2019年2月11日月曜日

バンクシーのように

覆面芸術家と呼ばれるバンクシー。
高い芸術性と独自のメッセージは広く知られ、
高い評価を受けるところなのは言うまでもない。

社会の裏側や問題を鋭く切り抜き、
大衆の元にさらけ出す手法は実に高い計算によるものだろう。
もっとも、認められて評価されているからであって、
その評価がなければ、街の落書きとして法に触れる作品も多い。
複数人が関わっていると言うが、その詳細は謎に包まれており、
芸術性をより高める結果となっている。
望むところか、想定外の領域か分からないが、
彼らは突き進むことだろう。

ただそのメッセージに込められた思いは、
世界に配信されているものの、高尚な個人の言葉としてしか伝わらず、
それによって何かが動いたということは伝わってこない。
聞き漏らして、見逃しているだけかもしれないが、
オークションの評価額がトップニュースなのだ。

バンクシーのようにメッセージ性が強いブログを目指すつもりもなく、
影響力を持ちたい訳でもなく、何かを変える力も持たずにいる。
でもどこかに届いている事は確かで、今日もその事を実感しながら生きている。

たまに強い言葉に衝撃を受けたくて哲学書を開くけれど、
本が悪いのか、自分が浅はかなのか、言葉が入ってこない。
だから、自分の言葉を吐き出して軽くしようとしているのかも。

知り得ない事より、知り得る事がつまずきになるほど老いたかな。
足元を見るより少し先を見据えていないと不安になる。
新風より懐かしい空気感が心地良くなる。

バンクシーから遠くなった。
まぁ、それが日常。現実なのです。

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