2020年1月31日金曜日

無機質な世界はすぐそばにある

誰かの心に寄り添うには、自分の心が広くなくてはならない。
感情を緩やかにしておくことも必要である。
言葉のひとつひとつを洩らさず聞く耳も、それに対して返す言葉の選択肢も、可能な限り用意できる程の深さが重要であろう。

薄っぺらいありふれた感情移入は、暖かみより冷たさを増す要素でしかなく、かといって振り切れる程の同調も現実的ではないとさえ思う。

誰かのためにと行動するには、自分の営利を取り除き、無償の奉仕が出来る信念が必要不可欠である。自分を殺すのではなく、自分をしっかりと形成している芯の強さを持ちつつ、周りの状況を受け止める余裕があってこそなのだ。

とある人物がSNSでペット(家族)の死について書き込んでいた。
心が折れそうな日々を送っているという。言葉がその辛さを訴えている。読めば自分もその感情に同化してしまいそうなほどである。
それに対して言葉をかけるのは簡単なのかもしれない。多くのレスポンスがあるように見えたが、その一人になるのは控えておこうと思った。きっとその苦しみはその人にしか分からないほど深く、そこに書かれている内容の真相を勝手に解釈してしまうことも、なにか危険な気がしたからだ。

見ず知らずの赤の他人だと割り切れば、何も感じなくなる。
無機質な世界はすぐそばにある。
だからといってなにか出来るわけでもない。
余計なお世話だと言われかねないからではなく、言葉が浮かばない悲しみをどう表現すればいい。答えが見つからないまま、その人の書き込みになにかを残すことは、あまりにも失礼であると思ったのだ。

それだけこの世界は難解なのである。

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