2020年1月28日火曜日

粋でありたい

一歩外に出れば、自分以外の人との関わりが待ち受けている。
自分がどう見られているか。自分がどう映っているかを気意識し過ぎていたらきりがないが、自然体で特に問題がなければ良いのかもしれない。

まるで透明人間のように見えない存在であれば、カッコ悪さも気にならないのだろうが、流石にそういう事はないので、最低限見た目にもこだわらなければならないだろう。
外見的評価は清潔感が基本として、高望みの装いはもはや皆無である。つまりそれによって何かが変わる事を期待しなくなったと思う。
それよりは内面的に繊細な気遣いが出来るかである。
言葉も仕草も行動も、如何に「粋」であるかなのだ。
無理に取り繕ったところで、不格好な醜態を晒しかねない。
ちょっとした気遣いがさりげなく出来ることが、果たして今の自分に出来ているのだろうかと思う。

かねてから気を付けていることは一つある。
誰かに何かをしたときに、「してあげた」と思わないことである。
つまり貸しを作らないこと。
勿論、借りは作らない。
その関係性に「粋」は感じない。
優位な立場になれば、人は上から目線の横柄さを露呈してしまう。
それは避けたいのである。

誰かを手助けしたとしても、名前も告げず去っていく善人程とはいかないが、懐の深い人になりたいものである。

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