2019年10月24日木曜日

クレームの嵐

クレームを言う客は厄介だ。
それは端から見ていてそう思うことが多々ある。
その殆どは自己中心的な言い掛かりで意味不明なものである。
ネットで炎上するような土下座の強要・金品の要求を伴うクレームは、その性質上逆に叩かれてしかるべきとも言える。

しかし理不尽な対応に仕方ないと泣き寝入りするのも気が引ける。
クレームはことの本質を的確に捉えて、改善要求出来ればという場合にするには必要だと思う。

つい先日ある宅配業者の対応(ドライバー)の対応についてクレームを入れた。
詳しい内容は書かないが、度重なる業務放棄的な対応であったので、その行動が会社公認なのか?という問い合わせである。
電話対応の職員は謝罪の言葉を並べるが、こちらの意図はもっと違う方向に向いている。
しばし平行線が続いたが、会社の体質がそういう問題を黙認しているわけではないという回答を引き出した。
それと共に一つ一つのチェック機能が働いていない事に、改善していくという回答を得たのだが、果たしてどこまで真摯に捉えているかは確認のしようもない。
またこのようなことがあれば、またクレームになるだけなのだが。
自分もそんなに暇ではないのだ。
そう言いたい。

結局人間は機械ではないので、こういうことは無くならないだろう。
それは分かっているが、どうしようもなく駄目なものは駄目なのである。

「お客様の声をお寄せください」
と各企業はその窓口を開設しているが、今回の会社はメールの受付が原則となっている。
直接話し合えない(後に電話があったが)スタンスにさえ軽く憤りを感じるのである。

最終的には大人の対応をしなければならないが、私のところにクレームの種を蒔いて欲しくないと言うのが本音である。

あぁ、疲れた。

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