2019年3月23日土曜日

カウンセリング

ネットとかで悩みを打ち明けたり自己解決の文章を見かけると、
自分なりの解釈を言いたくなる。
言いたくなるけど言わない。
関わることが正しいと限らないからである。

20代の頃かな、なぜか多くの友人に相談を持ちかけられていた時期があった。
今のようなSNSとかケータイもない時代の話。
自宅(実家)の電話が良く鳴っていた。
あまりにも電話の使用率が高いものだから、電話代は自分が払わされていた。
夕方から深夜まで、色んな人から掛かってきた。
他言無用。秘密厳守。信用一番。
自分でそう売り込んだわけでもないのに、なんだかなぁ。
商売にしていたら儲かったかもしれない。

そのお陰か悩み事に対して耐性が付いている。
おおよその悩みは自分の中での解決策がありつつも進めないジレンマなのである。
否定することへの恐怖。
肯定することへの敗北感。
自分を守ろうとして自分が閉鎖的になるだけなのである。
その鍵をいくつか持っていれば、あまり悩まなくてすむのである。

ネットの書き込みとかで見かける悩みとかに、勝手にメールでアドバイスしても喜ばれないだろうし、迷惑極まりないかも知れない。
それ以上に更なる悩みを打ち明けられようものならこっちが疲弊してしまうと思う。
なので、そういった行動には出ないようにしている。

人との関わり合いの変化は結び付きと距離感を変化させた。
自分は現実的な接点の関係性だけでも稀薄にならないようにしていきたい。
まだ発展途上の人生観しか持ち合わせていない未熟者なので、
それが精一杯なのである。

つまり勝手に人の悩みを読んでも、
勝手にはお答えしませんっていうお話でした。



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