2020年1月5日日曜日

宇多田ヒカルについて語る

新年のTVに宇多田ヒカルが出ていた。
トーク番組なので歌わなかったが、それもまた良しである。
と言うのも、彼女の感性に魅力を感じるからであろう。
15歳で歌手デビューしてその類いまれなる歌唱力と創造力でスターダムにのしあがったと言うことは言うまでもない。

楽曲や歌手としての評価などをここで書く必要はない。
今回書きたいのはその個性的な感性である。

一時期ネット掲示板をよく見ていた。
今でも公式サイトもあるだろうが、最近は正直見ていない。
よく見ていた頃の楽しみは、本人の日常を綴った言葉の選択が優れている事だった。
変わり行く環境と立ち位置にどこか翻弄されていながら、自分は自分らしく在りたいというメッセージにも取れた。
楽曲がより壮大なテーマに舵を切って行く頃、言葉はやや立ち止まりを見せていた。その頃から公式サイトを始め、彼女の情報に触れる事はなくなった。
勝手な想像だが、周りの力に押されて作品を生み出す時代だったかのように思える。

「花束を君に」は衝撃的だった。
聴きたかった歌がまた舞い降りたのだ。
その後の楽曲も心に染みる気がする。

トーク番組などで見る宇多田ヒカルはいつも独特だ。
世界観というか自分のリズムを身の回りに纏わせている。
壁はないのに踏み込めない独自性があり、それもひとつの魅力になっているのだ。
「落とし物」に自分を重ねて見るという。
なるほどと思うが真似はしないだろう。
真似ることで近付けるとしても、それはそれで違うのだ。

久しぶりに公式サイトでも見てみようかな。
新たな発見がありそうだ。

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