2019年8月4日日曜日

時代の変化か人類の進化か考えてみる

赤ちゃん。
子供。
成人。
中年。
老人。

人間は確実に日々年を取る。
それは成長である。
だが成長のピークを過ぎると老化が始まる。
いつまでを成長としどこからが老化かは個々によって違うが、
分かりやすく芸能人を見ていると、老化(劣化)を感じることがある。
表現を良い方にもっていけば、熟した・味わい深くなった等とも言える。
但しアイドル的な活動をしていた女性は、その若さたる魅力を全面に出しきって活動しているがゆえに、10年後、20年後ともなると、明らかに年を取ったなぁと思わざるを得ない人が多かった。
それはそれで深みが増したり、新たなポジションで活躍しているので違和感こそないのだが。

昨日某歌番組で「森高千里」さんを見た。
一時は家庭に入り芸能活動をセーブしていたように思うが、最近は歌謡祭の司会など活躍の場を広げているという認識があった。
時間の都合上見ることもなかったが、久々に見て思ったのは「可愛い」のである。
代表曲のひとつである「わたしがオバサンになっても」を年齢的にオバサンになった森高が歌うのである。普通ならこんな自虐はない。
ただこれは例外である。100%変わらないとは言わないが、劣化が進んでいないのである。
実は森高がブレークする以前から当時はCDだったのでCDを持っていた。
整った顔。スラッとしたスタイル。そして何より、独特な歌詞と決して上手いとは言えない半音高めの歌唱力。それら全てに注目していたのだが、「脱・アイドル宣言」というアルバム発表した頃から、ポニーテールに大きめのリボン。ド派手なミニスカートの衣装で美脚全開といった出で立ちに少し冷めてしまったのである。
多くがそのパフォーマンスを絶賛していたが、ザ・芸能人の要素は要らなかったのである。

結婚・育児を経て復活した森高さんを見て、人類の進化を感じた。
かつては吉永小百合さんにしかなし得なかった「劣化の遅延」を実現しているのである。
少なくともフェイスリフトなどの外的処置なども行ってはいまい。
それであのクオリティーなのである。完敗。

次はガッキーこと新垣結衣さんの20年後を見てみたい。

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