2019年8月31日土曜日

二つ前まで記憶がない

昨夜は飲みすぎて危うかったので早く寝たのだが、昼頃まで気分が悪かった。
レモンサワーの素は生地で飲んではいけません。
しばらくはサワー禁止します。

で、かなり気分が悪くなった頃の書き込み2件。
アウトですね。

2019年8月30日金曜日

閉店ガラガラ

色々回っているうちに、自分の酔いが廻ってきたようです。
不本意ですがこれにて閉店。
愛溢れる週末を。

復活の呪文

なんだたっけ~。

人の成長を見守るならまずは己がその先を歩まなければならない

子供の頃は偉人や有名人に憧れや尊敬の念を抱くもの。
但しそれは与えられた知識の蓄積で、刷り込まれたものに過ぎない。
成長と共に自分で取捨選択をし始めると、尊敬できる人物像は限られてくる。偏ってくると言ってもいいぐらいだ。

かつて尊敬していた男性は、その人生の中で女性関係によるトラブルや失敗が明るみになるケースが多く、その度に興醒めしたものだが、今となっては「致し方あるまい」と他人事として納得できる。
それなりの代償を払って事を納められるのだからと。
自分には到底真似できないと思うのであった。

振り返ると、現実的に関わって尊敬できる人物の多くは女性である。
師と仰ぐべき人。憧れの念と両方持ち合わせた人。偉大なるは女性であるとさえ言い切れる。
幾つかの失敗や試練を乗り越えくぐり抜けて来たからだろうか、3分以内に相手の本質的な感覚が読み取れる気がする。
気のせいだと弱気にならないのは、経験値と距離感が方程式のように組合わさっているから。
勿論すべての人に当てはまらないし、データ圏外・予測不能な人もいる。好意的ではない。敵意を持っている。無関心。などは最初からあまり深く読み取る無駄な作業から削除するようにしている。
当たり障りのない優しい言葉でその場を乗りきるのだ。
逆にスッと懐に入り込んでくる人は、一見無防備に見えてガードが固く、知性的で無駄がない。これが共通している。
あとは人それぞれの個性によるところだが個々に魅力的なのだ。
そして何度か接しているといつのまにか引き込まれ、自分の中で尊敬できる人物になっているのだ。

尊敬に値する人物に年齢などの制限も何もない。
個人的主観で言うのであれば、3分ルールの先にある展開でその人間性が素晴らしければ、その人物を敬うのは当たり前なのです。
自分の直感の精度が上がればそういう人とも出会えなくなってきますが、世の中狭いようで広いものです。私の半分ぐらいしか生きていなくとも、私よりもきっと高い志を持っている人はいるのですから。

もうすぐその中の一人が新たな人生の岐路に進むそうです。
色々救われた事など、僅かな時間が何倍にも増幅して今は感謝しかないです。
きっとその人からすれば「何にもしてないよ」って言うでしょう。
受けて側の影響力は半端ないです。
もしそれが自然体ならそのままありのままで進んで下さい。

人との出会いはその関わり合いの時間ではなく、終わりが来るまでの瞬間の連続なのです。
記憶は忘却の彼方へ誘おうとも、生きる上での指針のひとつになりました。

自分は認められる程の人物だったか?
聞いておけばよかったな。
きっと語り尽くすには時間がどれだけあっても足らないけど、ちょっとした無言の時間の方が通じ会えたのかも知れない。

自分自身まだまだ道半ばの若輩者です。
なので負けないよう精進しますね。

そして遠くで祈っています。
あなたがこれからも幸せでありますようにと。



とあるブログランキングを見て一言

上位5人癖強い。

有名なブログサイトで、とある有名人のブログを拝見します。
フォローとかコメントはしません。
ただその人が紡ぐ言葉が秀逸で好きなのです。
黙って読み終えるとスッキリした気がするのです。

順位にこだわるつもりは本人にも更々無いでしょうが、その方は6~8位ぐらいをキープされているようです。
そこで気になるのがそれより上位の顔触れ。
有名人ランキングなので知っている顔触れですが、それぞれが癖が強いように思えてなりません。

踏み込んだら逃れられない何かがあるのでしょうか?

映えるのは難しい。生えるのはそうでもない。

今日一日写真アップ出来る所を探したけど、
絵力が足らなくてやっと一枚アップのみ。
それも誰も知らないような滝。
おいおいっ。
緑と水で癒されてる場合かっ。
ついでだから、その小さな滝で滝行してこい!!!!!!!!!!!!!!!!!!
って突っ込める有り様です。

やっぱ居酒屋の裏メニューとかがいいのか?
そんな情報ZEROですけど。何か。

カーナビに逆らう旅

私の車にナビはない。
免許を取ってこれまでマイカーにナビ車がないのだ。
道は覚えるか、迷っても大通りに出ればどうにかなるっていうことで、これまで付けたことがない。

もしかしたら次車を買うとしても、敢えて付けないぐらいの勢いだ。

ただ最近新しいおもちゃ(タブレット端末)でナビが出来る事を知って、知っている道でも試している。
そして敢えてナビに逆らうという暴挙にいそしんでいる。
AI搭載なら確実に怒られるルートを選んでみるのだ。

今日は到着予定時刻25分のルートを無視した結果、1時間10分の長旅を味わった。
行けど暮らせど山の中。曲がりくねったカーブの連続は嫌いじゃないが、途中でナビが逆襲してくる。
「検索ルートが見つかりません」
弱点は通信費節約のためWi-Fi専用でセットしている為、途中で操作するとデータが飛ぶのだ。
最悪データ通信に繋げば問題ないのだが、悔しいのでそのまま行く!!
かろうじてGPSだけは機能しているので、現在地は把握できる。

「右に曲がってください」
何度無視しただろう。
人間だったら不信感しかないだろう。
そう思いながら一人で無駄なロングドライブを楽しんだ。
無事帰って来れるのは、ナビが無くても不安がないからであって、地図の読めない人は絶叫していただろうと思った。

そんな途中で何とかきれいな場所見つけたのでパシャり。
犬鳴の滝だそうです。

今のところですが

何気無い日常でも写真に撮ろうかと意気込んだものの、なんにも撮れてない。
今現在は山の中。
周りは木しかない。
そんなもん撮ってどうするって突っ込み頂けそう。

家に帰ってご飯でも撮るか?

あいうえお作文

ちいさな事でもくすりと笑い

ひみつの場所で共に過ごした

ろくでもない自分と向き合っても

にこやかな笑顔が絶えなかったね

あの日の事は2人だけの秘め事

りあるな夢のように今は思い出

がんばって本当の夢に向かって

ときどきは懐かしいと思えるように

うんめいはあなたが自分で切り開いた道だから

ビジュアル的な要素を踏まえてみよう。

いろんなブログを見て思ったこと。
文字だけでイケるところと、画像があってお得感なところ。
文字だけで更新されているが読みやすいブログは、どうやら自分の脳内で音声変換出来ているようです。
画像はセンスだったりするので、目を引きますが案外スルーが多いです。
個人情報を特定されにくい「料理画像」はブログの定番ですね。
それもお店の料理。自分の家の台所が映える事はないのでしょうかねぇ?
まぁねぇ、文章力っていうか、薄い日常を連ねた文章には、料理の絵力を借りることは正解です。

というところから、内容が薄いこのブログも絵力借りるべく、今日1日色々やってみたいと思うのでした。

結果発表

異常無し。

2019年8月29日木曜日

スーパーストロングマシーン12号

最近時短呑みというのを開発しまして・・・。
いわゆる「ストロング系」と言われるチューハイ(9%)にレモンサワーの元なるものを追加するといった決め技。

独自配合で12%は軽く越えていますが、ちょっとアルコール感が増しただけで、レモンスカッシュじゃねぇ~等と抜かしておりますと、これまた見事に堕ちます。

当然自宅でしか出来ませんが、綺麗に寝ているので時短飲料として認定しています。
弱点は目覚めた時に喉が異常に渇くことですね。

良い子は絶対真似しちゃダメだぞ。

なんだかなぁ~。

先日実家にいった際、郵便受けにサンプルらしきものが投函されてました。
いわゆる健康食品的なものですが、色合いといいキャッチコピーといい、年寄り向けなのか疑問です。
チラシを見ましたが、年金生活者から搾り取るようななかなかのお値段。健康はお金に変えられないとはいうものの、貧乏は健康に良くない気がします。









ためしに自分で飲んでみました。
なにか変化があれば報告します。

マジシャンの手かよっ。

久々に爪を磨いてみる。
8月初旬頃かな。ふと思い立って。
何かそういう事してたなぁ~って。
1週間かかってツルツルになったけど、誰も気がつかない。
すっごく光に反射するんだよ。

必死になって爪磨きしてる様をうちの子が見てたけど、まるでノーリアクション。
教えてあげたい。
指先を整える意味を。
まだ大人になってないから早いか。

ここだけの話。
指先に目線が行く女性はとても決め細やかな感性を持っているのだよ。そして情が深いということを。

人は外観の大きな特徴に囚われがちだが、繊細な人ほど微妙な変化やエチケットに目線が行くのである。
そして不快に感じる事は敢えて言わないまでも、清潔感などの好意的な感情は率直に出せるのである。
そういう人は素敵だなと思うし、手を抜けない。
それが自分の成長を促進するのである。

ただし、ここで書き込むように自分から「見て!!」てとか言わないのが王道だけどね。

全国3人限定のお知らせです。

えー。
私の名刺をお持ちのレアな皆さん。
名刺のe-mail addressが使えません。

mail下さる方はブログにあるアドレスからお願いします。
確実に届くaddressに変更しました。

ブログのaddressと名刺のaddressが一致していないため、
1年近く放置状態。
失礼しました。
プロフィールからメールへジャンプして下さい。

何とかして名刺のaddressも復活させますが、メール0件の洗礼が待っていそうです。
だって、名刺持ってるの3人ですから~。残念。
波田陽区山口県出身斬り。

追伸 どこにも配る予定がないけど、名刺作り直そうかなと思った。

夜明けが来る前に

都会の片隅。
忘れ去られたような空間。
人通りも疎らに見える。
大通りの2つ先に消え行く灯り。
楽しい時間はいつも瞬き程の早さで過ぎていく。

「またね」と交わした約束。
細い糸ほどの繋がりでも紡ぎ続けられたなら。
そう思い繰り返した夜間飛行。
翼など無いのにフワリと浮かび上がる感覚が、自分を幻想へと誘う。

重い扉が静かに閉じてこの場所に辿り着くまで、余韻を少しずつ噛みしめていた。
さっきまでの自分と嘘のように沈黙する自分。
どちらの自分も冷静にあるようにと言い聞かせる。
タクシーの列が通りに溢れている。
手を挙げずとも自然な流れのように乗り込む人達がいる。
小さな空間に閉じ籠り、ひたすら朝が来るのを待っている自分には、羨ましくさえ思える光景。
少し眠ろう。
時折ライトの灯りが射し込み、クラクションが遠吠えのように響く中、現実へ引き戻されるジレンマと闘いながら目を閉じた。

優しい言葉がこだまする。
そのひとときの安らぎが夜明け前の薄明かりに溶けていく。

馬の皮を被った山羊

黒山羊さんからお手紙ついた。
だったかな?
童謡は思い出せないけど、久しぶりに手紙というものを書いてみた。
届くかな?読んでくれるかな?とソワソワするのは何十年ぶりだろう。
かつては毎日のように手紙を書く日々があった事を思い出し、それが当たり前で、それしかなかった時代を独り懐かしんでいる。
お返事は秒で届いた。それも時代か。
多くの人が見るであろう場所だけれど、紛れもなくたった一人の為に、当てたメッセージが心を打つ。
きっと他の人が思いもよらない手法でアクセスしている自己満足に酔いしれる瞬間である。

久しぶりに手紙を書いた相手は、とても素晴らしい人。
きっとこれからも多くの人を幸せにすることで、自らも成長し幸福な人生を歩むであろう人です。
そういう人とほんの少しの時間でも関われた事は、かけがえのない貴重な時間。
神様なんて信じないけど、こういうときだけでいいのなら、
「神様ありがとう」って言いたい。

自分がどんな存在であれ、自分という人間を受け入れてくれた懐の深さに感謝します。
通りすぎる雑踏の中、すれ違うこともないであろう人なれど、もう少しお話がしたかったというのが本音です。

出会いと別れを繰り返し人は成長するのでしょう。
あなたにとってやがて消え行く者なれど、その時までいい思い出であればと願います。




2019年8月26日月曜日

夜と共に去りぬ

名画「風と共に去りぬ」をもじりました。
早速の説明ではありますが、「去りぬ」とは何か?
今は使わない言い回しですが、何とも雰囲気というか風情は漂いますが、「去る」「去らない」どっちなんだってなりませんか?
正解は「去る」です。
言葉を留めるような言い回しですが、言いきりの形なのですね。
つまり現代風に直すと、
「風と共に去る」
になってしまいます。
意味は同じですが、このタイトルだと映画観たくないですね。

さて本題です。
昼間と違って夜の時間はかなり独特。
生活習慣や経済活動の変化で夜眠る人が年々減少傾向にある中、人は本来の欲求である睡眠欲の枯渇から逃れようと、別の欲求に置き換える性質があると思われます。(自分調べ)
人は本来1日の3分の1を睡眠時間としている訳で、その時間帯を夜に体内が定めている以上、そのバランスを崩すことは、生命の危機とも言えるストレスを与えている訳です。
そういう状況を緩和しようと、様々な試みをするのです。
昼間に仕事で稼ぎ、夜に使うのもそういった理由ではないでしょうか?
まぁ、違うって言われそうなのでこの辺で終わります。

昼間に比べ夜は仮初めの人間関係が入り乱れて、毎日が花火のように感じます。
季節関係なく彩り鮮やかな花火も燃え尽きるように、いつかは終わりの時がやって来ます。
花火の美しさはその終わりに一瞬気持ちが抜けたようになってしまいます。大空に舞う打ち上げ花火でも、手元に煌めく線香花火でもです。
花火にお別れを告げる人はいないでしょう。
でも心で感謝を告げる人はいると思います。

一瞬の光輝くその姿。
儚き世の夜の片隅で見せる幻。想うは夢。
咲いても花。散ってこその華となれ。

「風立ちぬ」名画ですね。
これをもじると悲しいので止めておきます。


真夜中の伝言

話したい事があっても直接話せなくて、
届けたくてもどうしていいか分からない時もある。
便利な時代になったとはいえ、何でも使いこなして辿り着くのは、
自分が生きてきた頃の煩わしさが、どこかしら人と人との繋がりを結んでくれていたような感覚。もはや錯覚なのかも知れないが、そういう時代の情景を懐かしく思う。

何年ぶりだろうか手紙を書いた。
正確には郵便物として出すための手紙である。
メールで済む時代にアナログな手法を選んだのには訳がある。
これしか方法がなかった。
実に単純な理由。
準備が必要で、送料もかかる。
届くのに1日以上かかり、届いたかどうかも不明。
そんな今ではやや不便さが否めない方法であるが、取り敢えず手段として使ってみた。

手紙が届いたときどんな反応をするかな?
・・・なんて、返ってくる筈もない返事を待ちわびる事もない。
相手にしてみても、どう返していいのか分からない状況なのだから。
まぁ、嫌がらせとかの手紙ではなく、感謝を伝えただけなので伝わることが大事。

郵便事業って大切ですね。

2019年8月18日日曜日

出会いとは偶然なのか必然なのか?

今巷で話題になっているのが「マッチングアプリ」なるもの。
スマホにアプリを入れて必要事項を入力。共通の趣味とかが共通の人と近くなると、何やら知らせてくれる機能があるらしい。

どういったものなのか。
どういうシステムなのか。
実のところそこまで興味がないので知りませんが、新しい出会いの形なんだとか。

婚活なる言葉も生まれ、結婚したい、パートナーが欲しいといった人には有難いツールなのでしょう。
一昔前で言えば出会い系サイトと言われるものがあり、言葉通り「出会い」を求める人たちが利用していたようですが、どうも様々なトラブルや法令違反がらみの利用が絶えなかった印象があります。
誰かと出会いたいという欲求に対し、無駄な労力と時間は使いたくないとシンプルに考える人が多いからなのか、中間に金銭を絡めて無駄を排除したいだけなのかは人それぞれですが、便利になっていく分、肝心な何かが衰退しているようでなりません。

本能的欲求の為に様々なツールを使いこなし、自分を過大評価してみたり偽ったとて、現実は甘くないものなのです。
それに騙されたりする側もどこかで偽りや隠し事、ときには思いがけない逆転劇を用意周到に持っている可能性もありますからね。

人を信じるには自分の精神状態が安定していることが大前提ですが、恋愛やそれに近い感情は、冷静さや揺るぎない感情の底辺に隙間があるときに大きく作用する事が多くあります。
故に時間が経つと、相手の嫌な部分が目に付いたりするものなのです。

そういう心理を踏まえて言えば、マッチングアプリなんて共通の...って括りだけで「お似合いですよ」って結びつけられ、後に辛酸を舐めるような気がしてならないのだが。
知り合うきっかけがないって言う人には、こういうものの一つもなくてはならない時代なのでしょうね。

2019年8月17日土曜日

緣~えにし~

人それぞれになにかが重なり
その時々で思い揺らめくもの
やがて記憶の彼方へ過ぎ去るものも
忘れられぬものもある

多くの言葉を交わした事も
心地いい距離感が成し得た時代
それぞれが歩むべき道が
その距離感を遠ざけていく

悲しいわけではない
今の自分を知っているから
そのどこかにあなたがくれた大切な言葉が
後押ししてくれているようです

寂しいわけではない
今のあなたを見つけられなくても
私があずけた言葉ががきっと大切に
輝くあなたを見守っているから

辛いときも楽しいときも
教えてくれたそのときの気持ち
包み込むほど強くもないのに
受け止める立ち位置を与えてくれた

あなたがくれた
わたしの緣は
今もこれからも変わらない

永遠

時の過ぎ行くままに身を委ね
決して戻ることも願わずに
ただ揺らめきの心の空白を
埋める事が出来たのなら

すれ違うことが運命でも
一瞬の関わりがあるのだとして
信じる全てを与えてくれる
嘘偽りのない夜の夢

儚く消える泡のように弾けてみえる
ガラスの向こうに映る景色
取り戻せない
巻き戻せない
教えてくれる優しさが
小さな痛みとなって残っている

永遠だなんて求めないけど
永遠だなんて信じないけど
その距離感に惑わされていたかった

触れると壊れてしまいそうで
指先が逸れる道筋を探していた
想えば燃え尽きそうで
心が凍る程の嘘を探していた

行き先を告げずに立ち去っても
それは不思議なことではなかった
別れの言葉が届かなくても
また会えるなんて期待しなくていい
最初から分かってるはずの幕引きに
立ち止まる選択などあり得ないのだから

永遠だなんて求めないけど
永遠だなんて信じないけど
その距離感に惑わされていたかった

時計の針が重なって
やがて次の刻(とき)を指す頃
扉の向こうに消えて行く幻
誘惑を束ねた灯りも小さくなり
ざわめいた街が引き潮のように
音のない世界へと移り変わる

罪な台詞が嘘に舞う
愚かな夢が見え透いて
どちらでもない立ち位置の
稀薄な正義など求められるはずもない

交わす約束なんて
果たされない暗黙に溶けている
満たされない願いが紛れている
許されない真実が潜んでいる

欲望の赴くままにと足を踏み入れたとしても
抜け出せなくなるのが怖くて躊躇った
誰一人として傷付けず通り過ぎるなら
何も残さないで消えるだけ

そこにあるのは移り行く時代の欠片
彩り華やぐ場所は永遠に途切れはしない
繰り返される宴のように
新たな光をちりばめて輝く
その星の瞬きを遠くで感じるほどに
純粋であるかのような様を追い求めよう








2019年8月15日木曜日

非日常における平常心

台風接近しているようです。
自分の住む地域も昼頃に影響が出そうですが、個人的には何も不安はありません。
幼少期の体験からでしょうか、災害に強いというか、ある程度の非日常には慣れています。

停電になったらどうしよう。
昼間はあまり困りませんが夜は不安になるもの。
そういうときもどうにかなるとしか思わないのです。
特別な準備を完璧にしている訳でなく、いざその時が来たら周りが騒ぐのでしょうが、冷静でいられる自信しかないのです。
さすがに家が流されたとか、家財が水浸しになったレベルだと暫し呆然するでしょうが・・・。

台風が来て風が強くなったぐらいだと、逆にワクワクするのです。
強風がどのぐらいのものか外に出たりします。
あらかじめ食品を備蓄せずに(自分以外の必要最低限は確保しますが)、どう乗りきるかシミュレーションしたりします。
これまでの人生でそのシミュレーションが役に立つ事態に遭遇したことはありませんが。幸運なことなのでしょう。

自分の生活圏内を離れて未知のエリアで活動することは、台風のそれに似ています。
不可避な逆境が訪れる状況も踏まえて、自分の最大限の能力で乗りきることが出来るか。まさにサバイバル。
瞬時に判断し、周りのあらゆる物を味方につけることが出来るかといった事は、その場当たり的な生き方が正しいのか常に教えてくれます。

普通に考えれば備える方が正しいのでしょうが。
なにか小さな落ち度で一気に停止してしまうより、前に進める気がしてしまうのです。

2019年8月14日水曜日

IQ130以上になると

かつて「あなたはIQが高いのでもっと勉強した方がいいですよ」
と言われたことがあります。
かなり昔の話ですが、それを聞いた自分は「そんなに頭が良いのなら本気で勉強しなくても出来るのでは」と逆行した思考に行き着き、大事な試験などは、攻略すべき問題の傾向を分析するといった特殊なことをしていました。

それでも何故かそれなりの成果を挙げていたのですから、今考えると不思議なものです。

ただし経験の無いことは理解の範疇にないわけで、結局無駄な苦労も伴ってきたのですが。
今はというと、学ぶべきことは学ぶに転じています。
だからといって時間をかけてすべてを把握するには時間がかかるので、直感的に紐解いて分解し吸収する作業が中心です。

いくつかの経験が関連付けられ、より多くの経験と同じような情報量を得ることができます。
全てにおいてではありませんが。

IQ130を越えるとメンサの会員になれるそうですが、すいません129です。

2019年8月12日月曜日

不誠実な真実。

真実を求めるがゆえに情報の渦に飲まれる。
溢れんばかりの嘘の中から本当の事を拾い出そうと試みる。
但し自分に都合のいい言葉が形を成してしまい、やがてそれこそが揺るぎない真実だと主張するようになる。

いつしかその鎧を脱ぎさろうとて叶わぬほど、本来の自分が弱くなっていく。
鎧は鎖に繋がれ厚い壁に埋もれていく。
その重みで静かに沈んでいく恐怖をどこかで感じながら、もがくことさえ出来ずに宙を仰ぐ。
無垢であった始まりは、漆黒へ淀みなく踏み込んでしまった。

助けを求める声も虚しくやがて力尽きる。
全ては終わりを告げる為の積み重ねかのように。

時は過ぎ自分が存在し続けていたとしたら、光の先に導かれるがまま進むだろう。
音もなく、あらゆる雑念と欲望を振り払い進むべき道へ。
その先にあるものを見届けよう。
終わりの先の始まりを。


2019年8月10日土曜日

ヤミカラヒカリヘ

吉本闇営業問題。
大きな波が去ったあとも毎日何かしら報道されている。
問題の根幹は重要な案件だが、世間の反応はもはや冷えきっている。

そんな中、狙ったかのような有名人の結婚ラッシュ。
とびきり大きいものから意外な人まで、よくぞ詰め込んだとばかりのほぼ同時発表。
それもまぁあまり興味ないっちゃ、そうなんだけど。

話題が闇から光へ移ったのは良いことかな。
数年後闇に引きずり込まれないように願いたい。

2019年8月9日金曜日

取り扱い注意

タブレットで動画かな?観てて、終わりぐらいにヘッドフォンからすごい音漏れするので辿っていったら、端子の差し込みから壊れてて、タブレット本体もボロボロに破壊してました。
買ったばかりなのに、えっどういうこと。

と思っていたら目が覚めました。
完全に堕ちていたようです。

夏の終わりを告げる頃。君は君の在るべき場所へと歩いていくだろう。

それはいつか必ず訪れる日。
それはいつも突然訪れる時。
それはいつだか知る瞬間もなく過ぎる。
そういうものだと思っていた。

自由な旅の終着は人生の決断がつきまとう。
望むべくして放浪し、望まずして立ち止まる。
それも致し方ないと嘯いてみた。
誰にそのことを悟られることもなく。
静かな朝焼けを迎えるように。

踏み込んだあの街の片隅で輝いていた。
闇の中に浮かぶ小さな光が交錯する世界に。
行き交う人の賑やかな話し声を少しずつ飲み込む扉の先に、
あなたがいたことの現実は遠い夢のようです。。

仮初めのひとときがどれだけ有意義だったか語り尽くせはしない。
感謝という感情を言葉にのせるのは簡単だとしても、それをうまく伝えられない程未熟な自分がここにいる。
そして伝えられぬまま過ぎ去りて、新たな一歩を踏み出すと決断した事を遠くで知るのです。

この世がどんなに進化しても、何気ない生活が便利になっても、簡単に情報が共有出来るとしても、出来ないこともあるのですね。

どこかでより輝ける生き方をしているとしたら、それが何より嬉しいのです。
どこかで幸せを掴むことが出来たのであれば、それを決して諦めないでいて欲しいのです。

わたしが受け取った欠片は幸せであることを許された証。
笑顔を忘れずに生きていくことを思い出させてくれた。
僅かな時間でも、微かな夢でも、それは揺るぎない大切な想い出。

夏の終わりを告げる頃あの場所を離れるという。
お別れというより、そもそもが幻想だった事にしておこう。
大事なことだけ忘れないようにしておくけれど、きっとどこかに秘めておくことでしょう。


・・・でもして出直すか?

間違いなく夏。
浜辺に集う陽気な輩もいるだろう。
羨ましいったらありゃしない。
そう思う程近くの海でさえ遠く感じるようになったものだ。

仕事も終わりつかの間の休日。
涼しい部屋に根を生やしてしまうなんて。
とはいえど、海に何があるわけでなく、追憶と哀愁何て感じるほど老いてもいない。
とりあえず出来ることは、爪でも磨いてみることぐらい。
自己満足の極みなのだが、やり始めると止まらない。
指先に気を使うのも1年ぶりなのだから。

誰に誉められるでも、誰に見つけられるでもない営み。
ただ見てる人は見てると言うことだ。
その事実が指先のケアを加速させる。
そういう場所にさえ行けなくなった今では悲しい自己満足なのだが。

2019年8月8日木曜日

語るほどのものでもないのに

駆け抜けて今に至る。
挫折も失敗もどれ程どあったか。
その向こう側を見渡せば、薄汚れた自分の姿が浮かぶようだ。
出来るだけ踏み外さぬようにはしてきた。
誰かが支えてくれた。
誰かが教えてくれた。
恩に報いる事を忘れない生き方は自分の根底にあったのだろう。

恥じることはない。
でもあえて語るようなことでもない。
それが今の自分の在り方を指し示している。

やがて朽ち果てるとき、その亡骸を拾う者が現れなくとも、自分であった事を恥じぬよう進もう。

2019年8月7日水曜日

急ぎ足で良いのか迷いつつ

忙しいという理由でビデオは2倍速なことがたまにある。
見たいからという衝動と忙しいという現実を共有出来る機能にあまんじている。
もちろんビデオ録画がされているのが前提だが、ビデオ録画しないと見れない事情もある。
そして楽しみに待ちわびても、いざ見るとなると忙しい。
でも見たい。
きっと見返すほど面白ければ、後日じっくり見るだろう。
故にハズレだったときは即判断できる利点がある。

結構ハズレが多い最近のTV番組。
あぁ~、ゆっくり見たいってのが増えますように!!

2019年8月5日月曜日

涙腺が緩むお年頃なのでしょうかね。

とあるTV番組を見ていました。

日曜日のゴールデンに放送している人気番組です。
別に批判するわけでもないので、番組名とか出しても良いのでしょうが、あえて出しません。意味はありませんけど。

新しいアシスタントを迎えるにあたって、ドッキリを仕掛けるというもの。ニセロケの現場に突入して行きなり抜擢の事実を告げるというもの。

ただただ面白いシーンなのに泣けてくる。
ツボというかスイッチというかそこら辺に泣きスイッチが増えたのかなぁ。




2019年8月4日日曜日

それは予想外の出来事

自転車はどこの家庭にもあるもの。
我が家にも一応3台あるものの、うち2台は全く乗らなくなった折り畳み自転車。
現役のままチャリはそこそこ稼働中なのだが、最近の暑さで?タイヤの空気圧が変化していたのだろうか?
朝入れた空気が減っているらしい。もはやパンクなのだと覚悟をしていたが、追い討ちで空気を充填していたら「パン!!!!!!!!!」って破裂音が・・・。
きっと軽微なパンクだったのがとどめをさしたのでありましょう。
普通のパンクならキットを買って自力で修理も出来たのだが、あの音は終わりを告げるものでしかなかった。

急いで自転車店へ向かう。
何故なら近所に自転車店がないからだ。
今の自転車を買ったホームセンターは閉店し、思い当たる近場の自転車店も閉店している。
そう、自転車難民状態なのだ。
そして明日以降も自転車はいる。
今日中にチューブ交換をしなければ、悲惨なことになりかねない。

思い当たる店を目指して走ること10分。
途中の反対車線越しに自転車チェーン店を見つけた。
もちろんUターンして入店。
20分ほどですぐ出来るという。
ありがたい限りである。

その待ち時間、フリーWi-Fiを接続し書き込み開始。
書き終わるまでに作業終了。

そんなところである。

時代の変化か人類の進化か考えてみる

赤ちゃん。
子供。
成人。
中年。
老人。

人間は確実に日々年を取る。
それは成長である。
だが成長のピークを過ぎると老化が始まる。
いつまでを成長としどこからが老化かは個々によって違うが、
分かりやすく芸能人を見ていると、老化(劣化)を感じることがある。
表現を良い方にもっていけば、熟した・味わい深くなった等とも言える。
但しアイドル的な活動をしていた女性は、その若さたる魅力を全面に出しきって活動しているがゆえに、10年後、20年後ともなると、明らかに年を取ったなぁと思わざるを得ない人が多かった。
それはそれで深みが増したり、新たなポジションで活躍しているので違和感こそないのだが。

昨日某歌番組で「森高千里」さんを見た。
一時は家庭に入り芸能活動をセーブしていたように思うが、最近は歌謡祭の司会など活躍の場を広げているという認識があった。
時間の都合上見ることもなかったが、久々に見て思ったのは「可愛い」のである。
代表曲のひとつである「わたしがオバサンになっても」を年齢的にオバサンになった森高が歌うのである。普通ならこんな自虐はない。
ただこれは例外である。100%変わらないとは言わないが、劣化が進んでいないのである。
実は森高がブレークする以前から当時はCDだったのでCDを持っていた。
整った顔。スラッとしたスタイル。そして何より、独特な歌詞と決して上手いとは言えない半音高めの歌唱力。それら全てに注目していたのだが、「脱・アイドル宣言」というアルバム発表した頃から、ポニーテールに大きめのリボン。ド派手なミニスカートの衣装で美脚全開といった出で立ちに少し冷めてしまったのである。
多くがそのパフォーマンスを絶賛していたが、ザ・芸能人の要素は要らなかったのである。

結婚・育児を経て復活した森高さんを見て、人類の進化を感じた。
かつては吉永小百合さんにしかなし得なかった「劣化の遅延」を実現しているのである。
少なくともフェイスリフトなどの外的処置なども行ってはいまい。
それであのクオリティーなのである。完敗。

次はガッキーこと新垣結衣さんの20年後を見てみたい。

憧れは峰不二子

好きな女性芸能人は?という問いかけがあったとしたら、
その時々で出てくる名前が変化するだろう。

好きな女性のタイプは?という問いかけには、
ストライクゾーンは広めですと言ってきた。

では憧れの女性は?と聞かれたなら、
「峰不二子」ですと答えてしまう。


漫画の世界のキャラクター。
実在しない女性。
もしいたとしても、男を翻弄し弄ぶ悪女なのだが何故か憎めない。
抜群のスタイルと愛くるしい表情。その心の内は優しい一面も持っている。
ルパン三世という男性によって引き立てられる魅力は無限である。
現実に存在したらかなり厄介な女性なのかもしれないが・・・。

裏切りを繰り返し窮地に追い込まれても許してしまう。
許すというよりは、それさえも想定の範囲内と分かった上で行動する余裕がないと付き合える相手ではない。
そして最終的にはピンチを共に乗りきる仲間であっての事。
実社会でそれはあり得ないって話だね。

可能性があるとしたら、自分がルパン三世ばりの許容範囲があるかって事になるけど、その柔軟性は何度となく挫折した経験で狭められたかも知れない。その評価は自分自身ではなく周りが採点するべきであろうから、高得点を期待するつもりもないのである。

結局のところ本当の憧れは「峰不二子に振り回されているルパン三世」の生きざまなのかも知れない。



2019年8月3日土曜日

クイズ番組でワクワクしてしまうこの頃。

TV番組の定番コンテンツのひとつがクイズ番組。
数多くのクイズ番組がいまだに存在し、お茶の間を楽しませてくれている。
何十年も賞金100万円が上限なのは景品法かなにかの絡みらしいけど、今の時代でも100万円は大金だなぁとは思う。
クイズ番組で好きなのは、タレントが出ているバラエティー色が強いものより、ガチで専門的な知識をぶつけ合う番組が好きです。

最近だと99人の壁というクイズ番組が好きです。
ちなみに今オンタイム観賞中。


サヨナラ サヨナラ

若い頃、別れ際の挨拶は「またね」が基本だった。

サヨナラが言葉として強すぎて使えなかった。
使うときは本当の別れがそこにあるとき。
背中越しに「サヨナラ」を告げてきた。

目の前に愛した人はいない。
自分の歩いていく先にその人はいない。
振り返る事もなく進む為のきっかけの言葉だった。

今でもサヨナラを使うことはあまりない。
さようならでも同じだ。
もう2度と会わないだろうという人には自然と言ってるかも知れないけど。


追憶は儚き夢のその先へ

学校であれば春が卒業のシーズンだが、それ以外であれば自分でひとつの節目として「卒業」という選択肢を迎える人もいる。
何だかの「業界」に所属し辞めるのであれば卒業という表現もありであろう。

ある人の「卒業」が発表され、後日粛々と実行された。
されたらしいが正解なのかも知れないが、直接関わってきた訳ではないので、現実的に「消滅」した情報をみて受け取っただけなのだが。

このブログを開設したころだったかな。
偶然見つけた書き込みの斬新さと時に見せる切なさ。
常に何かと戦ってる状態にあったり、とにかく変わりやすい天気のような書き込みに興味があったが、それ以上何を求めるでもない。
勝手に生存確認しているみたいな感じでしたね。

一度だけDMでブログ見てます的な事を送ったら、返事が来たなぁ。
短いコメントだったけど、ありがたかった。

でもその一度でそれ以上関わる事はなく過ぎ・・・。
その人は決断の日を「卒業」と位置付け迎えたのでした。

会うこともなく、この先も何もなく、でもどことなく近い存在だったその人の卒業。
おめでとうではなく、お疲れ様なのかな。

人生の分岐点に卒業を当てはめることはかなりの決断だと思う。
自分は色々道半ば。
卒業といえる節目は遠い気がする。

過ぎてますよ・・・と言いたい。

まさかの出来事。
このブログ開設から1年が経ちました。
地道に思い付くまま気の向くまま書き連ねていこうとは思いましたが、ここまで続くとは思ってなかったです。

このブログの始まりの物語は遡ってみれば分かります。
自分でも振り返ってみたら納得の文章がありました。

ただ、どこかで期待していた閲覧人数(3人)は一瞬の出来事。
まぁ、見て興味がなかったとか明確な返答が来そうなので深掘りしません。ここはあくまで私の居所であり遊び場なのですから。

そして1周年は既に2ヶ月前に終わっていた事実。
特に記念の何かを考えていた訳でもないのですが、昨日そろそろかなと思っていたら此の様です。

それはそれとして、夜間飛行の冒険は今暫く遠い世界のままですが、自身の内にあるパラレルワールド全開のこのブログは継続します。
不定期更新が続いているけど、毎日更新目標にしてます。

何故かって?
唯一あなたが読んでくれているからです。

私以外のあなた。

別世界の自分なのかも知れませんね。