2019年8月30日金曜日

人の成長を見守るならまずは己がその先を歩まなければならない

子供の頃は偉人や有名人に憧れや尊敬の念を抱くもの。
但しそれは与えられた知識の蓄積で、刷り込まれたものに過ぎない。
成長と共に自分で取捨選択をし始めると、尊敬できる人物像は限られてくる。偏ってくると言ってもいいぐらいだ。

かつて尊敬していた男性は、その人生の中で女性関係によるトラブルや失敗が明るみになるケースが多く、その度に興醒めしたものだが、今となっては「致し方あるまい」と他人事として納得できる。
それなりの代償を払って事を納められるのだからと。
自分には到底真似できないと思うのであった。

振り返ると、現実的に関わって尊敬できる人物の多くは女性である。
師と仰ぐべき人。憧れの念と両方持ち合わせた人。偉大なるは女性であるとさえ言い切れる。
幾つかの失敗や試練を乗り越えくぐり抜けて来たからだろうか、3分以内に相手の本質的な感覚が読み取れる気がする。
気のせいだと弱気にならないのは、経験値と距離感が方程式のように組合わさっているから。
勿論すべての人に当てはまらないし、データ圏外・予測不能な人もいる。好意的ではない。敵意を持っている。無関心。などは最初からあまり深く読み取る無駄な作業から削除するようにしている。
当たり障りのない優しい言葉でその場を乗りきるのだ。
逆にスッと懐に入り込んでくる人は、一見無防備に見えてガードが固く、知性的で無駄がない。これが共通している。
あとは人それぞれの個性によるところだが個々に魅力的なのだ。
そして何度か接しているといつのまにか引き込まれ、自分の中で尊敬できる人物になっているのだ。

尊敬に値する人物に年齢などの制限も何もない。
個人的主観で言うのであれば、3分ルールの先にある展開でその人間性が素晴らしければ、その人物を敬うのは当たり前なのです。
自分の直感の精度が上がればそういう人とも出会えなくなってきますが、世の中狭いようで広いものです。私の半分ぐらいしか生きていなくとも、私よりもきっと高い志を持っている人はいるのですから。

もうすぐその中の一人が新たな人生の岐路に進むそうです。
色々救われた事など、僅かな時間が何倍にも増幅して今は感謝しかないです。
きっとその人からすれば「何にもしてないよ」って言うでしょう。
受けて側の影響力は半端ないです。
もしそれが自然体ならそのままありのままで進んで下さい。

人との出会いはその関わり合いの時間ではなく、終わりが来るまでの瞬間の連続なのです。
記憶は忘却の彼方へ誘おうとも、生きる上での指針のひとつになりました。

自分は認められる程の人物だったか?
聞いておけばよかったな。
きっと語り尽くすには時間がどれだけあっても足らないけど、ちょっとした無言の時間の方が通じ会えたのかも知れない。

自分自身まだまだ道半ばの若輩者です。
なので負けないよう精進しますね。

そして遠くで祈っています。
あなたがこれからも幸せでありますようにと。



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