2019年3月31日日曜日

3月31日 日曜日

おはようございます。
明日から4月の本日は日曜日。
個人的には珍しく休日と仕事休みが重なって、ややのんびりしています。

ニュースを見ると、4月1日から変わりますというフレーズの内容が飛び込んできます。
駆け込みで買い溜めなどをお薦めとかしてる感じは特にありませんが、景気が良くなった感じはないのに物価が上がる傾向はここ数年変わりません。
アベノミクスって言わなくなったのも、目に見える成果がない政策の看板を掲げ続けるリスクに気が付いたからでしょうか。
まさにアベニリスク?

そんなダジャレじゃ誤魔化せない世間の風はどこ吹くやら。
新元号発表準備でお忙しいのが政治家なのでしょう。

2019年3月30日土曜日

ハンナ

今、「ハンナ」という海外ドラマにはまりつつあります。
Amazon primeのオリジナル作品のようですが、1話50分で時間的にも見やすく、
内容も良くできていると思います。
2話まで見終わっていますが、謎の部分がまだあるようで、「続きが見たい」と思わせてくれる構成になっています。
ネタバレに注意しながらですが、主人公「ハンナ」は16歳まで父親と2人で森の中で生活をしていました。その間母を殺害した父親の元上司の復讐のため訓練を受けています。
閉鎖された環境で父親しか知らず、言葉や知識を学んだとして、いざ現代社会の文明にこれほど適応できるのかというところが現実離れに思えますが、挙げ足を取らずに見ればかなり面白い作品です。

日本ではあり得ないというか、この設定を当てはめると、父親も法律違反で罰せられるのでしょうね。
海外だから大丈夫ってことにはならないのですが。

とにかく面白いということでありました。

去らば安らぎの場所

今朝ちょっとした事件が発生。
我が家のソファーにうさぎがおしっこしてしまいました。
ソファーが布製カバーだったこともあり、かなりのダメージを受けてしまいました。
すぐにネット検索で「ソファー ペット おしっこ」で検索しましたが、
結論としてはソファーの処分が的確であろう。。。となり、処分場に運んできました。

そこそこ年数も経っていたし、汚れも目立っていたので、良い機会かな。
ただし代替品となるソファーがあるわけでなく、しばらくはくつろげるスペースがありません。

背もたれのありがたさを感じる日々が続きそうです。

2019年3月29日金曜日

相談窓口

分からないことがあったらここへと連絡が来る。
まぁ、色々興味があることについて調べるし知識がある分には隠す必要もないからね。
今日はパソコン購入についての質問。

値段とかどういうのがお薦めとか。
全く興味がない人にとっては高い買い物でしかないからね。
お得な買い方とお薦めを伝授しました。

いついるの。
どういう用途で使うの。
予算はいくら。
他に何がいるの。

いくつか質問して即答しました。

自分で調べられる範囲の事ですが、
人は人に頼る事で失敗を回避したいのでしょうね。
まぁ、責任転嫁は受け付けませんが。

曖昧すぎる記憶

生涯勉強と言うけれど、
覚えたはずの記憶が曖昧だととんでもない事になります。
苦手だった分野はほぼ記憶すらないので誰かに教えるなどありえませんが、
得意分野だったはずの教科が出来なくなっているとショックです。

ただし歴史(社会)などは新たな発見や解釈の変更、社会情勢等によっても変化があるようで、数十年も経つと内容が全然変わっているのも当たり前みたいです。
下手をすれば、本人として掲載されていた写真が別人だったまであり得るのですから。

学校時代の勉強に興味はなくても、
新しい事を始めるときは常に学びがあります。
ただし、現代は使いきれない機能を持ったハイスペックな製品や、人工知能が代理してくれる機能で、学びの一部が削られているのも事実です。
不便さからアイデアが生まれ、無知から学びを培い、そうやって成長してきた時代ですが、便利さから逃れられずにもて余すか、使いきれずに取り残されるかの時代になりそうです。

春だから

真冬の時期には当然のように少なく、暖かくなって増えるものといえば、
「日本一周」の看板を掲げたサイクリング野郎である。
多くの荷物を荷台に括り付け、その後方に何故か段ボールに手書きのスタイル。
貧乏旅行を猛アピールといったところか。
良く見ると高価なロード車にサイクリング用のスタイル。
それだけでかなりの金額ではあるのだが、基本的な所にお金を掛けているだけなのでそこは理解しよう。
しかしながら、あの段ボールに手書きの日本一周は何故定着したのか。
中にはお手製感丸出しののぼり看板までなびかせている者までいる。

日本一周をする理由の多くは単純に言えば自己啓発であろう。
そして人との出会い、ふれあい。
肌で感じて何かを学びとりたいという高尚な考えなのであろう。
それには贅沢な旅は不必要なのである。
貧乏旅こそが人との出会いや交流を生むのである。
かつて全国行脚をしていた僧侶などのように、僅かな施しが旅を繋ぐのである。
しかし僧侶のような出で立ちでなければ、ただのサイクリング野郎にすぎない。
施しも交流も期待できないのである。

しかしながら秘策はある。
多くの荷物にあわせてマストアイテムとしての一品。
段ボール看板の効力が発揮されるのである。

このアイテムの凄さは計り知れない。
若者の無謀な挑戦を後押ししたい人達を駆り立てるのだ。
食事や飲み物を提供し、寝るところまで用意する人もいるほどである。
短期間のアルバイトを受け入れ、資金提供に協力する優しい人もいるようだ。

ここで思う。
段ボールにインパクトのある計画を書いて放浪すれば、人間そこそこ生きていけるんじゃないかって。
まぁ、それは飛躍しすぎですが···。

ちなみに日本一周する人を見ると、
「頑張ってるのかな」
と思いつつ通りすぎます。
私には段ボールよりネオンの看板の方が影響力ありそうです。

神々の悪戯

この国の不思議なところ。
普通に生活している分には全くといって気が付きさえしないのだが、
神様仏様の数たるや、種類の多さも含め尋常じゃないと思う。
すみ分けが出来ていて混同されたりしないのが不思議だとさえ思う。

お正月等の節目には神社へ行き、受験前には学問の神を拝み、何か頼み事があればそれに強い神のもとへ行き、先祖が祀ってあるお墓のあるお寺へ行き、最後は観光で寺社めぐりなんてする始末。
誰が眠っているかも分からない所に大挙して訪れると言う行為に出るのである。
眠っている側からしたら騒がしいであろう。

なぜ今回はこんな話を書き始めたかと言うと、
「願い」を叶えるべく行動するときに、
人はどこにそれを託すのかと言う話がしたかったからであります。

つまりこの国では受け付け窓口の宝庫といわんばかりに、
「祈願」し放題なのであります。
確実にそこに行かないと御利益がないと言われると難しいのですが、
心という受け皿が大きい人は空を仰いで神に祈るのです。きっと。

普通に美味しいものを食べたときでも、
ちょっとした出来事であっても、
ちょくちょく神が出てきますね。
「神様に感謝」とか「神対応」とかお手軽感覚で使われています。

しかし極限であればあるほど神への風当たりは強くなり、
「神はいないのか」「神は我を見捨てたのか」
などと口走る。

どの神に文句いってるの?
とさえ思うのである。

信仰心の薄い人ほど幅広く神を崇めている風潮さえ感じます。

私はほぼ信仰心がないので神を崇める行為も慎んでいます。
冒涜する行為はもっての他いたしませんが、
なんでも神頼みにしてしまう現代の風潮には疲弊してしまいます。

誰かが病で苦しんでいるとき祈るとしましょう。
祈りを捧げるということは良いことです。
誰にその祈りを捧げるのでしょう。
先祖様、見仏様、神様、誰でも良いとかあるかも知れませんね。
でも願いが叶わなかったときに怒りの矛先にされるわけですから、大変だと思います。

自分は自分の内にある神(居るものとして)に祈ります。
結果すべてが自分に跳ね返ってくるのですから、責任転嫁はありません。
誰かのために祈るとしても、神を選択する必要がないのですぐに祈れます。
何よりプライスレスなのが良いですね。





2019年3月28日木曜日

夢診断無用

今朝の夢。
とても奇怪なものとしか言い様のない夢だった。
まず登場人物が普段の生活とリンクしなさすぎであること。
内容(本編)はほぼ思い出せないが、その出で立ちこそが奇妙キテレツであったのである。

夢診断みたいなのをすれば、何かしらの答えに辿り着くのであろうが、
そこに答えはあるのかと問いかけたい。

本編が思い出せないので強烈な印象が残っているところのみ抜粋。
登場人物は大槻ケンヂ(筋肉少女帯)
その人がほぼほぼ細いベルトのようなボンテージファッションに身を包み登場。
あれは捕まるなってぐらい際どい装い。
そこで何が起こったかは覚えていないが、良からぬ宴でもあったと推測しよう。

お陰で寝不足である。

2019年3月27日水曜日

アスリート的な

第一線で活躍する職業と言えばアスリートと呼ばれるスポーツ選手を思い浮かべる。
常に最大限のポテンシャルを発揮できるように鍛え上げ、競い合うことで成立する。
その限界を感じたとき自ら選択するのが「引退」である。
「引退」を発表しそれまでの功績を労われるのは一部のトップであろう。
その殆どは「静かに退く」形の引退をしている。
多くの人からの賛美を受けることを目的としている訳ではないだろうが、
その恩恵を受けるのは僅かな限られた人物。
競争社会の原理がここにもある。

おつかれさま。

限界に挑んできた人達への言葉はこの一言で集約される。
感謝も労いもまとめているのだ。
受け取った側は「疲れてないけど···」って思っていないだろうか。
自分で決断した人とそうでない人でも言葉の重みは違う。
まだやれる。でも突きつけられたのは引退と言う道。
そういう人にも「おつかれさま」が覆い被さるのである。

近々ある業界の人が引退することを正式に発表しました。
その方に会ったこともないのですが、ネットの中で言葉に触れてきました。
きっと今回の引退を期にそう言う機会もなくなるでしょう。

その方には「おめでとう」と伝えたいと思っていますが、
思うだけで終わるかもしれません。

その距離感のまま。

人生色々ですね。

2019年3月26日火曜日

宇宙の始まりとかなんとか。

人間にとっての概念なのかな。
無限と有限の極みは宇宙の果てとはなんだなんです。
ここで終わりっていうとことがあったら、その続きに何があるのかって想像する。
想像するけれど答えが出ない。
答えがあくまで予測だとしても、理論上あり得る考察として学会とかで認められたらノーベル賞もんですよ。
思うに円周率と宇宙の果てって密接に関係してて、完全なる球体を発見するに値するぐらい凄いことなんじゃないかってね。
天動説とか地動説で揉めていた時代の人って、科学的なことより自分の思想から来る発見能力に長けていたと思います。
まだか自分にそんな能力があるわけでなく、ただ何となく物理学書を読みはじめて思ったことです。

宇宙の歴史からしたら自分の存在なんて·········。
そう言わずに懸命に毎日を生きていこうっと。

うらはら

気付いていても譲れないから、
言葉はいつもの無関心を装う。
訪れるべくして来る日に、
覚悟をもって挑めたなら、
我が身は誰かの記憶に留められるだろうか。

望むことは記憶の隅であなたの幸せを見守れること。

正面切って言える強さがなくても、
うらはらの表の思いはそうなんだよ。

2019年3月25日月曜日

その小さき手に

振り返る事よりも確かな事。
自分の手を見つめ返すより明らかに、
その小さき手の温もりを感じ取った瞬間を、
ただ思い出せば良い。

自分が生まれた瞬間を思い出すことが出来なくても。
あなたが生まれた瞬間は忘れないだろう。
生きていくことは楽じゃないと知っているのに、
生きていくことが素晴らしいと教えられるように。
真っ直ぐ前を歩いていこう。

その小さき手を握りしめ、
その小さき手が離れていく日まで。

2019年3月24日日曜日

擬態

生き物の生存本能の進化の過程で、
自分の天敵が嫌う姿やより強い生物に擬態することがある。

そして人間もあらゆる意味で擬態をする生物でもある。

生き延びていく上で必要かどうかは別としても、
あらゆるシーンで擬態しているのである。
分かりやすく擬態している人もいれば、
擬態することで現実社会に溶け込んでいる場合もある。

気がつけば自分を偽る変化に用いられ、
そのすべてを取り去ってしまうことが恐怖に値する場合もある。

成長は擬態の歴史でもある。
その中心に自分が在ることを忘れてはならない。

2019年3月23日土曜日

プロ根性

グルメレポートでアポなし取材とかをやっているのを見かける。
嫌いじゃないっていうか、結構好んで見ているのでそれを批判しようとしているわけではない。

「すみません。うち、取材NGなんで」
と言うお店も珍しくない。
取材側が何を求めているかにもよるのだろうが、
食べ物屋ならお薦めのメニューだろうし、
商品が撮したいのである。

食べる画が撮れなくても商品が撮れればまだ良いが、
取材お断りは全面拒否が王道だろうと思う。
そこに見えるのは店主のプロ根性だ。
勝手な解釈であろうとも、そういう見方で納得した方がスッキリする。

顔出しNG なのでっていうのは如何なものかって思うのだ。
作っている姿や顔に興味など微塵もないのだ。
厨房が気になってソワソワする食べ物屋ならそもそも行かないだろうし。
秘伝のタレとかスープとか盗むつもりもないし。。。

日本屈指の高級店の料理人とかTVに出ているけど、
そういう人は別物なのかな。
馴れきっている分、そういう人って見れるから。



深い意味は無いんだけど

会話の前後にやたらと付けてくるあの言葉。
「深い意味は無いんだけど」って、それ自体意味無くない?
などと思う。

他にも、
「良い意味で▪▪▪」とか、
「悪く捉えないでね」とか。
これから話すことを反対の意味で租借しろって事なのかな。
ストレートに言えば傷付くかもっていう優しさは、
遠回しの悪口でしかないのではないの?

「やっぱり聞かなかったことにして」
って話の最後に付けるパターンもある。
途中で飽きてても聞いているのに、
聞いてないと怒るくせに、
聞かなかったことにしてはないだろう。
だったら話さなかった事にしてあげよう。
そこに居なかった事にしてあげよう。
そもそも存在してなかったことにしようか。
まぁ、それは考えすぎか。

「今の話内緒ね」もかなり危険だ。
秘密の共有を強要すべく勝手に情報提供しておいて、
漏洩の事実が発覚したときの容疑者に仕立て上げるつもりか。
まぁ、コレに関してはすぐに記憶を抹消することにしているので、
あまり考えが及ばないが。

とかく人は自分の手に余る情報を拡散したい癖があるようである。
共有と共感。
このエネルギーを暇潰しに費やして浪費するのである。
中には快楽の境地に達している強者もいる。
他人のお弁当からおかずを一品ずつ貰うのが好きで、
その味に絶妙なコメントを言っちゃうぐらいの強者である。
決して自分の弁当箱の中身は公表しないが。

「ねぇ聞いて」
と言う誘いに乗ってはいけない。
「なんだ。つまんないの。」
ってそっぽを向かれてもだ。
さんざん聞かされたあげく、つまらなかったとさえ言えない苦痛を耐えるよりは、
愚かでも孤独に忍び潜めていた方が良いのである。

話したがりの人は放置していても結構大丈夫なのを知っている。
ペットの犬や猫にも同じように話しかける術をもっているのだ。
ただ、犬や猫に「誰にも言っちゃダメだよ」はやめた方が良いと思うのだが。

カウンセリング

ネットとかで悩みを打ち明けたり自己解決の文章を見かけると、
自分なりの解釈を言いたくなる。
言いたくなるけど言わない。
関わることが正しいと限らないからである。

20代の頃かな、なぜか多くの友人に相談を持ちかけられていた時期があった。
今のようなSNSとかケータイもない時代の話。
自宅(実家)の電話が良く鳴っていた。
あまりにも電話の使用率が高いものだから、電話代は自分が払わされていた。
夕方から深夜まで、色んな人から掛かってきた。
他言無用。秘密厳守。信用一番。
自分でそう売り込んだわけでもないのに、なんだかなぁ。
商売にしていたら儲かったかもしれない。

そのお陰か悩み事に対して耐性が付いている。
おおよその悩みは自分の中での解決策がありつつも進めないジレンマなのである。
否定することへの恐怖。
肯定することへの敗北感。
自分を守ろうとして自分が閉鎖的になるだけなのである。
その鍵をいくつか持っていれば、あまり悩まなくてすむのである。

ネットの書き込みとかで見かける悩みとかに、勝手にメールでアドバイスしても喜ばれないだろうし、迷惑極まりないかも知れない。
それ以上に更なる悩みを打ち明けられようものならこっちが疲弊してしまうと思う。
なので、そういった行動には出ないようにしている。

人との関わり合いの変化は結び付きと距離感を変化させた。
自分は現実的な接点の関係性だけでも稀薄にならないようにしていきたい。
まだ発展途上の人生観しか持ち合わせていない未熟者なので、
それが精一杯なのである。

つまり勝手に人の悩みを読んでも、
勝手にはお答えしませんっていうお話でした。



甘い罠から読み解くもの

その心に隙があれば、一片の迷いもなく入り込んでくるかも知れない。
それは時に誘惑となり、抜け出すことの不可能な輪廻のように巡り続ける。
他人よりも多くの経験を積んだとか、深い世界を垣間見たとか、事実を自身のフィルターで凝縮して語るには肝心のピースが足らない気がする。

ある方の言葉に興味をもって読ませて戴くことがあるのですが、
まだまだお若いからでしょうか、底無しの底辺や天空からの糸を絡ませるような文章を書かれる時がありますね。
理解して欲しいという着地点にはまだまだ不安定な土壌が広がっているようです。
手の届きそうな幸せに近づけず、踏み出せど思うように進めず、でも自分を諦めない日々の呟きは若いなりにも自分への戒めなのでしょうか。
沈んでしまった立ち位置と引き換えに得た報酬と代償。
その天秤が左右に振れる度に真実とは違う人の流れを受け止めなければならない。

冷静に受け止めれば過去の自分が積み上げた贖罪。
そう捉えて自らを追い込み続けて苦しくなるのだ。

逃げ場のない現実とかけ離れた仮想世界を行き来する。
仮面の下で浮かべる表情を読まれないように近付く魔物達。
触れ合う度に価値のない物理的なやり取りが交わされている。
コップの水が表面張力の限界値を越えて溢れ出すように、
言葉が一面を埋め尽くしている。

必要な経験と不可避な体験。
否応なく刻まれる記憶に翻弄されながら生きていく。
救いの手は苦い。
口にするのも躊躇われる良薬なのだ。
甘い罠こそ深みの連鎖だと知りつつも、弱さを身に纏うものに優しく微笑むのだ。
痛みさえも、苦しみさえも、過ぎ去りし棘の道さえも消し去る。
その選択を間違わないように祈りの日々が続く。

2019年3月22日金曜日

ナンセンス

車で走っているとき、前の車にステッカーを貼っているのを見かける。
「赤ちゃんが乗っています」
「子供が乗っています」
自分の車に幼い子供が乗っているので、安全運転でお願いしますといったところでしょうか。
その割りにスピード出しているヤツ。
どうなんだ?って思います。

そういう車は、
「赤ちゃんがノッています」
とかにしてくんないかな。

暴走しちゃう輩は、
「子供が運転席に乗っています?」
とかにして欲しい。

無理か。


2019年3月21日木曜日

卒業シーズン

学生にとって卒業の季節。
最後の卒業から何十年経ったか。
自分の卒業はあまり思い出にない。
卒業式の翌日から働いて慌ただしかった。

アイドルのグループ脱退も卒業と言うけれど、
社会的組織の脱退は「退職」ではないかと勝手に思う。
引退ではないけどフリーになるのだから、会社員が脱サラして独立するようなものじゃないかってね。
アイドルをやめて女優になるとか、そっち方面は特にそう思う。

卒業する分には良いけれど、解散っていうのは時に悲惨である。
グループで需要が発生している方々は、ソロ活動で結果が出しづらいのである。
そんな気がする。

2019年3月20日水曜日

眠たさMAX

このところ映画の観過ぎで眠たい。
家で観る映画は90分ぐらいのものが良い。
飽きてしまうような駄作なら途中で観るのをやめれば済むんだけど、はまると無理矢理でもエンディングまで観てしまう。
途中で一旦切って明日っていうのが難しい。

今日はさすがに映画に手を出さず、取り貯めたTVを2倍速で鑑賞。
時短最強です。
睡眠不足はお肌に悪いので要注意です。

戦国時代終結か?

つい数年前までアイドル戦国時代とマスコミが謳っていたのが懐かしい。
AKB48を始めとするAKBグループを中心に、アイドルグループが栄華を放っていた。
地下アイドルとかも含めるとどれだけの数が存在するか未知数なのだが、とにかく沢山いたことは事実だ。
なんせ地元活性化の起爆剤とかいって、我が地元にも2つのアイドルグループが誕生したのだから驚きである。(うちひとつは1年程で活動停止したようだが···。)

どれもあのAKBに習って会いに行けることをコンセプトにしている風潮がある。
もはやスターではなく、お手軽タレントなのだろうか?
地下アイドル的な方にとっては、現金収入を得るには好都合な売り文句だが、ある程度マスコミなどに取り上げられ、メジャーになったアイドルには足かせというか、かえってリスキーな部分も多いような気がする。
何かあれば写真週刊誌の餌食になり、過激なファンにはストーキングされ、なかには仲間を売る輩さえいるかもしれない世界。
ただ、地上波TVの歌番組減少と共に活躍の場を失ってしまった分、鎮静化しているようにもみえる。
一部の人気アイドルがバラエティーやCMで活躍している以外、その動向を伺い知ることはない。
アイドルオタクと自負する方々は、あらゆるネットワークで情報収集し、力の限り応援しているのだろうが、私はそういう方向性に向いていないので全然分からないのである。

ただひとつ言えることは、プロデューサーとして成功を納めた人は現代の錬金術師としての地位を確立しているということ。
金の卵がヒヨコにならなくても、金の卵を生む親鳥をもっているようなものなのだ。

今回言いたかったことは、アイドルがどうのではなく、アイドルを大量生産していることでひとつの産業が成立しているということ。
ただしこの産業は周期が早く使い捨て感が強い。
生き残りをかけた戦国時代も終わりが近い気がする。

ナンシー関は何者なのか?

最近仕事の食事休憩の僅かな時間のなかで読んでいるのが、
ナンシー関という人の名言·格言の本である。
この方の名前は何となく知っているが正体不明のまま。
ただ読んでみて面白いので読んでいる。

世の中を斜めから見ている感性の人はこういう物の見方なのだなと思う。
共感というより感心する。
お笑い芸人がとっておきのギャグを言っているのに拍手するぐらいの感心度である。
暇潰しにちょうど良い。

2019年3月18日月曜日

映画鑑賞終えて

2日間可能な限り映画を観た感想です。
とにかく本数を観たいと思い、直感的に選んだものとかつて観たものと織り混ぜながら観ました。
まずは過去に観た作品は安定の感動あり。
観たことはないが話題となった作品は良く出来ており。
何となく選んだ作品はエンディングが???
ある映画のパロディー作品は最後まで観ることに堪えられず中断。

といったところでしょうか。
作品名や内容は伏せておきます。

2019年3月17日日曜日

夜専用機

夜にTVを見ていると音を小さくするように言われることがある。
確かに寝ている側からすると眠りを妨げる雑音でしかないだろう。
少し前まではTVにも使えるヘッドフォンがあったのだが、我が家のペットに軒並み配線をかじられ3台が犠牲になった。
そんな訳で新たに1台TV用のヘッドフォンを購入。
色々見ていると、ハイレゾ対応の10万円するものから、千円前後で買えるもの等多種多様にあるものです。
今回購入の決めては、コードが長い事と、一定の音質が聞き取れるもの。そして値段が安いもの。耳を完全に覆うイヤーパッドタイプのもの。
と言うことで買ったのがコレ。


















音質的にはちょっと弱いかな。
映画などの臨場感を味わうにはそう思ったけど、
夜専用機としては活躍してくれそうです。

後はかじられないでいてくれればですが。。。

2hour After

朝方まで映画を観て一眠り。
予定としては4時間以上の睡眠を確保する筈が目が覚めてしまった。
昼寝に向けて慌ただしく家事をこなし始める。

天候は晴れ。
週末は荒れ模様と言っていた予報が完璧に外れている。
晴れる方に外れたのだから許そう。洗濯物がよく乾く事が重要なのだ。

今日中に映画の感想を書きたいと思う。
あくまで個人的な感覚なので偏っていると思うけど。
まずは朝の一仕事を終わらせてからかな。

シネマDAY

今日は1件の用事を済ませて後は映画三昧。
取り敢えず面白そうな映画を検索して見ている感じ。
今のところどうしよもないハズレはないけど、
ラストが意に介せないホラーはあったな。。。
展開が読め過ぎると映画って冷める場合が多い。
自分の予想を遥かに上回る奇抜な映画が好きです。

感動的なドキュメンタリータッチのものは別として。
泣ける映画は思い通りの筋書きの方がより泣けるのです。

映画の感想はまた明日。
もう1本ぐらい見ようと思います。

2019年3月14日木曜日

不安定な毎日

築き上げたもの。
造り上げたもの。
守り続けたもの。
それらを見守り立ち止まる。

破壊の音が近づくのを感じながら、
次の一手を出せずにいた。
理解の範疇は脆く危ういと気付かされる。
声に出して助けを呼ぶ事が正しいのか、迷いの先を見つめる。

崩れ去る現実の先にある創造。
歴史の繰り返しのように新たなページが刻まれる。

求めた日々を覆す。
不安定な毎日を手探りで突き進む。
自分を信じる力が尽きるまで 


2019年3月13日水曜日

魔物を解き放て

明日はホワイトデー。
世界中でこの風習があるのは日本だけじゃなかろうか。
2月14日のバレンタインデーは西洋文化から伝来したもの。
海外では好きな人に本など贈るらしいが、日本ではお菓子メーカーの策略で様変わりしている。
近年では義理チョコ禁止が一般化しており良い傾向だが、その恩恵で幸福感を得られていた一部の男性には不誠実極まりない社会現象かも知れない。
自分的にはあまり貰える方ではなかった記憶があるので、いっそ無くなれば良いと思っていた派として、義理チョコ衰退に賛成の票を入れようと思う。

さてホワイトデーなのだが、戴いたものを返すのは道理として、
倍返しやブランドものでないと受け付けませんといった時代を経験済みな自分にしては、
多少の恐怖感が否めない。
今の環境ではそういった脅迫観念はないのだが、そういう時代もあったなぁと思う。

バレンタインデーにしてもホワイトデーにしても、普段の抑圧された感情を放出するのにうってつけの言い訳イベントとして定着しており、咲く花あれば散る花もありのおぞましい修羅場の1日である。
好きな人に告白して良いみたいな特別感が背中を押すまでは良いが、誰が責任持つんだ❗と言いたい。
桜の季節になぞらえて潔く都まではいかない感情が渦巻く季節。
咲くよりも散り行く花の重き春。

さぞかし明日は春の嵐が吹き荒れることでしょう。

闇に紛れ 裏に潜む

表の顔と裏の顔。
人には2つの顔がある。
いやもしかしたらそれ以上かも知れない。

そして街にも表と裏ある。
昼と夜の顔だ。

街は時間と共に変貌を遂げる。
昼の賑わいは過ぎ夜のざわめきに包まれる。

通り過ぎる人も限られた人達。
望んでこの場所を訪れる。
そこは水辺。
人々が集まる領域。

癒しのあるオアシス。
ただ時が過ぎ去るだけの小川。
修行の場とおぼしき滝。
そして決して近付いてはならない沼。

その全てを知っている。
その全てをこの目で焼き付けてきた。

多くは語るまい。
多くを語ることは夜を知らない者へ誘惑と恐怖を植え付ける。
知りたければ自ら飛び込むしかない。
己を信じ、己を疑うことで開かれる道となる。
浅はかな知識や思い込みでは飲み込まれるだけの深い闇。
愚痴るほどなら、己を恥じればよい。
高らかに語る事さえ陳腐な人間味をさらけ出すだけに過ぎない。
漆黒を纏い溶け込み同化せよ。
魅力と魔力の世界を堪能せよ。

夜が明ければ我に返り足元の差し込む光に救われるだろう。
自分を失っていなければ。
自分を忘れていなければ。
自分を捨て去っていなければ。
自分を恥じることを是とするならば。
自分を崇高な世界へと高めた感謝の念があるならば。

夜を進み歩む意味が次の朝に繋がっていくだろう。

晴れのち晴れときどき晴れ

季節が変わり行くのを感じる。
真夜中の外の温度は凍てつく寒さを通り越し、
身の危険さえも覚えるほど。
朝日が登り視界が広がるようになると、
溶けだすかのような温度上昇が待ち受けている。

風の冷たさに羽織ったアウターも、
にじむ汗と共に置き去りにしてしまうほど。

季節の移り変わりと、自分の中の時間軸のずれが揃わない。
少し遅れて、少し早まって準備をする。
ハズレを引き当てる。
そんな繰り返しの日常だ。

想定内の出来事の中の予定外。
理解できているはずの次の一手が狂ってしまう。
予報は予報。
寒さで引き締まった身を研ぎ澄ませて行こう。

2019年3月12日火曜日

スケジュール満杯

今日は忙しい一日になりそうです。
取り敢えず行き先を効率よく回ってこなさないと、明日に持ち越しってなりそうで。
肉体的にも精神的にもこういう予定の日はあとが大変。
大人って大変だなぁとつくづく思います。

大人になって長い時間経っているのに、大人としての振る舞いに馴れていない自分が居ます。


2019年3月10日日曜日

哲学者の本

哲学書となると敷居が高いが、
哲学者の本となると少し様子が変わるものです。

名言を数多く残している哲学者ですが、
その言葉(思想)に辿り着くまでに苦悩しあげ、
中には発狂しちゃっている人もいるようですね。
苦しみの果てに行き着いた場所とでも言うのでしょうか。
出発点は欲望や煩悩からの脱却だったり、
人生の浮き沈みからの解離だったり▪▪▪。
偉大なる賢者も所詮人の子なのは同じですね。

などと勝手な解釈しながら読んでます。

心理学の本とかも同様な感じで読みます。
本来の一般的な解釈よりも、より深いところを探るような作業。
時おり役に立たない豆知識も織り混ぜながら。

行動心理や犯罪心理などが興味津々になります。
ただし、データベースからの統計学的な傾向論は無しかな。

最近読んでいる本の話を支離滅裂にお届けしました。

2019年3月8日金曜日

カウントダウン

目標を決めると訪れるのは結果を見極めるゴール。
通過点やプロセスよりも求められる瞬間。
それを期限付きで行えば、カウントダウンが待っている。

スタートダッシュで逃げ切るか、ゴール直前で追い上げるか。
駆け引きも必要だが手の内は明かさない。

結果が全てならそれでいい。

カウントダウンの緊張さえ乗りきれれば。

2019年3月7日木曜日

空飛ぶ魚

見上げたって空には何もない。
下向いたって何も変わらない。
前を向いてりゃ良いことあるさ。
歩いているから何かに出会う。
それが何かなんて考えて進んでなくても。

知らないことも分からないことも、
不思議なことも納得いかないことも、
まだまだ沢山あるだろう。

でもね。
立ち止まるぐらいなら進んでみよう。
今日より明日へ。

2019年3月6日水曜日

ウルトラマン

子供の頃の憧れといえばウルトラマン。
怪獣や地球侵略を目論む宇宙人を3分で倒すヒーローだ。

TVの世界の作り物だと理解しても、その活躍は心に焼き付いている。

昨日の動画作成は初めて尽くしで苦戦したが、
ピンチを救う為の戦いでもあった。
ただ3分と言うわけにもいかず半日はかかったが、出来上がりは我ながら最高と思う。

ヒーローに憧れてもなれるものではない。
ましてやヒーローは時に孤独との戦いを強いられる宿命を背負っているもの。
出来上がった作品を見返しながら、そんなことを思った。

限られた時間と制約のなかで限界を突き抜けるには、
思いきった発想と瞬発力、柔軟性と忍耐が必要なのだ。
それらを使いきった後は疲れきっていた。

ウルトラマンが3分しか戦えなかったのも頷ける。

2019年3月5日火曜日

敏腕クリエーターになる

今朝は6時から起こされて、何故か動画編集をしていました。
基本やったことないんだけどね。
まぁ、なんとかなるでしょでやっちゃいました。
スライドショーに音声ファイルくっつけて、曲が短いので2ループして、
頼まれてもないけど、ちょっと演出加えまして。

まぁ、初めての割りにはよくできました。
ソフトが優秀なのでしょうかねぇ。

しかし締め切り直前で大事なサプライズ動画を朝いきなり作れって、
どうかしてるぜ❗
って、作れる俺もどうかしてるぜ❗


2019年3月4日月曜日

Oh! My Car

いよいよ走行距離が16万キロ達成しました。
海外ではこの倍以上走行している車もあるようですが、
日本では10万キロ越えたら寿命みたいな感覚が未だにあります。
きちんとメンテナンスして乗っていればまだまだ走れるのですが、
新車に乗るステータスみたいなものがあるようですね。
取り敢えず安全に乗れるうちは今の車で良いかな。
今日はオイル交換とか色々メンテしたので、暫くは大丈夫と思う。
愛着というより、生活の足として大事にしたいものです。

2019年3月3日日曜日

時空を越えよ

足元に大地が広がっている。
見上げる空も果てしない。
変わらぬ世界は現存空間の呪縛。
当たり前のように過ぎ行くのが平和なら、
その裏側で争いが起こっていてもおかしくない。
自分に特別な力が宿ったなら迷わず時空を越えよう。
本当の自分を知る旅に飛び立とう。
恐れを知らないうちは挫折も必要だと知るだろう。
現実さえも今は棘のように行く手に立ちはだかる。
その道を切り開く為に開眼するのは一歩先行く勇気しかない。

自分の可能性を信じて。
見えるものだけではない壁に立ち向かおう。

2019年3月2日土曜日

あくび

眠い。
緊張感。
ゼロ。

ただそうとも言ってられない。

刺激的な出来事はいらない。
平和に一日が過ぎることを願う。

寝ているときに誰?

最近朝方に見る夢は男性芸能人が多い気がする。
TVで最近見たとかその程度の情報量で夢に出てくるなんて。
ストーリーはそれぞれバラバラだが、特に印象的でもなく過ぎて終わる。

出来れば女性の方が良いのだが、自分の夢とはいえ上手くいかないものです。

迷宮からの脱出

リベンジしてきました。

地図検索の出発点を限り無く目的地の近くで知っている目標に設定。
暗く細い道を進むと目的地を無事発見。
ただ帰り道をそのまま突き進む暴挙に出た結果、これまた遠回り。
あまり利便性のよい地形ではないようです。

夜中に走って知らない道をウロウロするものじゃないですね。

2019年3月1日金曜日

真夜中の迷宮?

私の車にはナビがない。
車が古いからとかってあんまり関係ないかな。
とにかく自分の生活圏内においてナビなど必要ないと思っているのだ。
ナビが普及する前から運転して、一度通った道は覚えている自負がある。

それも自分の驕りと戒められる事態が起こった。

昨晩あるところを目指して走ったのだが、
目的地に着かず迷ってしまった。
きっと目的地まであと1キロも無いところまでは到着しているのだが、
曲がる道を間違えてしまったようで、どんどん奥地へ吸い込まれるようだった。

さあリベンジに行こう。