び掛ける声は遥か彼方の幻想。
あの地に向かえど誰もいない。
時代は変わった。
それを指し示す新しい航海図がそこにある。
冒険をするには遅れてしまった。
何もかも。

まだ見たことのない異世界。
好奇心だけが掻き立てる欲望。
ただその行動が人生の最たるものを消滅させる危機を匂わす。
華やいだ幻想は足元から腐敗の蜜を吸い上げる。
少し冷静な自分は悟ったかのように息を吐く。
理由のない行動に背を向ける。

見えない楽園。
辿り着いた先のその先が見える。
それは振り出しの孤独。
それは終末の虚空。

2019年10月11日金曜日

何か凄いのが来るって?

今年最大級の台風が接近しているようです。
ニュース番組やワイドショーでは多くの時間を割いて情報提供してくれている。
まだ日本到達前での衛生写真でみると、台風が日本列島を丸々飲み込むほどの大きさに成長している。
日本が小さいのか、台風が大きいのか。
中心付近が通過する予報と自分のエリアは離れて見えるけど、今回はどこにいても少なからず影響がありそうだ。

台風時期になると売れるものがあるが、それにあまり乗っかったことがない。
備えあればというけれど、何とかなりそうとしか思わない。
なるようになるさ。
いざとなれば人の本性が見える。
それもまた一興。
台風の影響が無いことを望むばかり。

発射?

ある朝のこと。
通りなれた道を走っていた。
朝焼けが薄く昼の空へ模様替えしているようだ。
東へ向かう車の前に見える風景。
変わらない町並み。いつもと同じ佇まい。
平和な日常が静かに広がっている。

目線の先には飛行機雲。
まさに今空高く真っ直ぐに伸びている最中だ。
限りなく直線的な線を描きながら高く高く。
これが飛行機雲だと言える現在。
その何気なさは、世界のどこかで一触即発の緊張感を微塵も感じない平凡な生活を送っている当たり前を、どこかで危ういと知らせてくれているようでもある。
排他的経済水域にロケットと称されるミサイルが打ち落とされ、もしかしたらと仮定するも、何も手立てのない国際社会。
抗議する。遺憾である。マスコミ対応の言葉も馴染みの繰り返し。
その日が来たら遅いのにとさえ思う。

環境問題についての国際会議。
幼い少女の切実なる訴えが世界中を駆け巡り話題となった。
その熱量も数日で消え去っている。
このままではダメだ。大人たちは未来の子供を裏切っている。
そう訴えかけ今もどこかで闘っているのだろう。
その日が来るまでに何とかしなければと。

飛行機雲。
真っ直ぐに伸びていなければ思わなかった。
消えかけていれば気が付かなかった。
ある朝の日の頭によぎる記憶。

2019年10月10日木曜日

中掃除

大晦日までに行うのが大掃除なら、今の時期からちょっとずつするのが中掃除らしい。
日頃の掃除で出来ない、行き届かない場所を綺麗にすれば確かにきもちいい。
そんな訳で今日は通常の掃除に加えて、カーテン(大物)を洗濯している。
前回は梅雨前にして気がするが、寒い時期に出来ないので台風直前の晴れ間を利用して洗濯している。

見た目には分かりづらいけど、結構汚れているので洗濯水は真っ黒だ。
乾くまでの時間を見越して、朝イチからフル稼働。
カーテンを外して、洗って、取り付けては以外と重労働。
ただ、きれいになったカーテン越しに吹く風は、心なしか気持ちいい。

昼からは映画三昧予定です。

2019年10月9日水曜日

誰の都合やねん?

通販サイトであるものを予約しておりまして、最初の到着予定日が9月末だったのですが、予定日過ぎても届かず調べると、いつの間にか1週間延びており・・・、それを待ちわびていると、今日更に1週間延びるといった始末。
不穏に思って調べると、現在発売中で在庫16あり。
本日購入されると明日にお届けとある。
おいおい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
こっちは待ってるのに更に一週間後ってなってて、今日頼んだら明日届くってどうなん?
どうしても必要なものだったから買わないわけにいかないので、一旦キャンセルして再注文しました。
どうしても納得いかなかったら、現物届いてから最悪評価しときます。
本当に明日来るのかも怪しい。
ああ。


環境の変化

朝方の買い物でBluetoothのワイヤレスイヤホンを買ってみた。
いわゆる衝動買い。
・・・なのかな?前から欲しいと思っていたけれど、どうも買う気にならなかった。
最近短時間で、周りに音を気にせずに動画を楽しむ機会が増えてきて、大きなヘッドフォン(お気に入り)の持ち歩きに不便さをかんじていたところだったので購入。














使ってみての感想は、音質は値段相当。
外用としての機能性については合格点かな。
設定時説明書に書いてある内容と動作が違ってて不良品?と思った辺りが難点。

しばらく使ってみてまた感想書きます。

こちらはあまり出動回数延びてないです。

ストレスフリー

朝早起きして出掛ける。
理由は単純。
朝早ければ交通量が少ない。
お店も人が少なくレジ処理もスムーズ。
買い物のゴールデンタイム。

ついつい余計なものも買ってしまいそうだがそこはグッとこらえて、
気持ち良く買い物を終了する。
休みの日は家でやることが多いが、午前中にこなして、あとは映画か昼寝に当てよう。
今日はまだ始まったばかり。
よき一日の始まり。

2019年10月6日日曜日

全ては消え去ったように

ほんの少し時間を巻き戻して、
賑わう街の灯りに引き込まれてみようか。
見上げた空にはぼんやりと月の青さが映る。
星空を堪能するには眩しすぎる通りを抜けて、
知らない世界を旅してみようか。

そんな時間を引き戻すこともなく、
静かな町の街灯が転々とする見慣れた場所に、
当たり前のように消えて行く。
自分の存在意義を否定しない限られた領域。
何かに理由をこじつけて飛ぶには何か足らない。
そう、全ては消え去ったように思える。
形のない理想と現実は零れる砂のように落ちていく。

2019年10月5日土曜日

あの風が駆け抜ける

優しい季節が訪れる。
少し先を歩く君が振り返りざまに微笑んだ。
「ねえ何か言ってよ」
小さな声でそう言った。
「ん?」
戸惑う瞬間と重なる表情。
何を求めているのか考えている。
歩きながら。

立ち止まる君と距離が近づく。
見上げるようなしぐさで見つめている。
「どうした?」
聞き返す自分。
正解が分からないから疑問を投げ掛けた。
君はまた少し前を歩き出して立ち止まった。

「私のことどう思う」
背中越しの問いかけだった。
そういうことか。
愚問のようでもあり、改めて聞きたかったのだろうと感じた。
少し深呼吸をして言葉を選ぶ。

「勿論・・・」
その言葉の続きを発する前に君が振り返る。
「知ってるよ」
君の言葉が重なる。
そしてまた微笑んだ。
風が心地よい季節の出来事だった。

追いかける

毎日一件ブログ更新している人を見ると尊敬する。
何てことない話題だったりしても、毎日アップしているのだから、継続力の底力たるや凄いものと思わざるを得ない。

何か目的だったり、それが自分の収入になるのなら必要だろう。
そうでなく趣味でしかない範囲でもくもくと更新しているのなら尚更だ。

自分はただ独り言を言える場所でしかないから、時々さぼってしまうけれど。
誰かがこのブログをみたいと思っているとしたら。
誰かがどういうわけか興味を示しているのならば。

その思いを追いかけてみよう。
何となく思ってみた。

何を語るかはそのとき次第だけど。
トリッキーな話題でも良いかな?

2019年10月4日金曜日

噂は曲がる

口コミはネットにはつきものだ。
映画の評価などは結構参考にしていることがある。
見てみようかなと思ったときに、ネタバレ覚悟で読んでみる。
時々口コミ以上にダメな映画もあるけれど、コメントを寄せる人の感性が鋭ければ、なかなか予想以上にいい映画であったりする。

食べ物屋やお店。その他にも色々なコメントがネット上に溢れている。その辺は参考にしないが、コメントではなく噂に変化している場合もある。
その殆んどは根も葉もない悪口のようだ。
真相こそ知らないが、悪意に満ちた言葉がそれらを表している。
よっぽど何かあったのか?
ただ楽しんであるのか?
人の本性が渦巻いて見える。
悪意という底辺に種を撒く人が絶えない。

ここは私の遊び場だが、悪意に揺さぶられずに育てていこう。
そう思った。

2019年10月3日木曜日

アンインストール

スマホ向けゲームアプリを入れてみた。
歴史をモチーフとしたシミュレーション。
15分。
アクションバトル。
15時間。
もはや画面操作と情報量に対応できない自分は、アンインストールという手段で結末を迎えたのでした。

グラフィックの精巧さやゲームのクオリティが高いのはすごいと思うのだが、どうやら向いていないらしい。
無料ゲームもはまれば課金に向かうだろうし、はまらなかった事を良しとしよう。

代わりにネットサーフィンの幅を広げつつある。
そっちの情報は操作に戸惑わないので安心だ。
まぁ変な広告に引っ掛からないように注意だろうけど。

2019年9月30日月曜日

ジョーカー誕生

私の好きなバットマンの宿敵ジョーカー。
モチーフはピエロ。
ド派手なメイクは狂気の裏返し。
サーカスでの役回りとは真逆の残忍性が印象的だ。

バットマンシリーズは多くの監督によってリメイクされ、それぞれの世界観が評価されている。
クリストファー・ノーラン監督が描いたバットマン3部作は、バットマン誕生から終末までを見事に表現している。
その2作目「ダークナイト」はジョーカーとの死闘を描いているのだが、どちらかと言えばジョーカー側からの目線で見ることもできる不思議な作品でもある。
悪を生み出す原因は秩序と規則の統制なのだと言っている。そこからはみ出たならず者が犯罪に手を染めていくのだと。ただジョーカーは悪に染まろうとも組織化することで、悪の規律や統制を求められることを嫌い嘲笑うといった、異質な存在なのである。

その誕生秘話を描いた映画が近日公開されるという。
予告編を見たが、狂気に走る平凡な男の崩壊を物語としているので、アクションなどはあまり期待出来そうもない。
結末が見えない所は映画の出来映えとしては期待感かな。

マーゴット・ロビーのハーレイ・クイーンも映画化されるので、ビジュアル的にはそっちが楽しみですが。

どうしたらいい

誰に聞くまでもなく結果は明らかでも、何故か違う結末を予想してみる。それに意味があるとは思えなくても、無意味だと位置付けたくはないのだ。
かといって変化を望むでもなく、静かに時が過ぎることを受け入れる。到達すべき通過点が目前にあるのなら、車窓の景色のように流れが緩やかな周りをざわつかせても仕方ない。

ただこんな時あなたが思う道標はどこに向かっていたのか。
尋ねてみても答えは届かない。
それぞれの道。それぞれの生き様。それぞれの夢。
認め合えるからこそ惑わせてはいけない。

あなたが強くあるように。
あなたが強くあるために。
わたしも負けずに歩き始める。
そう決めたから。

2019年9月28日土曜日

今夜舞い降りる

ヒース・レジャー演じるジョーカー。
バットマン生誕80周年記念で、TV放送されるそうな。
クリストファー・ノーラン監督が描くバットマン3部作。
その第2弾であるダークナイト。
見応え満点の映画である。

悲しいのはTV放送では、CMの時間があり、放送時間の関係で編集されてしまうということ。あとは吹き替えであるということ。
字幕でいいので、役者の息づかいを感じたいものだ。

これまでバットマン3部作を30回以上観賞している自分にとっては、バットマンの知名度向上が嬉しいというだけである。
是非オリジナルで楽しんでもらいたいものであるが。

どうだろう。
狂気のその先を感じられるだろうか?

終わりを告げる時に見る始まり

終わりを感じるには時間が必要だ。
それが目標とゴールの関係なら、瞬間を噛み締めればいい。
自分の中で流れる時間とそれ以外の時間は、そもそも他次元のもの。
共有していられる僅かな時間が全てである。
余韻に浸る幻想もそろそろ燃え尽きて消えてしまいそうだ。
それが寂しいというのではなく、昇華していっている証だと言えよう。

想像以上に自分の中に存在していた。
遠くに在りて近くに感じる。
その事が今は微かな記憶に変わろうとしている。
終わりの先に新たな出会いがあるとしても、それを望まない自分がいる。
始まりは終わりの。終わりは始まりの輪廻。
立ちすくみその場で見上げる夜空が、過去の記憶を塗り替えていく。

2019年9月23日月曜日

優しくない易しくない

長年縁がないものだと思ってた。
興味も関心もない。ましてや必要ないと思っていた。
変わりゆくもの自然なままでいいと。

事態が緩やかに変化を告げて、もはや危険信号レベルを発している。
少し気持ちを切り替えてみるべき時が来たようだ。

増えてしまった不摂生の塊がまとわりついて離れない。
数字にすれば驚きの結果を目の当たりにしそうだ。
ダイエット。してみようか。
缶コーヒーをお茶に。
ジュースを野菜ジュースに。
昼食を栄養補助食品のブロックに。
まずはそこから。

運動もしないといけないだろうが、考え中。
痩せるというより引き締めたい今日この頃であった。

2019年9月22日日曜日

タピオカと台風接近

ブームにのって色々メディアで紹介されているタピオカ。
実は第3次ブームだそうで、ちょっとずつ進化をしているそうな。
まぁ、このブームはインスタ映えがもたらした副産物。
違う「映える」モノが出てきたらブームも終息の予感しかしない。

ちなみにタピオカ飲んだことありません。
想像の範囲で味の予想ができてしまうことと、インスタやってないのもあるかな。
何でも進化型タピオカは原材料が違うものもあるらしい。
もはやタピオカではない気がするのですが。

大型台風と共に過ぎ去る流行に幸あれ。

2019年9月14日土曜日

乗り切っていこう

先手必勝で病院へ。
薬など処方してもらって取り敢えず一安心。
今は痛みが引いている。
仕事はそうそう休めないので、なんとか乗りきらなければ!

あとは少しダイエットが必要かな?
加齢と共に体重増加が加速中。
危険なゾーンに入っている。
自分との戦い。
色々考えます。

2019年9月13日金曜日

時限装置発動

気を抜いていた訳ではない。
これって思いがけずやってきてその後の恐怖を引きずるもの。

腰痛持ちの宿命。
かれこれ20年の付き合いになる。
今日は正座の状態から立ち上がろうとした瞬間に訪れた。
「ピキッ」と音がする。
一瞬気が抜ける痛みが走る。
ここからが大事だ。症状悪化を防ぐために姿勢を整える。
痛み止を探して飲み、湿布を貼り、腰椎ベルトを巻く。
そして横になって安静にする。
慣れたものだ。

取り敢えず夜の仕事に向けて寝る体制を取ったが、痛みが気になってほぼ寝ていない。
明日病院に行くまで辛抱だ。
病院に行ったからといってすぐに回復しないが、放置しているとかなり危険だ。
それはまさしく時限装置のようにじわりじわり襲ってくる。
今晩無事に仕事をこなせればいいのだが。

あひる

昨日の夢は強烈だ。
2部構成になっていて、不思議な夢だった。
最初は懐かしい友人と今一番有名なおネエタレントが出てきて、再会と出会いを喜びながら宿泊先の宿を探していると、財布を落としたことに気が付く。
出会った場所へ戻ると財布はあるが、免許証以外は抜き取られていたというもの。
その瞬間に「これは夢だ」と気がつき目が覚める。

安堵と共に御手洗いへ。。。

続きを見ようと布団にもぐる。
僅かな時間で眠りについた。
場面は明らかに変化している。
そこにいたのは幼馴染みの同級生の女の子だった。
実際には女の子という年齢でもないだろうから、想像の域で大人になった姿での登場。
懐かしい話をひとしきりした後、実はあの頃ちょっと気になっていたみたいな告白をされる。
実に自分の都合のいい展開だが、夢なのだとどこかで理解している分、変に着色されないように言葉を選んで返事をした。
その子はいつもアイロンがきっちり当てられた制服を着て育ちの良さが伺えた。文武両道というべき才女だったが、どことなく天然の自然体。話しやすかった事が思い出される。

高校進学を期に会うこともなくなったが、夢に今ごろ出てくるとは。

誰に似ているかと言われれば「あひる」に似ている印象の彼女。
今でもあの天然ぶりが変わらない事を願うだけである。

調子に乗るとこうだ!

車の修理ついでに気になっていたシガーソケットの修理をしてみる。
何年も前から使えなくなっていて、車で充電とか出来なくなっていた。
1年前かな何となくヒューズ交換したのだがダメだった。
ソケット自体が壊れているのだと思い放置していた。

ふと思い立ちヒューズを見てみる。
やはり切れている。
もう一度ヒューズを交換してみることにした。
諦めが悪いというか、どうにかしたい好奇心が抑えられない。
早速ヒューズを買って交換してみる。

直った。

こうなると何かカーアクセサリーでドレスアップなどしそうになるのだが、
これと言って欲しいものが無かったので断念。
あったら買っているパターンが危ない。

2019年9月12日木曜日

やってみた。

Bluetoothのキーボードを購入。
タブレットと連携させてみた。
慣れていないせいかまだ扱いづらい。

キーボード入力に戸惑うつもりはないけれど、色々やってみる必要がありそうです。
無くてもいいものを買ってしまうのは自分でも反省するところですが、日頃頑張っているんだから良いのかなと甘やかしてみる。

飽きないようにしなければ。

ローテーションです。

オイル交換終了です。
作業終了の説明でタイヤのローテーションを薦められました。
渋ろうかと思いきや、無料のサービス券が残っているらしく、まだ使えるということなので追加で作業してもらうこととした。

無料恐るべし。
いや、ありがたい限りです。

フォローしないマン

私は「いいね」をしない。
私は「フォロー」をしない。
頑なに決めている訳ではないのだけれど、そうなのだ。
勿論その逆もしない。

ネットにはいろんな情報が溢れている。
勿論役立つ情報、素敵なものも多い。
ただそれらを認めるにも会員登録を求められるのが窮屈なのだ。

そういう意味では、ここは煩わしさがない。
ただ殆んど誰にも知られていないだけなのだが。

きーーーーーーーーーーーーーーーん。直る。

もう何年経つだろう。
夏場の恒例行事のようにエアコン異音に耐えてきた。
エンジン回転数によって変化する周期音。
色々調べていよいよ修理に出した。
この部品だろうと思って自分で出した見積もりは3万円。
痛い出費だがまだ車を買い換える予定はない。
したがって必要経費と判断。
それ以上の出費も覚悟しなければならないが、取り敢えず朝イチ車屋へ持ち込んだ。

指し向き修理予定時間は1時間とのこと。
代車を借りて帰宅する。
近所なので1時間もて余す。

電話が鳴った。
車屋だ。
修理完了とのこと。
良かった。胸を撫で下ろす。
ベルトの磨耗が原因だった。
しかし珍しいケースで、機械的に故障がないのはラッキーらしい。
ベルト2本交換と工賃で3分の1で費用も安くすんだ。
これでまだ快適に乗れる。

色々ガタが来そうな走行距離だが、まだまだ頑張ってもらわねば。
少ししてカー用品店でオイル交換をした。
いつもよりお高めのオイルをチョイスする。
車に少し日頃の感謝を込めて。
年式・走行距離を考えれば妥当なオイルだろう。
エンジンに優しさをプラスする。

後はハイオクを入れてあげようと思う。
たまに入れるのだが、ガソリン価格は流動的なので、底値を見極めてから入れることにしている。

快適なカーライフであと何年乗れるだろう。
少なくとも3年。5年。頑張って欲しいと願う。

2019年9月11日水曜日

魔法の箱が封印される理由

近年TVがつまらなくなった。
TV世代とも言える自分にとってはそういう意見が刺さる。
長寿番組。時代を先取りした番組。
ことごとく終わった感じがする。
もっといえば再放送的なものさえ危うい。
今の時代に流せば過去の作品でも叩かれる。
多様化という流れからつま弾きされてしまっている。

ネット番組などはその分攻めている。...らしい。
個人投稿の動画配信などでは、数字を競いあい有名人を生み出している。
見たいものがそこにある。
そういうものに特化して進化したからだろうか。
情報がありとあらゆるチャンネルとアンテナで繋がる。
真実も虚実も垣根のないフィールドで溢れている。
手に取ることが簡単な分、欲しいという感情に突き動かされないのは、自分が時代遅れなだけだろう。

せめて「この情報はフィクションです」と注釈が欲しいものである。

先取りしてみた

最近のインタビュー記事でよく見かけるのが、
女性は男性の顔の次にどこを見るかというもの。
答えは「手。もしくは指先。」だそうで。
大まかな外見より、その人の成りが垣間見えるということか。

理由として代表的なものに、かの壇蜜さんは、
「痛くされたくないから」
と意味深発言。
流石である。
似たような意見も多いが、指先を清潔にしている男性は好感が持てるようです。
そんな記事を読み聞きする前から、指先に気を使ってる自分はいかがなものか。
モテようとするつもりもないけれど、日々爪をケアしています。
自己満足の輝きに一人酔いしれているのですから。

2019年9月9日月曜日

やがて訪れる日

駆け抜けていた頃は気が付かなかった小さなほころびが、今は手に取るように分かる。
何度も積み上げては崩していた積み木も、完成形を見たいと思えるようになっている。
終わりが近いのではなく、何かを成し遂げたいという欲望なのだろうか。決まったゴールではないけれど、ひとつの終わりを肌で感じるのも悪くない。それが次のステップになるのであれば。

周りがざわめくほど頑なに自分を守ってきた。
今でも自分の領域を踏み込まれるのは忍びない。
ただこの領域に留まることを許された人達をも守るべきとした時に、傷つく事さえ致し方ないと我が身を盾に変え、それなりの年月を歩んできた。

目に見えぬ敵も多いが、蹴散らす程でもない。
結果から推測すれば、関わることさえ愚問でしかない。
戦うことよりも、その場で威風堂々と佇んでいればいいのだ。

やがて訪れる日までにその背中を見せよう。
何かを感じとり身に付けてくれればと思う。

2019年9月6日金曜日

きーーーーーーーーーーーーーーーん。

夏。
もう終わりかな。
終わらないかな。

そう急がせる理由がある。

車のエアコンが作動すると鳴くのである。
「きーーーーーーーーーーーーーーーん。」

実は今年始まった症状ではない。
3年目ぐらいだろうか。
いわゆる騙し騙し乗っているのだ。

エアコンを使わなければ鳴かない。
つまり涼しくなれば気にならない。
そう思ってやり過ごしてきた。

ただこの決断が正しいとは言えなくなる日が来るのが怖くて、
今日車屋に寄ってみた。
症状を伝えチェックしてもらう。

最初に伝え聞いたのは思ったより軽症だということ。
ただ部品交換が必要なので次回の予約をしておく。
何度か車に行き来して整備士さんがもしかしたら...と重症の可能性も示してきた。
プロが言う事だと鵜呑みにせずに、段階的に調整してもらうこととした。

今の車あと何年乗るかわからないけど、それなりにメンテして乗ろうと思う。

時短の恐怖

私はくせ毛である。
自慢にもならないがそうなのだ。
おまけに猫毛でもある。
雨の日は頭の上で爆発が起こる。
常にある程度の長さを保っていればしのげそうだが、
そうそう髪を切りに行く暇もない。
かといって、朝からしっかりセットしないのだから、
毛先がどんどん好きな方へ向いてしまう。

そろそろ限界かなと自分に言い聞かせ、時間の合間を縫って美容室へ行くこととした。
勿論というか、自分的には随分前から予約制のないカット専門店へ行っている。いわゆるコスパのいいところ。
それでも理髪店ではなく、美容室なのが唯一のこだわり。
理髪店だと自分の予想を遥かに上回って髪が短くなるからだ。

今日は待ち人数「0」ですぐに入れた。
いつもだと10人待ちとかある店なのでラッキーである。
但しいつも担当してくれる女性ではなく、初の男性。
初老のベテラン風である。
勝手に自分の店があるけれど、この店でアルバイト的に来ているのではないかと予想する。
取り敢えず髪型をオーダー。昔はかなり細かい注文をしていたが、今は大まかに言って、あとはバランスを見ながらのおまかせにしている。
出来上がりはその人次第なのだが、極端にトリッキーな髪型ではないので、大体外れない。

さてエプロンをセットして、いよいよカット開始。
と、いきなりバリカンを取り出した。
「おいおい。俺は羊か?」
口には出さないが突っ込みたかった。
どうやら長めの髪を切り揃えるようだが、いささか美容院であることを忘れそうだった。
危うく丸刈り高校球児は免れたが、ハサミでやってくれよって思った。
その後すきバサミを普通に使っていたが、もはやバリカンの恐怖から逃れられない余韻を引きずっていた。

出来上がり。
普通でした。

2019年9月3日火曜日

オチつきがない

たまにいませんか?
誰も周りに居ないのに独り言をずっと言っている人。
ほぼ聞き取れないというか、興味もないので「ぶつぶつ」としか聞こえませんが。
今日ある場所でそういう人に遭遇しました。
姿は確認しませんでしたが、切れ間なく呟いています。
偶然聞き取れたのは、「仕事行こうか。仕事休もうか。やっぱり行こうか。そうだ行こう。」なるものでした。
その人なりの葛藤があるのでしょう。

心の声が漏れていますよって言いたかった。
この場所は私の心の声も漏れ出ていますが...。

2019年9月2日月曜日

月曜日

週明け月曜日。
休みが終わってまた動き出す。
一斉にどこかへ向かう人や車の波。
当たり前の朝が少し季節の変わり目を感じながら、始まりの刻に繋がっていく。
今日はやや寝不足。
昨日からの騒動と混乱に嫌がおうにでも飲み込まれて、落ち着かない朝だった。
平穏な日常を取り戻しても、本質に辿り着くには試練が待っている。
取り敢えず自分の役目をしっかりこなしてから考えよう。
そんな月曜日。
まだ朝を迎えたばかり。
長い一日。

2019年9月1日日曜日

カーテンコールは幻

舞台などで終演後に行われるセレモニーといえば、
ピンポン!「カーテンコール」正解です。
まだもう少し余韻に浸ってる自分には、ここのブログにそんな情景を描くような書き込みがありそうです。
全て過ぎ去りし物語のエンディングをどのように飾ろうかといった趣旨ですが。

アンコールとは違うのです。
もう一度とかもう少しだけっていうのではない結末。
舞台との距離感を慈しむように、受け取った感動を昇華するように。
そんな日々があってもいいのかと思うのです。

それもいつかは風化するように自然と消え去るでしょう。
それまでは気持ちの赴くままに。

見てくれてありがとう

きっとこれがあなたからのGiFT。

ここは何て事ない独り言の遊び場。
リボンもサプライズも無いだろうけど、
フラりと立ち寄って下さいな。
無口なマスターがグラスを磨きながら待ってます。
余計なことは言わない。
誰の悲しい愚痴も黙って受け入れてくれるような、
そんな場末のbarみたいなもの。

立ち寄った人には何もあげられないけど、
何も奪わず求めず少しだけ楽しんで貰えるように。
ほそぼそと営業中です。

またのご来店お待ちしております。
お代は読んで貰えばそれでいいです。

life is beautiful

一夜明けてひとつの物語が完結した気がした。
私の伝説も長いエンディングを終える時が来た。
それは必要不可欠な時間の一区切り。
これからの新しいストーリーはまだ筋書きもない。
ただ前を向いていくだけ。

別れの瞬間は出逢った瞬間に始まっている。
その繰り返しを悲しいと嘆くなら、すれ違うだけでいい。
その繰り返しが辛いとうつ向くなら、目を閉ざせばいい。
別れと始まりのループに翻弄されながら、人は人として生きていける。
ひとつひとつ大切に。
やがて記憶の片隅に刻まれ忘却の彼方へ。
大事な忘れ物になるまで。

2019年8月31日土曜日

二つ前まで記憶がない

昨夜は飲みすぎて危うかったので早く寝たのだが、昼頃まで気分が悪かった。
レモンサワーの素は生地で飲んではいけません。
しばらくはサワー禁止します。

で、かなり気分が悪くなった頃の書き込み2件。
アウトですね。

2019年8月30日金曜日

閉店ガラガラ

色々回っているうちに、自分の酔いが廻ってきたようです。
不本意ですがこれにて閉店。
愛溢れる週末を。

復活の呪文

なんだたっけ~。

人の成長を見守るならまずは己がその先を歩まなければならない

子供の頃は偉人や有名人に憧れや尊敬の念を抱くもの。
但しそれは与えられた知識の蓄積で、刷り込まれたものに過ぎない。
成長と共に自分で取捨選択をし始めると、尊敬できる人物像は限られてくる。偏ってくると言ってもいいぐらいだ。

かつて尊敬していた男性は、その人生の中で女性関係によるトラブルや失敗が明るみになるケースが多く、その度に興醒めしたものだが、今となっては「致し方あるまい」と他人事として納得できる。
それなりの代償を払って事を納められるのだからと。
自分には到底真似できないと思うのであった。

振り返ると、現実的に関わって尊敬できる人物の多くは女性である。
師と仰ぐべき人。憧れの念と両方持ち合わせた人。偉大なるは女性であるとさえ言い切れる。
幾つかの失敗や試練を乗り越えくぐり抜けて来たからだろうか、3分以内に相手の本質的な感覚が読み取れる気がする。
気のせいだと弱気にならないのは、経験値と距離感が方程式のように組合わさっているから。
勿論すべての人に当てはまらないし、データ圏外・予測不能な人もいる。好意的ではない。敵意を持っている。無関心。などは最初からあまり深く読み取る無駄な作業から削除するようにしている。
当たり障りのない優しい言葉でその場を乗りきるのだ。
逆にスッと懐に入り込んでくる人は、一見無防備に見えてガードが固く、知性的で無駄がない。これが共通している。
あとは人それぞれの個性によるところだが個々に魅力的なのだ。
そして何度か接しているといつのまにか引き込まれ、自分の中で尊敬できる人物になっているのだ。

尊敬に値する人物に年齢などの制限も何もない。
個人的主観で言うのであれば、3分ルールの先にある展開でその人間性が素晴らしければ、その人物を敬うのは当たり前なのです。
自分の直感の精度が上がればそういう人とも出会えなくなってきますが、世の中狭いようで広いものです。私の半分ぐらいしか生きていなくとも、私よりもきっと高い志を持っている人はいるのですから。

もうすぐその中の一人が新たな人生の岐路に進むそうです。
色々救われた事など、僅かな時間が何倍にも増幅して今は感謝しかないです。
きっとその人からすれば「何にもしてないよ」って言うでしょう。
受けて側の影響力は半端ないです。
もしそれが自然体ならそのままありのままで進んで下さい。

人との出会いはその関わり合いの時間ではなく、終わりが来るまでの瞬間の連続なのです。
記憶は忘却の彼方へ誘おうとも、生きる上での指針のひとつになりました。

自分は認められる程の人物だったか?
聞いておけばよかったな。
きっと語り尽くすには時間がどれだけあっても足らないけど、ちょっとした無言の時間の方が通じ会えたのかも知れない。

自分自身まだまだ道半ばの若輩者です。
なので負けないよう精進しますね。

そして遠くで祈っています。
あなたがこれからも幸せでありますようにと。



とあるブログランキングを見て一言

上位5人癖強い。

有名なブログサイトで、とある有名人のブログを拝見します。
フォローとかコメントはしません。
ただその人が紡ぐ言葉が秀逸で好きなのです。
黙って読み終えるとスッキリした気がするのです。

順位にこだわるつもりは本人にも更々無いでしょうが、その方は6~8位ぐらいをキープされているようです。
そこで気になるのがそれより上位の顔触れ。
有名人ランキングなので知っている顔触れですが、それぞれが癖が強いように思えてなりません。

踏み込んだら逃れられない何かがあるのでしょうか?

映えるのは難しい。生えるのはそうでもない。

今日一日写真アップ出来る所を探したけど、
絵力が足らなくてやっと一枚アップのみ。
それも誰も知らないような滝。
おいおいっ。
緑と水で癒されてる場合かっ。
ついでだから、その小さな滝で滝行してこい!!!!!!!!!!!!!!!!!!
って突っ込める有り様です。

やっぱ居酒屋の裏メニューとかがいいのか?
そんな情報ZEROですけど。何か。

カーナビに逆らう旅

私の車にナビはない。
免許を取ってこれまでマイカーにナビ車がないのだ。
道は覚えるか、迷っても大通りに出ればどうにかなるっていうことで、これまで付けたことがない。

もしかしたら次車を買うとしても、敢えて付けないぐらいの勢いだ。

ただ最近新しいおもちゃ(タブレット端末)でナビが出来る事を知って、知っている道でも試している。
そして敢えてナビに逆らうという暴挙にいそしんでいる。
AI搭載なら確実に怒られるルートを選んでみるのだ。

今日は到着予定時刻25分のルートを無視した結果、1時間10分の長旅を味わった。
行けど暮らせど山の中。曲がりくねったカーブの連続は嫌いじゃないが、途中でナビが逆襲してくる。
「検索ルートが見つかりません」
弱点は通信費節約のためWi-Fi専用でセットしている為、途中で操作するとデータが飛ぶのだ。
最悪データ通信に繋げば問題ないのだが、悔しいのでそのまま行く!!
かろうじてGPSだけは機能しているので、現在地は把握できる。

「右に曲がってください」
何度無視しただろう。
人間だったら不信感しかないだろう。
そう思いながら一人で無駄なロングドライブを楽しんだ。
無事帰って来れるのは、ナビが無くても不安がないからであって、地図の読めない人は絶叫していただろうと思った。

そんな途中で何とかきれいな場所見つけたのでパシャり。
犬鳴の滝だそうです。

今のところですが

何気無い日常でも写真に撮ろうかと意気込んだものの、なんにも撮れてない。
今現在は山の中。
周りは木しかない。
そんなもん撮ってどうするって突っ込み頂けそう。

家に帰ってご飯でも撮るか?

あいうえお作文

ちいさな事でもくすりと笑い

ひみつの場所で共に過ごした

ろくでもない自分と向き合っても

にこやかな笑顔が絶えなかったね

あの日の事は2人だけの秘め事

りあるな夢のように今は思い出

がんばって本当の夢に向かって

ときどきは懐かしいと思えるように

うんめいはあなたが自分で切り開いた道だから

ビジュアル的な要素を踏まえてみよう。

いろんなブログを見て思ったこと。
文字だけでイケるところと、画像があってお得感なところ。
文字だけで更新されているが読みやすいブログは、どうやら自分の脳内で音声変換出来ているようです。
画像はセンスだったりするので、目を引きますが案外スルーが多いです。
個人情報を特定されにくい「料理画像」はブログの定番ですね。
それもお店の料理。自分の家の台所が映える事はないのでしょうかねぇ?
まぁねぇ、文章力っていうか、薄い日常を連ねた文章には、料理の絵力を借りることは正解です。

というところから、内容が薄いこのブログも絵力借りるべく、今日1日色々やってみたいと思うのでした。

結果発表

異常無し。

2019年8月29日木曜日

スーパーストロングマシーン12号

最近時短呑みというのを開発しまして・・・。
いわゆる「ストロング系」と言われるチューハイ(9%)にレモンサワーの元なるものを追加するといった決め技。

独自配合で12%は軽く越えていますが、ちょっとアルコール感が増しただけで、レモンスカッシュじゃねぇ~等と抜かしておりますと、これまた見事に堕ちます。

当然自宅でしか出来ませんが、綺麗に寝ているので時短飲料として認定しています。
弱点は目覚めた時に喉が異常に渇くことですね。

良い子は絶対真似しちゃダメだぞ。

なんだかなぁ~。

先日実家にいった際、郵便受けにサンプルらしきものが投函されてました。
いわゆる健康食品的なものですが、色合いといいキャッチコピーといい、年寄り向けなのか疑問です。
チラシを見ましたが、年金生活者から搾り取るようななかなかのお値段。健康はお金に変えられないとはいうものの、貧乏は健康に良くない気がします。









ためしに自分で飲んでみました。
なにか変化があれば報告します。

マジシャンの手かよっ。

久々に爪を磨いてみる。
8月初旬頃かな。ふと思い立って。
何かそういう事してたなぁ~って。
1週間かかってツルツルになったけど、誰も気がつかない。
すっごく光に反射するんだよ。

必死になって爪磨きしてる様をうちの子が見てたけど、まるでノーリアクション。
教えてあげたい。
指先を整える意味を。
まだ大人になってないから早いか。

ここだけの話。
指先に目線が行く女性はとても決め細やかな感性を持っているのだよ。そして情が深いということを。

人は外観の大きな特徴に囚われがちだが、繊細な人ほど微妙な変化やエチケットに目線が行くのである。
そして不快に感じる事は敢えて言わないまでも、清潔感などの好意的な感情は率直に出せるのである。
そういう人は素敵だなと思うし、手を抜けない。
それが自分の成長を促進するのである。

ただし、ここで書き込むように自分から「見て!!」てとか言わないのが王道だけどね。

全国3人限定のお知らせです。

えー。
私の名刺をお持ちのレアな皆さん。
名刺のe-mail addressが使えません。

mail下さる方はブログにあるアドレスからお願いします。
確実に届くaddressに変更しました。

ブログのaddressと名刺のaddressが一致していないため、
1年近く放置状態。
失礼しました。
プロフィールからメールへジャンプして下さい。

何とかして名刺のaddressも復活させますが、メール0件の洗礼が待っていそうです。
だって、名刺持ってるの3人ですから~。残念。
波田陽区山口県出身斬り。

追伸 どこにも配る予定がないけど、名刺作り直そうかなと思った。

夜明けが来る前に

都会の片隅。
忘れ去られたような空間。
人通りも疎らに見える。
大通りの2つ先に消え行く灯り。
楽しい時間はいつも瞬き程の早さで過ぎていく。

「またね」と交わした約束。
細い糸ほどの繋がりでも紡ぎ続けられたなら。
そう思い繰り返した夜間飛行。
翼など無いのにフワリと浮かび上がる感覚が、自分を幻想へと誘う。

重い扉が静かに閉じてこの場所に辿り着くまで、余韻を少しずつ噛みしめていた。
さっきまでの自分と嘘のように沈黙する自分。
どちらの自分も冷静にあるようにと言い聞かせる。
タクシーの列が通りに溢れている。
手を挙げずとも自然な流れのように乗り込む人達がいる。
小さな空間に閉じ籠り、ひたすら朝が来るのを待っている自分には、羨ましくさえ思える光景。
少し眠ろう。
時折ライトの灯りが射し込み、クラクションが遠吠えのように響く中、現実へ引き戻されるジレンマと闘いながら目を閉じた。

優しい言葉がこだまする。
そのひとときの安らぎが夜明け前の薄明かりに溶けていく。

馬の皮を被った山羊

黒山羊さんからお手紙ついた。
だったかな?
童謡は思い出せないけど、久しぶりに手紙というものを書いてみた。
届くかな?読んでくれるかな?とソワソワするのは何十年ぶりだろう。
かつては毎日のように手紙を書く日々があった事を思い出し、それが当たり前で、それしかなかった時代を独り懐かしんでいる。
お返事は秒で届いた。それも時代か。
多くの人が見るであろう場所だけれど、紛れもなくたった一人の為に、当てたメッセージが心を打つ。
きっと他の人が思いもよらない手法でアクセスしている自己満足に酔いしれる瞬間である。

久しぶりに手紙を書いた相手は、とても素晴らしい人。
きっとこれからも多くの人を幸せにすることで、自らも成長し幸福な人生を歩むであろう人です。
そういう人とほんの少しの時間でも関われた事は、かけがえのない貴重な時間。
神様なんて信じないけど、こういうときだけでいいのなら、
「神様ありがとう」って言いたい。

自分がどんな存在であれ、自分という人間を受け入れてくれた懐の深さに感謝します。
通りすぎる雑踏の中、すれ違うこともないであろう人なれど、もう少しお話がしたかったというのが本音です。

出会いと別れを繰り返し人は成長するのでしょう。
あなたにとってやがて消え行く者なれど、その時までいい思い出であればと願います。




2019年8月26日月曜日

夜と共に去りぬ

名画「風と共に去りぬ」をもじりました。
早速の説明ではありますが、「去りぬ」とは何か?
今は使わない言い回しですが、何とも雰囲気というか風情は漂いますが、「去る」「去らない」どっちなんだってなりませんか?
正解は「去る」です。
言葉を留めるような言い回しですが、言いきりの形なのですね。
つまり現代風に直すと、
「風と共に去る」
になってしまいます。
意味は同じですが、このタイトルだと映画観たくないですね。

さて本題です。
昼間と違って夜の時間はかなり独特。
生活習慣や経済活動の変化で夜眠る人が年々減少傾向にある中、人は本来の欲求である睡眠欲の枯渇から逃れようと、別の欲求に置き換える性質があると思われます。(自分調べ)
人は本来1日の3分の1を睡眠時間としている訳で、その時間帯を夜に体内が定めている以上、そのバランスを崩すことは、生命の危機とも言えるストレスを与えている訳です。
そういう状況を緩和しようと、様々な試みをするのです。
昼間に仕事で稼ぎ、夜に使うのもそういった理由ではないでしょうか?
まぁ、違うって言われそうなのでこの辺で終わります。

昼間に比べ夜は仮初めの人間関係が入り乱れて、毎日が花火のように感じます。
季節関係なく彩り鮮やかな花火も燃え尽きるように、いつかは終わりの時がやって来ます。
花火の美しさはその終わりに一瞬気持ちが抜けたようになってしまいます。大空に舞う打ち上げ花火でも、手元に煌めく線香花火でもです。
花火にお別れを告げる人はいないでしょう。
でも心で感謝を告げる人はいると思います。

一瞬の光輝くその姿。
儚き世の夜の片隅で見せる幻。想うは夢。
咲いても花。散ってこその華となれ。

「風立ちぬ」名画ですね。
これをもじると悲しいので止めておきます。


真夜中の伝言

話したい事があっても直接話せなくて、
届けたくてもどうしていいか分からない時もある。
便利な時代になったとはいえ、何でも使いこなして辿り着くのは、
自分が生きてきた頃の煩わしさが、どこかしら人と人との繋がりを結んでくれていたような感覚。もはや錯覚なのかも知れないが、そういう時代の情景を懐かしく思う。

何年ぶりだろうか手紙を書いた。
正確には郵便物として出すための手紙である。
メールで済む時代にアナログな手法を選んだのには訳がある。
これしか方法がなかった。
実に単純な理由。
準備が必要で、送料もかかる。
届くのに1日以上かかり、届いたかどうかも不明。
そんな今ではやや不便さが否めない方法であるが、取り敢えず手段として使ってみた。

手紙が届いたときどんな反応をするかな?
・・・なんて、返ってくる筈もない返事を待ちわびる事もない。
相手にしてみても、どう返していいのか分からない状況なのだから。
まぁ、嫌がらせとかの手紙ではなく、感謝を伝えただけなので伝わることが大事。

郵便事業って大切ですね。

2019年8月18日日曜日

出会いとは偶然なのか必然なのか?

今巷で話題になっているのが「マッチングアプリ」なるもの。
スマホにアプリを入れて必要事項を入力。共通の趣味とかが共通の人と近くなると、何やら知らせてくれる機能があるらしい。

どういったものなのか。
どういうシステムなのか。
実のところそこまで興味がないので知りませんが、新しい出会いの形なんだとか。

婚活なる言葉も生まれ、結婚したい、パートナーが欲しいといった人には有難いツールなのでしょう。
一昔前で言えば出会い系サイトと言われるものがあり、言葉通り「出会い」を求める人たちが利用していたようですが、どうも様々なトラブルや法令違反がらみの利用が絶えなかった印象があります。
誰かと出会いたいという欲求に対し、無駄な労力と時間は使いたくないとシンプルに考える人が多いからなのか、中間に金銭を絡めて無駄を排除したいだけなのかは人それぞれですが、便利になっていく分、肝心な何かが衰退しているようでなりません。

本能的欲求の為に様々なツールを使いこなし、自分を過大評価してみたり偽ったとて、現実は甘くないものなのです。
それに騙されたりする側もどこかで偽りや隠し事、ときには思いがけない逆転劇を用意周到に持っている可能性もありますからね。

人を信じるには自分の精神状態が安定していることが大前提ですが、恋愛やそれに近い感情は、冷静さや揺るぎない感情の底辺に隙間があるときに大きく作用する事が多くあります。
故に時間が経つと、相手の嫌な部分が目に付いたりするものなのです。

そういう心理を踏まえて言えば、マッチングアプリなんて共通の...って括りだけで「お似合いですよ」って結びつけられ、後に辛酸を舐めるような気がしてならないのだが。
知り合うきっかけがないって言う人には、こういうものの一つもなくてはならない時代なのでしょうね。

2019年8月17日土曜日

緣~えにし~

人それぞれになにかが重なり
その時々で思い揺らめくもの
やがて記憶の彼方へ過ぎ去るものも
忘れられぬものもある

多くの言葉を交わした事も
心地いい距離感が成し得た時代
それぞれが歩むべき道が
その距離感を遠ざけていく

悲しいわけではない
今の自分を知っているから
そのどこかにあなたがくれた大切な言葉が
後押ししてくれているようです

寂しいわけではない
今のあなたを見つけられなくても
私があずけた言葉ががきっと大切に
輝くあなたを見守っているから

辛いときも楽しいときも
教えてくれたそのときの気持ち
包み込むほど強くもないのに
受け止める立ち位置を与えてくれた

あなたがくれた
わたしの緣は
今もこれからも変わらない

永遠

時の過ぎ行くままに身を委ね
決して戻ることも願わずに
ただ揺らめきの心の空白を
埋める事が出来たのなら

すれ違うことが運命でも
一瞬の関わりがあるのだとして
信じる全てを与えてくれる
嘘偽りのない夜の夢

儚く消える泡のように弾けてみえる
ガラスの向こうに映る景色
取り戻せない
巻き戻せない
教えてくれる優しさが
小さな痛みとなって残っている

永遠だなんて求めないけど
永遠だなんて信じないけど
その距離感に惑わされていたかった

触れると壊れてしまいそうで
指先が逸れる道筋を探していた
想えば燃え尽きそうで
心が凍る程の嘘を探していた

行き先を告げずに立ち去っても
それは不思議なことではなかった
別れの言葉が届かなくても
また会えるなんて期待しなくていい
最初から分かってるはずの幕引きに
立ち止まる選択などあり得ないのだから

永遠だなんて求めないけど
永遠だなんて信じないけど
その距離感に惑わされていたかった

時計の針が重なって
やがて次の刻(とき)を指す頃
扉の向こうに消えて行く幻
誘惑を束ねた灯りも小さくなり
ざわめいた街が引き潮のように
音のない世界へと移り変わる

罪な台詞が嘘に舞う
愚かな夢が見え透いて
どちらでもない立ち位置の
稀薄な正義など求められるはずもない

交わす約束なんて
果たされない暗黙に溶けている
満たされない願いが紛れている
許されない真実が潜んでいる

欲望の赴くままにと足を踏み入れたとしても
抜け出せなくなるのが怖くて躊躇った
誰一人として傷付けず通り過ぎるなら
何も残さないで消えるだけ

そこにあるのは移り行く時代の欠片
彩り華やぐ場所は永遠に途切れはしない
繰り返される宴のように
新たな光をちりばめて輝く
その星の瞬きを遠くで感じるほどに
純粋であるかのような様を追い求めよう








2019年8月15日木曜日

非日常における平常心

台風接近しているようです。
自分の住む地域も昼頃に影響が出そうですが、個人的には何も不安はありません。
幼少期の体験からでしょうか、災害に強いというか、ある程度の非日常には慣れています。

停電になったらどうしよう。
昼間はあまり困りませんが夜は不安になるもの。
そういうときもどうにかなるとしか思わないのです。
特別な準備を完璧にしている訳でなく、いざその時が来たら周りが騒ぐのでしょうが、冷静でいられる自信しかないのです。
さすがに家が流されたとか、家財が水浸しになったレベルだと暫し呆然するでしょうが・・・。

台風が来て風が強くなったぐらいだと、逆にワクワクするのです。
強風がどのぐらいのものか外に出たりします。
あらかじめ食品を備蓄せずに(自分以外の必要最低限は確保しますが)、どう乗りきるかシミュレーションしたりします。
これまでの人生でそのシミュレーションが役に立つ事態に遭遇したことはありませんが。幸運なことなのでしょう。

自分の生活圏内を離れて未知のエリアで活動することは、台風のそれに似ています。
不可避な逆境が訪れる状況も踏まえて、自分の最大限の能力で乗りきることが出来るか。まさにサバイバル。
瞬時に判断し、周りのあらゆる物を味方につけることが出来るかといった事は、その場当たり的な生き方が正しいのか常に教えてくれます。

普通に考えれば備える方が正しいのでしょうが。
なにか小さな落ち度で一気に停止してしまうより、前に進める気がしてしまうのです。

2019年8月14日水曜日

IQ130以上になると

かつて「あなたはIQが高いのでもっと勉強した方がいいですよ」
と言われたことがあります。
かなり昔の話ですが、それを聞いた自分は「そんなに頭が良いのなら本気で勉強しなくても出来るのでは」と逆行した思考に行き着き、大事な試験などは、攻略すべき問題の傾向を分析するといった特殊なことをしていました。

それでも何故かそれなりの成果を挙げていたのですから、今考えると不思議なものです。

ただし経験の無いことは理解の範疇にないわけで、結局無駄な苦労も伴ってきたのですが。
今はというと、学ぶべきことは学ぶに転じています。
だからといって時間をかけてすべてを把握するには時間がかかるので、直感的に紐解いて分解し吸収する作業が中心です。

いくつかの経験が関連付けられ、より多くの経験と同じような情報量を得ることができます。
全てにおいてではありませんが。

IQ130を越えるとメンサの会員になれるそうですが、すいません129です。

2019年8月12日月曜日

不誠実な真実。

真実を求めるがゆえに情報の渦に飲まれる。
溢れんばかりの嘘の中から本当の事を拾い出そうと試みる。
但し自分に都合のいい言葉が形を成してしまい、やがてそれこそが揺るぎない真実だと主張するようになる。

いつしかその鎧を脱ぎさろうとて叶わぬほど、本来の自分が弱くなっていく。
鎧は鎖に繋がれ厚い壁に埋もれていく。
その重みで静かに沈んでいく恐怖をどこかで感じながら、もがくことさえ出来ずに宙を仰ぐ。
無垢であった始まりは、漆黒へ淀みなく踏み込んでしまった。

助けを求める声も虚しくやがて力尽きる。
全ては終わりを告げる為の積み重ねかのように。

時は過ぎ自分が存在し続けていたとしたら、光の先に導かれるがまま進むだろう。
音もなく、あらゆる雑念と欲望を振り払い進むべき道へ。
その先にあるものを見届けよう。
終わりの先の始まりを。


2019年8月10日土曜日

ヤミカラヒカリヘ

吉本闇営業問題。
大きな波が去ったあとも毎日何かしら報道されている。
問題の根幹は重要な案件だが、世間の反応はもはや冷えきっている。

そんな中、狙ったかのような有名人の結婚ラッシュ。
とびきり大きいものから意外な人まで、よくぞ詰め込んだとばかりのほぼ同時発表。
それもまぁあまり興味ないっちゃ、そうなんだけど。

話題が闇から光へ移ったのは良いことかな。
数年後闇に引きずり込まれないように願いたい。

2019年8月9日金曜日

取り扱い注意

タブレットで動画かな?観てて、終わりぐらいにヘッドフォンからすごい音漏れするので辿っていったら、端子の差し込みから壊れてて、タブレット本体もボロボロに破壊してました。
買ったばかりなのに、えっどういうこと。

と思っていたら目が覚めました。
完全に堕ちていたようです。

夏の終わりを告げる頃。君は君の在るべき場所へと歩いていくだろう。

それはいつか必ず訪れる日。
それはいつも突然訪れる時。
それはいつだか知る瞬間もなく過ぎる。
そういうものだと思っていた。

自由な旅の終着は人生の決断がつきまとう。
望むべくして放浪し、望まずして立ち止まる。
それも致し方ないと嘯いてみた。
誰にそのことを悟られることもなく。
静かな朝焼けを迎えるように。

踏み込んだあの街の片隅で輝いていた。
闇の中に浮かぶ小さな光が交錯する世界に。
行き交う人の賑やかな話し声を少しずつ飲み込む扉の先に、
あなたがいたことの現実は遠い夢のようです。。

仮初めのひとときがどれだけ有意義だったか語り尽くせはしない。
感謝という感情を言葉にのせるのは簡単だとしても、それをうまく伝えられない程未熟な自分がここにいる。
そして伝えられぬまま過ぎ去りて、新たな一歩を踏み出すと決断した事を遠くで知るのです。

この世がどんなに進化しても、何気ない生活が便利になっても、簡単に情報が共有出来るとしても、出来ないこともあるのですね。

どこかでより輝ける生き方をしているとしたら、それが何より嬉しいのです。
どこかで幸せを掴むことが出来たのであれば、それを決して諦めないでいて欲しいのです。

わたしが受け取った欠片は幸せであることを許された証。
笑顔を忘れずに生きていくことを思い出させてくれた。
僅かな時間でも、微かな夢でも、それは揺るぎない大切な想い出。

夏の終わりを告げる頃あの場所を離れるという。
お別れというより、そもそもが幻想だった事にしておこう。
大事なことだけ忘れないようにしておくけれど、きっとどこかに秘めておくことでしょう。


・・・でもして出直すか?

間違いなく夏。
浜辺に集う陽気な輩もいるだろう。
羨ましいったらありゃしない。
そう思う程近くの海でさえ遠く感じるようになったものだ。

仕事も終わりつかの間の休日。
涼しい部屋に根を生やしてしまうなんて。
とはいえど、海に何があるわけでなく、追憶と哀愁何て感じるほど老いてもいない。
とりあえず出来ることは、爪でも磨いてみることぐらい。
自己満足の極みなのだが、やり始めると止まらない。
指先に気を使うのも1年ぶりなのだから。

誰に誉められるでも、誰に見つけられるでもない営み。
ただ見てる人は見てると言うことだ。
その事実が指先のケアを加速させる。
そういう場所にさえ行けなくなった今では悲しい自己満足なのだが。

2019年8月8日木曜日

語るほどのものでもないのに

駆け抜けて今に至る。
挫折も失敗もどれ程どあったか。
その向こう側を見渡せば、薄汚れた自分の姿が浮かぶようだ。
出来るだけ踏み外さぬようにはしてきた。
誰かが支えてくれた。
誰かが教えてくれた。
恩に報いる事を忘れない生き方は自分の根底にあったのだろう。

恥じることはない。
でもあえて語るようなことでもない。
それが今の自分の在り方を指し示している。

やがて朽ち果てるとき、その亡骸を拾う者が現れなくとも、自分であった事を恥じぬよう進もう。

2019年8月7日水曜日

急ぎ足で良いのか迷いつつ

忙しいという理由でビデオは2倍速なことがたまにある。
見たいからという衝動と忙しいという現実を共有出来る機能にあまんじている。
もちろんビデオ録画がされているのが前提だが、ビデオ録画しないと見れない事情もある。
そして楽しみに待ちわびても、いざ見るとなると忙しい。
でも見たい。
きっと見返すほど面白ければ、後日じっくり見るだろう。
故にハズレだったときは即判断できる利点がある。

結構ハズレが多い最近のTV番組。
あぁ~、ゆっくり見たいってのが増えますように!!

2019年8月5日月曜日

涙腺が緩むお年頃なのでしょうかね。

とあるTV番組を見ていました。

日曜日のゴールデンに放送している人気番組です。
別に批判するわけでもないので、番組名とか出しても良いのでしょうが、あえて出しません。意味はありませんけど。

新しいアシスタントを迎えるにあたって、ドッキリを仕掛けるというもの。ニセロケの現場に突入して行きなり抜擢の事実を告げるというもの。

ただただ面白いシーンなのに泣けてくる。
ツボというかスイッチというかそこら辺に泣きスイッチが増えたのかなぁ。




2019年8月4日日曜日

それは予想外の出来事

自転車はどこの家庭にもあるもの。
我が家にも一応3台あるものの、うち2台は全く乗らなくなった折り畳み自転車。
現役のままチャリはそこそこ稼働中なのだが、最近の暑さで?タイヤの空気圧が変化していたのだろうか?
朝入れた空気が減っているらしい。もはやパンクなのだと覚悟をしていたが、追い討ちで空気を充填していたら「パン!!!!!!!!!」って破裂音が・・・。
きっと軽微なパンクだったのがとどめをさしたのでありましょう。
普通のパンクならキットを買って自力で修理も出来たのだが、あの音は終わりを告げるものでしかなかった。

急いで自転車店へ向かう。
何故なら近所に自転車店がないからだ。
今の自転車を買ったホームセンターは閉店し、思い当たる近場の自転車店も閉店している。
そう、自転車難民状態なのだ。
そして明日以降も自転車はいる。
今日中にチューブ交換をしなければ、悲惨なことになりかねない。

思い当たる店を目指して走ること10分。
途中の反対車線越しに自転車チェーン店を見つけた。
もちろんUターンして入店。
20分ほどですぐ出来るという。
ありがたい限りである。

その待ち時間、フリーWi-Fiを接続し書き込み開始。
書き終わるまでに作業終了。

そんなところである。

時代の変化か人類の進化か考えてみる

赤ちゃん。
子供。
成人。
中年。
老人。

人間は確実に日々年を取る。
それは成長である。
だが成長のピークを過ぎると老化が始まる。
いつまでを成長としどこからが老化かは個々によって違うが、
分かりやすく芸能人を見ていると、老化(劣化)を感じることがある。
表現を良い方にもっていけば、熟した・味わい深くなった等とも言える。
但しアイドル的な活動をしていた女性は、その若さたる魅力を全面に出しきって活動しているがゆえに、10年後、20年後ともなると、明らかに年を取ったなぁと思わざるを得ない人が多かった。
それはそれで深みが増したり、新たなポジションで活躍しているので違和感こそないのだが。

昨日某歌番組で「森高千里」さんを見た。
一時は家庭に入り芸能活動をセーブしていたように思うが、最近は歌謡祭の司会など活躍の場を広げているという認識があった。
時間の都合上見ることもなかったが、久々に見て思ったのは「可愛い」のである。
代表曲のひとつである「わたしがオバサンになっても」を年齢的にオバサンになった森高が歌うのである。普通ならこんな自虐はない。
ただこれは例外である。100%変わらないとは言わないが、劣化が進んでいないのである。
実は森高がブレークする以前から当時はCDだったのでCDを持っていた。
整った顔。スラッとしたスタイル。そして何より、独特な歌詞と決して上手いとは言えない半音高めの歌唱力。それら全てに注目していたのだが、「脱・アイドル宣言」というアルバム発表した頃から、ポニーテールに大きめのリボン。ド派手なミニスカートの衣装で美脚全開といった出で立ちに少し冷めてしまったのである。
多くがそのパフォーマンスを絶賛していたが、ザ・芸能人の要素は要らなかったのである。

結婚・育児を経て復活した森高さんを見て、人類の進化を感じた。
かつては吉永小百合さんにしかなし得なかった「劣化の遅延」を実現しているのである。
少なくともフェイスリフトなどの外的処置なども行ってはいまい。
それであのクオリティーなのである。完敗。

次はガッキーこと新垣結衣さんの20年後を見てみたい。

憧れは峰不二子

好きな女性芸能人は?という問いかけがあったとしたら、
その時々で出てくる名前が変化するだろう。

好きな女性のタイプは?という問いかけには、
ストライクゾーンは広めですと言ってきた。

では憧れの女性は?と聞かれたなら、
「峰不二子」ですと答えてしまう。


漫画の世界のキャラクター。
実在しない女性。
もしいたとしても、男を翻弄し弄ぶ悪女なのだが何故か憎めない。
抜群のスタイルと愛くるしい表情。その心の内は優しい一面も持っている。
ルパン三世という男性によって引き立てられる魅力は無限である。
現実に存在したらかなり厄介な女性なのかもしれないが・・・。

裏切りを繰り返し窮地に追い込まれても許してしまう。
許すというよりは、それさえも想定の範囲内と分かった上で行動する余裕がないと付き合える相手ではない。
そして最終的にはピンチを共に乗りきる仲間であっての事。
実社会でそれはあり得ないって話だね。

可能性があるとしたら、自分がルパン三世ばりの許容範囲があるかって事になるけど、その柔軟性は何度となく挫折した経験で狭められたかも知れない。その評価は自分自身ではなく周りが採点するべきであろうから、高得点を期待するつもりもないのである。

結局のところ本当の憧れは「峰不二子に振り回されているルパン三世」の生きざまなのかも知れない。



2019年8月3日土曜日

クイズ番組でワクワクしてしまうこの頃。

TV番組の定番コンテンツのひとつがクイズ番組。
数多くのクイズ番組がいまだに存在し、お茶の間を楽しませてくれている。
何十年も賞金100万円が上限なのは景品法かなにかの絡みらしいけど、今の時代でも100万円は大金だなぁとは思う。
クイズ番組で好きなのは、タレントが出ているバラエティー色が強いものより、ガチで専門的な知識をぶつけ合う番組が好きです。

最近だと99人の壁というクイズ番組が好きです。
ちなみに今オンタイム観賞中。


サヨナラ サヨナラ

若い頃、別れ際の挨拶は「またね」が基本だった。

サヨナラが言葉として強すぎて使えなかった。
使うときは本当の別れがそこにあるとき。
背中越しに「サヨナラ」を告げてきた。

目の前に愛した人はいない。
自分の歩いていく先にその人はいない。
振り返る事もなく進む為のきっかけの言葉だった。

今でもサヨナラを使うことはあまりない。
さようならでも同じだ。
もう2度と会わないだろうという人には自然と言ってるかも知れないけど。


追憶は儚き夢のその先へ

学校であれば春が卒業のシーズンだが、それ以外であれば自分でひとつの節目として「卒業」という選択肢を迎える人もいる。
何だかの「業界」に所属し辞めるのであれば卒業という表現もありであろう。

ある人の「卒業」が発表され、後日粛々と実行された。
されたらしいが正解なのかも知れないが、直接関わってきた訳ではないので、現実的に「消滅」した情報をみて受け取っただけなのだが。

このブログを開設したころだったかな。
偶然見つけた書き込みの斬新さと時に見せる切なさ。
常に何かと戦ってる状態にあったり、とにかく変わりやすい天気のような書き込みに興味があったが、それ以上何を求めるでもない。
勝手に生存確認しているみたいな感じでしたね。

一度だけDMでブログ見てます的な事を送ったら、返事が来たなぁ。
短いコメントだったけど、ありがたかった。

でもその一度でそれ以上関わる事はなく過ぎ・・・。
その人は決断の日を「卒業」と位置付け迎えたのでした。

会うこともなく、この先も何もなく、でもどことなく近い存在だったその人の卒業。
おめでとうではなく、お疲れ様なのかな。

人生の分岐点に卒業を当てはめることはかなりの決断だと思う。
自分は色々道半ば。
卒業といえる節目は遠い気がする。

過ぎてますよ・・・と言いたい。

まさかの出来事。
このブログ開設から1年が経ちました。
地道に思い付くまま気の向くまま書き連ねていこうとは思いましたが、ここまで続くとは思ってなかったです。

このブログの始まりの物語は遡ってみれば分かります。
自分でも振り返ってみたら納得の文章がありました。

ただ、どこかで期待していた閲覧人数(3人)は一瞬の出来事。
まぁ、見て興味がなかったとか明確な返答が来そうなので深掘りしません。ここはあくまで私の居所であり遊び場なのですから。

そして1周年は既に2ヶ月前に終わっていた事実。
特に記念の何かを考えていた訳でもないのですが、昨日そろそろかなと思っていたら此の様です。

それはそれとして、夜間飛行の冒険は今暫く遠い世界のままですが、自身の内にあるパラレルワールド全開のこのブログは継続します。
不定期更新が続いているけど、毎日更新目標にしてます。

何故かって?
唯一あなたが読んでくれているからです。

私以外のあなた。

別世界の自分なのかも知れませんね。

2019年7月29日月曜日

落とし穴があるって分かってるドッキリ

社会派コメンテーターでもないけど、見てるうちに考えさせられるY興業の一連の報道。
発端となった「嘘」から今やお家騒動に発展。
二の矢三の矢が待ち構えるなか、本丸は燃え盛っているようである。

結局のところ、着地点を見失ったまま旋回している飛行機に、空からパラシュートも着けずに飛び乗る若手と、緊急着陸を試みる為の特別な滑走路を急きょ用意しようと奔走する大物タレントの構図である。
但し、所属芸人6000人に対し、500人ぐらいまでなら受け入れるとしたある大物の言葉はリアルで、残り5500人は戦々恐々とするべきである。
舞台に立ち渾身のネタでお客さんを笑いで喜ばせる実力があるものが「選ばれし者」になるわけである。
一生懸命とか、努力しているとか、そういう尺はないのであろう。
TV向きとか、スポンサーに受けが良いとかも関係ない。
「おもろい」か「おもろくない」か。
そのふるいにかけられる方が怖くはないか?
芸人として審判の日をこんな形で迎えたなら、5500人は即引退に追い込まれるかもしれない。

お笑いって何なんだろうと思わせてはならない。
陰の努力を評価して貰って凄いと思わせるのもナンセンス。
実に下らない事でさえ全力でやってみせたり、扱いにくい時事ネタもさらっと笑いに変える魂が優劣の分かれ目なのだ。
飽きられる前に新しい事をやったり、飽きられるギリギリのラインで継続したりとスタイルは様々だが、この騒動が引き際に達したとき、その波間に足元をすくわれる便乗者達。
空気を読む。流れを見極める。その能力さえも持ち合わせていないまま、自分発信しちゃったことを悔いても遅いのである。

突っ込みどころ間違えましたって楽屋で詫びるのとは違うしなぁ。

まぁ、芸能界と反社の繋がりを断ち切るって所に戻って、記者会見なり声明を発表するなりしたところからやり直しですね。

落とし穴があるって分かってるドッキリに見事填まっても、その穴の深さを知らされていなかった方がドッキリですな。

2019年7月27日土曜日

前のめりの後退り

人生。立ち止まっているぐらいが無難である。
まぁ、年齢的にもそう思える領域に達したというべきかな。
当然、それまでは「知る」必要性を感じて大いに前のめりになっていた時期もあった。
無知であることは経験値の欠乏でしかなく、それを補うのも経験値である。そんな信念の元、興味の矛先に前のめりになっていくのである。
「知る」を目的に進む場合、教わることと、教えられずにかわされることが点在する。
時には騙されるも潜んでいる。
無知はある意味無敵であって無防備でしかない。
例え旅の始まり。レベル1でも最低限の防具程度の知識と、意味のない過剰なまでも自信は携えておきたい。

今は穏やかな時を過ごしている。
前のめりで進みたい気持ちを後退りして平行を保ってるようだ。
波風も穏やかで良い。
レベルMAXの剣と防具。最強魔法を手にいれたような今が、特に危ない橋も渡らない位置についているのであった。

2019年7月23日火曜日

蜜会

そんな言葉はないと思われるだろうが、はい、ありません。
言葉として密会(隠れ忍んで逢うこと)はありますが。
あえて作ってみました。

自分の人生の中で「蜜会」だったなぁと思うことを思い返し、
「密会」ではなく、甘い時間というか、有意義な時間だった事を振り返ってつけてみました。
内容は秘密です。秘蜜ではありません。

その経験は自分の人間形成に無くてはならないものであり、成功と失敗を織り混ぜたものです。

自分が何者であるか知るには、自分が何者であるか聞けばいいのです。
包み隠さず、飾らず、あるべき姿のままを評価してもらうのです。
その中で如何に鋭く自分を酷評されようとも、真実を見せてくれる人に一瞬でも関われたなら、それはかけがえのない財産となるのです。

蜜会は蜂の一刺しのごとく、痛みを感じた後は先がない出会い。
なのでこの先そんな刺激的な出会いは無いかもしれませんね。

進化から衰退へ

ダーウィンが唱えた進化論。
詳しくは知らないが人も元は猿だった的な事だろう。
遥か昔生きとし生けるものが生き抜くために進化を遂げていたのである。
人間は形態こそ今の姿を形成して以降、知恵を進化させ続けた。
自然界にある様々なものを利用し、開発し、道具を使うことで更なる進化を成し遂げているのだ。
その先にあるのは、その利権をめぐっての争いでしかない。
いかに優れた者達によって世界をコントロールするのか。
どこかしら先の見えた終末に加速度をつけているように見える。
もはや、生命体としての進化ではない。
おろかな歴史を紐解き、あってはならないと教えつつ、その一方で力のあるものが制する構造を膨らませている。
ただそれは虚空の風船でしかなく、限界を越えれば破裂しかねない。
もしくは誰かが緊張の糸を切り、自己中心な針先を押し当てれば終わってしまう脆さである。

もう少し人間が進化出来れば回避出来るのであろうか?
それも謎であるが。

2019年7月21日日曜日

嘘も真実も時間の経過で信憑性が欠けてくるという事実

一連の芸能不祥事報道もクライマックスを迎えようとしている?
謝罪会見と契約解除。引退に追い込まれるのか。
会社の体質。一芸人の認識の甘さ。
結局問題視されるべき論点以上に、誰も得をしないスパイラルなのだ。
写真週刊誌が世直しの救世主であるなら、最後までその罪が何であるかと追及すべきであるし、罰についても世論の反応も含め報道し続けるべきであろう。
ただ、どこかでスクープ合戦にのみ尽力している向きがあるのであれば、いずれ淘汰される日が来てもおかしくない。
時代の変化が次の波がきたらであるが、そう思う。

人気商売という芸能の朧気な構造と気質が、現代社会とのズレを埋めることができるのか暫し注視してみようと思う。

見落とすなかれ

お役所仕事。
・・・というべきか、ある行政が絡んだ一件で「?」ってなって確認をとることに。
こちらの勘違いや手続き間違いもありうるので慎重に連絡してみた。

結果は先方の手違いであったことが判明し一件落着したのでした。

知らないで済まされない事って、特に公的手続きに関しては多く存在しているように感じます。
もっと制度を簡素化出来れば、公共サービスの充実を実感できる世の中になると思うのですが。

そんな中参院選選挙の日です。
選挙前の国政報道の論点は相変わらず国民の期待から逸れている議題で、本題を読み取れないままの投票日。

国政よりも芸人さんの謝罪会見の方が論争になりそうな1日です。

2019年7月12日金曜日

無くし物・探し物・愚か者

焦った。
いつもあるはずの場所に無いとなると慌てる。

記憶をたどればあの時にはこうだったという断片しかない。
可能性を色々紐解くが決定打に欠ける推測ばかり。
もはや諦めるべきかとさえよぎる。
自分の危機管理能力の低さか。
それとも経年劣化による衰えか。
ともかく困り果てる状況に無駄に時間を費やしてしまった。

必要不可欠な物が行方不明になると、その先の展開を苦慮する。
買い換えれば済むとかなら話は早いのだが、そうもいかない。
手続きだので時間が掛かり、その間ずっと無くし物の呪縛に苛まれる。それが嫌なのだ。

でも幸運なことに、探し物は見つかったのである。
見つかったという事実を知ったのは2時間後だったが、その間は自分の中で結構な地獄だった。
そういう経験が活かされるように何かを変える時期なのかも知れない。

2019年7月10日水曜日

空を見上げて

何を思う。
時間は限られている。
自分の成すべき事とは何か。
自分の望みとは何か。
今は一瞬で終わる。
今は次の瞬間過去になる。
未来とはその先の先まであるけれど、
決して止まることがない。
そして過ぎ去っていく。

空を見上げても、
足元を見つめても、
瞼を閉じても、
思うことの先は掴めない。

迷っているのか、
戸惑っているのか、
それさえも解らずにいる。
何も思わないという思いが今という一瞬の全て。
やがて何か見えたら突き進めるかな。
一瞬の先のまた一瞬に。

2019年7月9日火曜日

ヴァネッサ・カービー

最近注目の女優さんです。
ミッションインポッシブル・フォールアウトに出ていて、気になっていたのだが、この夏公開予定のワイルドスピード最新作に出るのです。
ワイルドスピードは大好きな映画で何度も観ていて、次回作の期待もあったのですが、次回作はいわゆるスピンオフで、特殊部隊のホブスが中心の作品。
ですが、予告編観ているだけで期待感がMAXになります。

取り敢えず、スカイミッションとアイスブレイクをもう一度観ないとね。

2019年7月6日土曜日

いや、出てるし。

価値観とか基準とか時代で変化するとしても、
理想的な自分を演出してくれるアイテムは夢の魔法なのかな。
実際に会ったこともないし、会うこともない人にしても、偶然見かけた自撮り写真で衝撃を喰らっています。

カラコン入れて画像修正で瞼を大きくしているのだが、その比率、昆虫で言うとトンボレベルでしょ!!って教えてあげたくなる。
ほぼ眼球出てるし。
さすがにやり過ぎ感が否めない。
詐欺メイクに画像修正でいったいどこへ行くのか・・・。
まぁ、会わない人なのでこれ以上特に何にもないです。

気になる気になる

ほしい情報が簡単に検索できる時代。
全ての情報でなくても、本当に欲しい情報でなくても、可能な限りのデータがあるということ。

最近TVとか観ていて、この人気になるって思うと、ネット検索していることがある。
たいした情報でなくても、今こういう評価なんだなとか、色々頑張っているんだなって思う。
特に深掘りもしないし、公式サイトを登録してフォローするわけでもない。
ただ気になる。その欲求をその都度満たしている。
浅い知識を蓄えて、クイズ王にでもなるつもりか?
と、自分に突っ込んでみた。

2019年7月5日金曜日

電話

電話するの苦手。
そんなコメントのブログを見ました。
たしかね。携帯電話が当たり前なのに、電話でなくてメールとかLINEとかが主流の時代。
相手がいないと成り立たない電話は自分も苦手かも知れません。
昔は夜中4~5時間長電話していたこともあったのにね。
電話代も凄かったなぁ。
今は電話が苦手。
1分以内で終われば良いのだけど、保留で待たされるとイラっとする。
時代なんですかね?

2019年7月2日火曜日

また・・・ね

また会えたね。
またせたね。
また会えるかな。
またね。

また会いたいね。
またせるけど。
またいつか。
またね。


2019年7月1日月曜日

ときめきは良きもの

何日か前寝ているときに見た夢。
同じ日に別の二人から突然の告白を受けるシチュエーション。
この歳になってなぁとどこかで思いながら、ドキドキしてしまった。
まぁ、現実的ではないだけに夢であることを理解しつつ過ごしました。

もちろん登場人物も架空の女性。
会ったことも名前も知らない人なんですがね。

脳内にあるデータが繋ぎ合わせて造り上げた女性像。
だとしたら、クオリティー高めです。

とりあえずいくつになってもトキメキのは良いことだと知りました。
ただし夢の中限定ですがね。

2019年6月26日水曜日

やっときた。

雨です。
梅雨入りです。
恵みの雨でしょうかね。

梅雨入りと同時に台風発生の予報もあって、
いきなりの荒れ模様の予感がします。

適度にお願いしたい。
お天道様には敵わないが。
あれだけ続いた晴れの日がもう懐かしい。

2019年6月25日火曜日

あの空の向こう

過ぎ去りし日々の忘れ物。
置き去りのままの自分の欠片。
出逢わなければ良かったと思い返す。
その思いこそが足止めになっている。

覚えている。
感情が凍てつくあの感覚。
やがて消え去るだろうと安易に願っていたはず。

そう思い通りにはいかない。
未だにどこかに潜んで染みるようにじわじわと。
この身体に巡る痛み。

その先に進むには未だ何か足らない。
自分が変わる為の力を模索している。
辿り着くために。
あの空の向こうに。


色々やってみる

アプリを色々検索して必要なものを入れているのだが、
機種が違うと画面表示がこうも違うのかと戸惑うばかり。
慣れれば使いやすくなるのでしょうけれど。。。

それにしても雨が降りません。
天気が良い方が便利ですが、一気に荒れ模様というのも困ります。
天候に左右される予定がないので、そろそろ一雨欲しいですね。
そうしたら、室内で色々やってる感でも良いような気がする。

軽めに飲むなら

スコッチウイスキーに乳酸菌飲料。

震度MAXなのか。

元端末から書き込みです。
(意味はありませんが)

ワイドショーが反社会勢力での闇営業問題を絶賛放送中。
かなりの時間を割いて取り上げていますね。
大事な問題と言うより、興味本意対象の視聴者向けであることは確かです。
問題の中心は色々コンプライアンス的にアウトなのはわかりますが、
ワイドショーでここまで取り上げるのはいかがなものか。

先週だっけ。
震度6の地震があったり、高齢者の交通事故とかトピックスは消えかけていないのに。
まぁ、報道番組ではないから、ワイドショーに求めてはいけないのでしょうけど。

業界激震とか言うけど、
洗い出したらきりがないっていう闇ありそう。

今回話題の中心になってるタレントさんの番組、たまたまだけど見なくなったなぁ。
高視聴率番組とかあるけど、自分は興味無くなってる。
だからかな。
取り上げられたタレントさんのラインナップ見ても、興味無いです。

リニューアルオープン?

多忙な中不便さ解消のためショップへ。
修理か買い換えか検討するまでもなく、買い換え決定。
日常使いする物だけに、預かり代替えは時間の無駄でもあるので。

なんの話かと言えば携帯です。
すごく高いスマホでも持っていればできない決断でしょうが、
コスパの良い携帯なので修理代とかよりは、新しい機種が安くあがる。
壊れた箇所も新しい機種は機能として無くなってたしね。
メーカーも壊れやすいって気が付いたのでしょう。
見た目はほぼ変わりませんが、新しくなった次第です。

ついでにタブレットも新調しました。
これまでのタブレットが使えなくなった訳ではないのですが、
機能面の不足を補う為に購入。

元のタブレットは次のオーナーがいるのでクリーンアップ。
新しいタブレットを今は覚えている最中です。
取り急ぎカバーを購入してみたものの、フリーサイズ対応みたいなのだったからか、安定感がなく使いにくい!
ネットで専用カバーを注文するはめになりました。

色々調べて買える分ネット通販が便利な訳です。

と言う事で新機種での初投稿。
ただそれだけの回ですが、新しいオモチャを手に入れてちょっと嬉しい今日でした。

2019年6月23日日曜日

形在るものその宿命

文明の利器に囲まれて生活している現在。
それが当たり前と思いがちだが、その状態から一転することはままあるもので。
使わない便利機能が沢山付加価値を誇る物ほど、基本的な小さな故障が不便さを露呈するものなのですね。

きっと今回のこの故障も我慢すれば乗りきれるかも知れないと思いながら、基本的な機能の故障なのでどうも困った。
修理に出すか、買い換えるか。
時間とお金。その択一を迫られる。
今日は時間がないので先送りだが、近日中に選択をするだろう。

しかし当たり前になってしまったアイテムの故障は、
自分の時間をこうも拘束するものなのか。
そう思うと不便である。

2019年6月21日金曜日

夢ならもう少し優しく

最近どうも夢見が···。

悪いというより、過去の精算をするかのような有難い内容が続く。

良い想い出を振り返るキャンペーン?

まだお迎えが来るような歳でもないし、
店じまいする気もないのだが。

スッキリと目が覚めるというよりは、
涙目になりそうな目覚めであります。

何にも考えてないぐらい、
どうしようもない妄想の夢見させてくれよ。

クイズ20人が答えてました

とあるランキングサイトにて。
好きな男性のタイプはの問いに対しもっとも多かった回答は、
「優しい男性」
でありました。

普通。

んー。
もっと具体的な表現をしてくれると良いのだが、
万人受けなのか、言葉足らずなのか不明である。
もっとも、それを知った所でどうなるものでもないのだが。

若い頃、優し過ぎるとか言われてお別れした経験した者にとっては、
「優しいの度合い」
は微妙な感じがしてならない。

経済力とか、イケメンだとかの方が分かりやすくもある。

でも結局、そういう人でも暴力的だったり、自己中立ったりすることを見越して、
「優しい」
に行き着くのだろうか。

ある人は、優しいの他に続けて、
「面白くて、干渉し無い人」
と綴っていた。

具体的であり、勝手に「俺のこと?」
って思ってみた。

まぁ、これもだからといってどうすることもないのだが。

その人がそういう人と巡り会えるのを願うばかりです。

2019年6月18日火曜日

王道の安定感

映画鑑賞が休日の楽しみになっているこの頃。
適当に選んだ映画で時間の無駄遣いしてしまう事もある。

マーベルのアニコメ実写化は好きだが、ハリウッド映画で有名俳優主演というだけで話題作になっているものは割りと避ける傾向にある。
予告編を何処かでうんざりするぐらい観ているからだろうか?
ある意味観た気になっているからかも知れない。

しかし一巡するぐらい映画を見ると、見たい映画も無くなってくる。
B級映画で失敗するほど悔しいものはないからである。

今日はとうとうド定番の王道ハリウッド映画に手を出してしまった。

作品名は出さないが感想はというと、
確かに面白かった。
絶対この危機を切り抜けると分かっていても、観られるのはすごいのである。
シリーズものなので、全部観ようかな。
まぁ、食わず嫌いは良くないって事ですね。

2019年6月15日土曜日

名人降臨

近年e-sports なるものが熱を帯びている。
ネット番組のみならず、地上波TVでもゲーム番組が放送されているぐらいだしね。
ゲームは遊び。勉強の妨げ。無駄遣いの元。
そういう時代は少し遠退いたと言うべきなのかも知れない。

昨日の朝FMラジオに名人が出演していた。
名人=高橋名人である。
16連射を得意とし、ゲーマーの憧れだったレジェンドである。
詳しくはWikipediaでも読んでいただきたい。

自分と名人は1度だけ交流したことがある。
インターネットが普及し始めた頃、今では考えられない高額なPCを買い揃え、全くの初心者で使いこなせずに悩んでいた時のことである。
最初はパソコンオタクと言うべき友人に指導を仰いだのだが、専門用語の応酬に全く反応できず、人間がフリーズしてしまったのである。
パソコンなんかに手を出すべきではなかったか。そう思い始めていた時の事。
何となく閃いたのが「高橋名人」の存在である。
ゲームに詳しい彼なら、ゲーム開発のツールであるパソコンの上達法を教授してくれるのではないか?

インターネットを開き、「高橋名人」を検索。
ホームページに辿り着くと、慣れない操作でメールフォームに書き込んだ。
「パソコン初心者が上達する方法を教えてください」

翌日ぐらいにメールが返信されていた。
本人からである。
期待していたものの、返信があったことですでに感動。
そしてそこに書き込まれていたのはこんな一文だった。

「毎日必ずパソコンを開いて下さい」
要約するとこんな言葉だった。

それからは苦手な意識を振り払い、僅かな時間でもパソコンを使うようにした。
楽しくなるには時間も費用も掛かったが、名人の言葉があってパソコンが人並みに使えるようになったのである。

いまだに感謝している。

そのレジェンドがラジオに登場しているのを聞けて嬉しかった。
3時間の生放送だったらしいが、都合により一部しか聞けなかった。
ただ16連射が実は17連射だったという事実。
そしてあの連打音が聞けたので十分満足である。

2019年6月13日木曜日

呼んだ?

馴染みの店。
いつもと変わらぬ雰囲気。
挨拶もそこそこに席に付く。

お待ちかねの時間だ。
平然を装うには準備が多すぎる。
かといって緊張もない。
特別な空間である。

今日はこう切り出そう。
「呼んだ?」
そしてこう答えるだろう。
「うん。呼んだ!」
予想を裏切らない答えがその場を満たしている。
ただこれは想像の世界。

期間限定のメッセージに出会せば、
消滅後の再開は特別なものになる。

儚き夢の尊さゆえに。

2019年6月11日火曜日

加工場からこんばんわ

デジタル技術の進化は様々な恩恵をもたらしています。
それと伴に虚偽申告の横行ももはや当たり前になっているようですね。
いわゆる「盛る」ってやつです。
そして「盛る」事によって釣られた輩は、食いついた餌が擬似餌だったと非難するのです。
そのやり取りは結局「仮想現実」のネットが主戦場であったりするので、何が真実かなんてどうでも良くなります。
そういう小さな争い事をよそに、肴ににして一杯やってるのがちょうど良いですね。

惑わすことが仕事でも、誘いに乗ったは貴方の勝手。
そんなことも分からないなら、薄明かりの街に足を踏み込むもんじゃないよってね。
お月さんが見ている夜ならまだしも、闇夜は誰も足元のぬかるみを注意してくれない。
雨でも降れば足跡さえも流れて消える繁華街。
酔いの良いのは浮かれて沈む。
表がないから恨みっこ無しよ。

加工されたものより、加工前の方が良かったって言う現実もあったりなかったり。
加工も熟成されると悪くはないのですがね。
いささか賞味期限切れだけは御勘弁をと願います。





朝からクイズ

朝たまたま見つけたクイズサイトで4択クイズをひたすらしています。
軽く500問以上やったかな。
正解率は6割。
早押しでもないのに押し間違えの不正解は苦痛を伴います。

2019年6月10日月曜日

幻想シュミレーション

行ったことの無い場所。
会ったことの無い人。
経験したことが無い事。
これらを想像に委ねるのは至難の業である。

しかし何かひとつ僅かでもあれば、想像の扉を開く鍵となる。
そこからは自由に可能性を広げられるのだが、行き着く先は現実的な着地点が待っている。
脳内環境に蓄積された知識と人格が、想像の限界を線引きしている。

ただ想像している世界は許される限りの楽園を構築し、時間や空間の制限もない。
肉体的疲労も精神的苦痛もない。
思うがまま、思うがゆえの理想郷である。
精神世界は仮想現実世界になどまだまだ入り込めない無限の領域を持っている。
なのに少しの生真面目さが規律のある想像で終結するのだ。
それもまた一興というしかない。

どんなことを想像するの?
誰が出てくるの?
最後はどうなった?
想像にお任せします。

2019年6月9日日曜日

サービス精神 OFF

とあるお店のサイト。
いわゆるサービス業のスタッフのブログにあった一文。
「本日笑えないので、失礼な事があったらごめんなさい」
予め謝罪しておくのが良いことなのか疑問だが、今時の媚びないサービスなのでしょうかね。
器の大きな人なら是非行ってみてくださいってお薦めしたい。
ニーズは多様化している時代ですので。
自分は「楽しみに来ているんじゃない‼楽しませに来ているんだ‼」
といって活動してきた時代があったが、予めテンション低めのところに飛び込もうとは思わない。
まだまだ器が小さいなぁと思う限りです。

って言うより、今から仕事なんです。
では行ってきます。

2019年6月8日土曜日

ラスト

「私を連れ出してくれますか」
突然の問いかけに戸惑った。
その言葉の意味ではなく、頭の中というか脳内に直接語りかけてくる現象に···。
見たこともない異質な世界に放り込まれて、自分がどうすれば良いかも決めかねていた最中だった。
気が付けば隣にいた。
その人がその対象であろう事は何故か理解することが出来た。
状況を見極める余裕もなくその場を離れようと試みる。
得たいの知れない恐怖が全方位で降りかかる。
見えているのに見えない。感じることさえ真実と異なる次元の迷宮に翻弄されながら。

ただ握りしめた手を離すまいと心に決めて。

2019年6月7日金曜日

闇に紛れて

芸人「半社会勢力の闇営業斡旋」で解雇。
確かにヤバいなぁと感じた。
事務所は契約違反と共に黒い繋がりの根絶。
脱税容疑も視野に入っているらしい。
アンダーグラウンドの金の流れが日本経済を下支えている事実を飲み込んで、
浄化しようということなのだろう。

闇はないほうがよい。
光の元に全てをさらすことは難しいだろうが。
バンパイアは灰になる運命なのだから。

2019年6月6日木曜日

揺れながら黄昏てみる

手の届く距離ならそこに居られるだろう。
そう思う程度の感覚的な空間に精神を委ねてみる。
きっと僅かな時間を共有する以外に何も起こらない。
起こす気もないが「楽しい」を巻き起こしてみたい。
今流行りの「承認欲求」ということだろう。
まぁ、その殆どが記憶の隅にも残らない流れる時間でしかない。
冷静になれば少し馬鹿げていると思う妄想。
その先の道など無いエンディング。

頭の中で繰り広げられた物語はその領域を飛び出すことなく終わる。
その方が幸せなのかもしれない。

内面の未知なる影響力とは

芸人と女優の話題も自分の中では最終章。
昨晩の会見全編見たしね。
終始この婚姻が結実した理由が明確に伝わる良いドキュメンタリーだった。

それぞれのプライベートな部分など知る由もないが、勘違いや思い込みに惑わされぬよう言葉を選んでいたのが印象的だった。
自然体でいることが難しい芸能の世界において、「素」でいられる相手に出会ったことは幸運なのだから
ありがちな価値観ではなく、ささやかな幸せを育みたいと感じさせてくれた。

一時期イケメン俳優の結婚などでは○○ロスなどと騒いでいたが、今回はいたって祝福ムードが先行しているように感じる。
報道各社も無駄に世間の評判を拾っていないのか?
世の中がこういう話題に成熟したのか?

ともかく良い会見を見させてもらったと思う。

お買い得の甘い罠

自宅の一室にエアコンを新たに設置しました。
年々温暖化が進行しているのを肌で感じるというか、気温の変化に体がついていっていないのか、まぁとにかく暑いということで、早期に設置となったのです。

まぁ、タイトルのお買得はエアコンではなく、それに伴う部屋のレイアウト変更の際に必要な雑貨を買いに100均に行ったのですが、欲しいもの以外にあったら便利だったなぁっていうものを短時間で物色。結局4点追加でした。
他所で買ったらいくらするって勘定しながら買うと、お買い得感アップするんですよね。
本当はお店のポイント2倍とか5倍とかの日に買いたいけど、そのスケジュールがたたないので、一気買いです。

少額でも何か一気に買うと満足感ですね。
この金銭感覚は大事でしょう。

令和婚最初の衝撃と祝福について考える

新元号になって結婚報道がいくつかあったが、タイミング的に話題作りか回避か?という見方が否めないものが多かった。
SNSやマスコミ各社にご報告という現代的なやり口であったこともその要因かと思う。

今朝は昨夜のツーショット会見を放送しているのを見た。
まさかの想定外カップルの会見ではあるが、会見が進むにつれ静かに納得させられていく言葉の誠実さがそこにはあった。
しっかりと先を見通す事が出来る個々の感情が互いを結びつけて強くなって見える。

美女と野獣などとありがちな表現で括っているが、もしかしたらその例えが大きな間違いであるということを知ることになるのかもと思う。

ただ今後こんなトリッキーなカップル誕生を見ることは無いかもしれない。
まず仕事ぶりや金銭感覚などといった価値観で判断出来るだけの人間性を構築するには、長い時間をかけて磨きあげなければならない。
思い上がりと自画自賛で過ちを繰り返しながら生きていても、華やかさの鎧が朽ち果てれば出会いも繋がりもほどけてすり抜けていく。

妻となった女優さんが会見の最後に大事なこととして言った言葉が印象的だ。
要約すればこうだろう。
「彼の仕事ぶりを大変尊敬しています。これからは戴いたお仕事は全力でやりますが、私以上に仕事が必要な彼をしっかりと支えていけたら」
家庭を守るための決意である。
そしてそう言えるだけの男性と巡り会えたと言うことを知らしめている。

結婚後時を経て離婚を決断した人達の理由で挙げられる「性格の不一致」は、結婚前から分かっていたものに蓋をして過ごした結果でしかない。
もしくはひた隠しにしてきた本性が隙間から流れ出た事故である。
結婚までの交際期間が短いことも話題になっているが、これから築き上げていくのだろう。時間をかけてゆっくりと。
そう捉えるとこの新たな夫婦は上手く行きそうである。

モテない世の男性に希望を与えたとされるが、そこだけは違うのだ。
モテようとして努力することは大事だが、それ以上に自身を磨きあげる術を追求し、たゆまぬ努力をすることで思いがけず出会いがあるかもしれない可能性のひとつを見せてくれたのである。

会見は終始和やかで良かった。
嫌みというか雑味がないのだ。

末永くお幸せに。

2019年6月5日水曜日

ざわついているところに寄せてみる

お笑い芸人と女優の結婚。
特に不思議な組み合わせでもないが、今日は質が違ったらしい。
「モテない。抱かれたくない。気持ち悪い。」といじられ続ける芸人と、
「清楚。透明感抜群。演技派。実力派。」と称される女優の結婚である。
それも入籍を済ませてからのご報告。
フェイクニュースと誤魔化すことさえ出来ない仕上がりっぷり。
世間一般祝福ムードというか、このところの悲惨な事故報道の合間に飛び込んだおめでたいニュースではあるが、衝撃波の強さは暗いニュースを吹き飛ばすには十分なインパクトがあった。

この幸せなカップルをそれぞれ特に応援しているとか、ファンであるというわけではないので、普通に組み合わせに驚くぐらいなのだが。

近年同じ様な組み合わせの結婚は、美男美女だった。
それでもざわついたのだから、明日辺りワイドショーは朝からざわつきっぱなしだろう。
そういう意味では当事者の会見の発言なんかより、無知なコメンテーターの愚かで低俗な祝福コメントに注目であろう。
「おめでとう」と素直に言えない嫉妬のような感情を押し殺して何を発言するのだろう?

明日は早起きか?

2019年6月4日火曜日

アゲていこう

仕事に関しては反省の日々だが今日は休み。
気持ち切り替えてリフレッシュしておかないとね。
色々所要があるけれど、とりあえずこなして時間作ってから何しようと考えよう。

映画でも見ようかな。
買い物でもしようかな。
気分転換大事でしょう。

まずは昼まで忙しいです。

思うようにいかない

理屈や理論はわかっていても、一瞬で消えてしまう戸惑いの日々。
記憶することという能力が低下しているのか、理解する構造が湾曲しているのか。
自分でも情けないと思った。

深く考えるより、単純に答えを導き出さなければならないのだが、アナログ人間はその間違いを意味付けようとしてしまう。
まずはひとつの答えありき。デジタルのようにプログラムして動くことが出来ればミスは減るだろう。
人間は間違いを犯してしまう。そのリスクを最小限にするために機械化や自動化が進んでいる。しかし人間が手を出し操作すれば機械もミスをする。機械がではない。本当はその機械を操る人間のミスなのだが。

そういった単純な事が足元を揺るがして自らを戒める。
まだ倒れるわけにはいかない。逃げ出すことなど論外だ。
学ぶ事を苦痛だった時代に比べ、今は喜びにも感じられる領域にあるにも関わらず、旧バージョンのブレインはバグを産み出しやすいらしい。

リセットしてデリートしてインストール。
できないものかね。
要らない記憶が多すぎる。
その要らない記憶の塊こそが今の自分なのだが。
思うようにいかない。
自分をもっと知る事が必要なようである。

兎は消えてしまったか

他人の生活とかに興味はないが、思考回路には若干惹かれる場合がある。
それが妄想のような文字の羅列であっても、その人個人の言葉であるなら興味深いのである。

ある特定のジャンルのブログを日々観察していたが、とても面白いというか、本来の目的というか(宣伝効果から)かけ離れている日々の出来事や個人的な出来事を発信している人達に注目していたのだが、どうやら元となる経営サイドの都合で閉鎖してしまったようである。
DMのような機能もなく、また関わり合いを持つ必要も無いのだが、ひとつ楽しみが減ってしまった。
似たようなブログなど無数に存在しているのだとは思うのだが、自分が受信できる周波数が限られているみたいで、その範囲に合うものを見つけるのは結構苦行なのである。

自分の個人的な他愛もない感覚なのでどうすることも出来ないが、非常に残念でならない。

これが近い存在過ぎても困るもので、巡りめぐってってことがあると大変なので遠慮しときます。
距離感って大事ですね。

少し遠くに見えた兎がある日いなくなっても、それが自然なら仕方ないのです。
いつか思い出すこともなくなるぐらいの距離。
今の自分にちょうど良いのです。

2019年6月3日月曜日

利権と公益性の滑り台

約20年前だったろうか。
空前の総合格闘ブームの時代があった。
多くの団体があり、様々な格闘家達が入り乱れて戦っていた。
そしてネットがまだ浸透していない時代ゆえに、地上波やBSなどで映像が流れる。
ゴールデンタイムに特番が組まれ、無名の選手が一瞬で王者としてのスターダムにのしあがる。その瞬間を見逃すまいと見入ったときもあった。

栄枯衰退を経て残った団体。新たに創設された団体が今の格闘ブームを支えている。
昨日は生中継で総合格闘技の試合があった。
このところ興味も薄れ見ていなかったジャンルであるが、対戦カードを前もって知って見たくなり、仕事の時間と重なるため録画して見ることにした。

3本あるスペシャルマッチの2本は女性の戦い。
ショーではなくプライドをかけたガチの戦いは胸を熱くさせてくれた。
最終メインは神童と呼ばれる2冠王者が、新たなる世界王者に挑むという一戦。
序盤互いに譲らず、どちらかと言えば元王者に優勢にも見える展開だった。
ただ元王者が額のカッテイングをドクターチェックされることで流れが変わった。
試合は継続されたが、傷と共にダメージも深かったらしくKOされるのである。
神童勝利。3冠達成。会場は湧いていた。
しかし地上波を見ていた観客はその瞬間の「生中継」を見ることが出来なかったのである。
ドクターチェックが始まるや否やCMがぶっこまれた。
ドクターチェックに要する時間に規定こそ無いだろうが、CMは決められた秒数があるはず。
30秒か45秒か1分か。CM明けにまるでリプレイのようなダウンが飛び込んでくる。
そこで試合は終わるのである。
見たいのは鍔迫り合いの攻防ではなく、その瞬間なのである。
ましてや、生中継であるならオンタイムで見たい。流れを切り取られず見たい。そう思うのが普通なのだが、ディナーのコース料理のメインを食べ損ねてデザート行ってる感じ。
ミルフィーユ食ったあとにフィレステーキ食えるか?ってね。
(食べれなくはないが例えるならである)

その後運営サイドが謝罪文を公開していた。
つまりCMのタイミングの主導権は運営にあったということか?
通常は基本、試合のインターバル(60秒)をCMに当てているのだが、試合の継続中にやらかした運営は格闘家ではなく事業家なのであろう。
試合の流れはわからなくても、お金の流れはわかる。
でもスポンサーもこのタイミングで入れるんかい‼って言いそう。

その後ど深夜に「天龍源一郎引退試合ドキュメント」やってました。
CMのタイミングは絶妙でした。

2019年6月1日土曜日

恋愛理論の無機質と有限性

ここは遊び場。
公園で例えるなら砂場。
形の無い領域に踏み込んで造るのは砂の山。
高く高く積み上げて、帰る間際にリセットする。
もし取り残されても、風や雨がそして人がその造形を変えていく。

愛だの恋だの語るに足らぬが、
決して何かを極めただの悟っただの言える訳ではない。
ただ一人遊びの砂場に小さな山を造りたくなったのかも知れない。
風化し消え行く定めを感じながら。

片想いは自分のものか。
自分の身体の中に秘めたる内は永劫にそうであると言えよう。
ただどこかで外の世界にこぼれ出してしまった瞬間から変化する。
伝えたい。共有したい。受け入れられたい。
行き場を求めて言葉がさまよう。
弾けて砕けるか、受け入れられる喜びの日々を掴み取れるか。
その瞬間までの不安とその先の不安が交差する。

故に思うのは片想いはそのままで良いのではないか。

何度も何度も辛い思いをしたくない弱さが足元に有る限り思う。

両想いという幸福を得たとしても、あくまで片想いであることに変わり無い。
誰かを想う気持ちを維持し続ける事で継続される形ではないかと思う。
誰かが誰かを想う。想い合う。
それが求めあい、許しあい、育み続ける原動力が片想いではないかと思う。

片想いのバランスが崩れて足元が揺らいだら、それで決裂する。
崩壊はたったひとつの亀裂で終焉を迎える。

自分を思う以上に誰かを受け入れる器がなければ、
片想いさえも成立しないのである。

そういった意味では自分は小さな器で頑張っているなぁと思うのである。