2021年11月24日水曜日

犯罪心理とコメント

痛ましい事件が起こるとニュースに専門家が呼ばれコメントするが、どれも起こってしまった背景と因果関係を考察するばかり

犠牲者が出る前に出来ることへの布石はあまり語られず、法の元の裁きを受ける事で罪を償えば良いとさえ言う

内容が加害者のおかれた境遇に寄り添えるものであれば、幾分かは理解も出来るが、必ずしもそうでないケースが多い
思い余ってと言うには、社会が悪いだの、周りが認めてくれないだの、自己中心的になっているケースも多いからである

心理学者が後付けで語るのは、後出しじゃんけんであって、ごもっともな意見であるが、犯罪抑止になる提言が出来ていないことも、法治国家である我が国の弱さとも見てとれる

2021年11月21日日曜日

コスパ最強?

昨晩ネット番組での好評企画(らしい)格闘チャレンジが行われた
Twitter経由でその存在は知っていたのだが、PPVであるがゆえに視聴はしないことにしていた
ただ、試合前の無料放送は一部見ていて、興味が湧いてきたのも事実である
そんなことを思いながら寝た

夢の中で自分がどう戦略を練り挑むかのシュミレーションをしていた
現実では当然あり得ないが良い勝負をしている
一定の距離を保ちつつ、気の波動のような力で体力を奪っていくのだ
ほぼゲームのような世界観
夢は現実をはるかに越えてくる

一夜明け、昨日の試合結果が流れてきていた
当然のような勝利と共に、敗者が瞬時にうちのめされた傷痕が生々しい
地元最強は怖いもの知らずというだけなのかも知れない
挑んだだけでも大したものだが、勝負は一瞬、歴然の差を見せつけた
強いものと戦いそれを越えて来た男の余裕の勝利である

PPVで見たなら1分1000円の試合映像だったらしい

2021年11月3日水曜日

民意はどこへ

衆議院解散総選挙が終わりました
自民党の圧勝と言ったところですかね
各党の有力議員の落選も見受けられましたが、コロナ禍で何かしてくれたか?という反発も票に反映されたのでしょう

大半の議員は党の足固め
数が優位に働く政治には欠かせないが、当選してからは国民より党の重鎮にしか目がいかないのである
例え一人でも国を動かす!って意気込みが継続する人が、政党政治を揺るがすほどの仕事をして欲しいものである

2021年8月27日金曜日

アプリ

アプリ入れてみた
っていうか、タブレット変える前はアプリから投稿してたんだよね
さっきまでブラウザ経由でやってたからかな、途中から文字がスクロールされなくってイラついてた・・・

こっちはどうだろう?
一見シンプルであるけれど、機能はその分カットされてるみたい
まぁ、使わない機能であるから良いのだけど

色々データとか確認するときはまたブラウザからアクセスするようにはなるみたいだけど、書き込みが出来るのであればこっちはそれで良いのかな

ここは秘密基地的な場所なので、気が向いたときにしか書き込まなくなってるけど、今の時代に思う事はたくさんあるし、Twitterではあまり触れたくない話題もあるからね
真面目過ぎる事とか、長文になってしまう話題はやっぱりココ

面白い話もたまには書かなきゃとは思う
下らなすぎのネタも置いておこうかな

こういうこと?

 最近っていうか、結構前だよね。
ブログがリニューアルされて使いにくくなった。
そう感じていたんだが、Twitterばかりしていたので、そこまでの不自由さはなかった。

ただ、今日改めて使っていて文章の入力で行数が増えると、下の方の文字がキーボードに隠れて表示されないのが、どうしても解消できずにいて、何だか使うなって言われている気になってきた。

結局のところ、PC版サイトとしてのレイアウトになっていて、スクロールとかの表示が上手く出来なかったみたい?
良くわかんないけど。

文字制限とかはないと思うけど、下書きの表示が見えないと文字制限されているのと同じだから、書き込む量も少なくなるよなぁ。





時間をぎゅっとね

 たまに考え事をしているとき、記憶の錯覚を起こしている気がする
それって何十年前の話って思っても、記憶の中では数日前位の鮮度がある
逆に昨日の晩飯のメニューを忘れているのは、日常と非日常の差か

人によって時間の感覚は異なる
共有する時間であっても、前のめりな感情であれば、あっという間に過ぎ去ってしまうもの
そういう感覚的な空間に居ることが少なくなって来た気がする
僅かながら非現実世界から逃避をし始めているかのようである
最近は眠たくて堪らない時もあったが、実は多くの夢を見るために引き込まれていただけなのかも知れない
気が付けば浅い眠りを繰り返している、今日もそうだ




















2021年8月9日月曜日

自己防衛

 つい先日電車内での無差別刺傷事件があった。

電車内という密閉空間で逃げ場はない。それを認知しての犯行だという。動機も自己中心的な歪んだ感情であり、前もって凶器を準備しているので、計画性も見受けられる。情状酌量の余地など微塵もない。死者が出なかったのが不幸中の幸いという言い方もあるが、被害に遭われた方の肉体的・精神的傷は決して癒えるものではない。

現行法では何年の量刑が付くのだろう。殺人未遂。傷害。銃刀法違反。放火未遂。鉄道法や威力業務妨害にも抵触するとして、15年の実刑だろうか。

例え20年付いたとしても、極刑(あり得ない)が付いたとしても納得できる訳ではない。無関係の罪なき人が受けた痛みは、法の裁きで解消される訳ではない。しかし、武士の時代のように仇討ちや仕返しが合法でない以上、司法によって罪を償う決定を下して貰うしかないのである。

かつて、映画でこれから犯罪を起こす人間を予測し、前もって身柄を確保するといった題材の作品があった。現実的には人道的に無理があるが、明らかに犯罪傾向が強く監視対象となるケースであれば、それに対して行動の制限などの予防処置が行われる時代が来るのだろうか?

何か起こってからでは遅い。

そして法が万能であるとも言い難い。

何かに巻き込まれないように。巻き込まれそうになっても、臨機応変に対処できるように自己防衛するしかないのが、今の時代である。

そうは言っても、こんな通り魔的犯行は防ぎようがない。出くわしたらどうするのか?そこを考えるべきか。



















オリンピック閉幕にむけて

 東京2020閉幕。

強硬開催と揶揄されながらも無観客実施にて行われた今大会。

この日を心待ちにしていた選手や関係者、ファンにとってどのように映ったのであろうか。持てる力を出しきり、ベストパフォーマンスが出来ただろうか?メダル獲得した者も、そうでない者も、満足いく大会であったと思える事を願う。

今更ながら、予想出来ない事態が色んな状況を変化させ、人々の感情さえも分断させてしまった。そしてそれは今も続いている。

特別・・・という扱いのねじれ。

疲弊しきった生活に、吹き溜まりのような苛立ちが溢れ、言葉を汚しながら伝わっていく。

幾つか矛盾もあるが、個々に出来ることを、最善をつくすことを、今はやるしかない。

そう思った日であった。




















2021年7月25日日曜日

平和と安全

 五輪始まりましたが開会式から既に見ていません。

生中継で見なくても至る所で記事になり話題になるので、いつの間にか見たような気になります。主な演出なんかは写真つきで紹介されているので、一瞬目に飛び込んでくるだけで充分伝わります。もし、開会式を見たかと聞かれれば見ていないと言うし、知ってるかと聞かれれば知ってると言えるのは、それだけ情報が溢れているということですね。

各国選手の活躍もこれから熱を帯びてくるのでしょうが、自国開催なだけあって、早々に予選落ちやメダル候補から外れた選手の話題が伝わってきますが、単純に順位や個人の思いだけではなく、SNSも絡めて批難されるコメントも同時刻には上がってる模様です。そのほとんど全ての記事はスルーしますが見出しは目に入るので、興味があるなら読もうかなと思うのですが、どうもそういう内容ではなさそうです。

五輪が都市開催という事もあるからなのでしょうか?地方在住だとそこまで盛り上がらないというか、やはりこのご時世と1年延期がそうさせるのでしょうか?

今日はお休みですが、普通に映画でも楽しみたいと思います。



2021年5月28日金曜日

コロナについてまとめてみた

 新型コロナウイルスが猛威をふるって1年半は経っただろうか。

ワクチン開発が急ピッチで行われ、異例の早さで承認、接種となった。

世界がワクチン争奪戦を行い、開発メーカーと各国の関係性が浮き彫りとなる中、日本のワクチン接種率は依然低いといわれている。東京オリンピック開催目的でワクチン接種を急ぐ様にも思われがちだが、医療従事者、高齢者と優先順位を決めて行っているから、一般に順位が回ってくるのはまだ数ヵ月先であろう。それに関して不安要素はないのが、個人的見解である。これまでも感染することなく過ごせたし、感染しないように過ごせる自信のようなものもある。ワクチン接種がいずれ半ば強制的に実施される日が来るだろうから、拒否はしないが、それまでの間先行して接種した人たちの状態を注視することにはなる。全く副反応がないとはどこのメーカーも言っておらず、接種による有効性も全ての人があるわけではないと認めている。また、ワクチンは2回接種することで効果が現れるとしているが、1回接種しただけで気を抜いてしまう者もいるかも知れない。まだ行き渡っていない上に、変異種も続々発生し、現行ワクチンの有効性と解離している専門家の意見もある以上、行動は慎重にこれまで以上に緊張感の継続が必要だと感じる。

発生源とされる中国はどうか?

コロナ拡大の時に巨大な仮設医療センターを一夜城如く建設したが、それも解体している。

何故だ?世界が拡大に驚愕の日々を送っているのに、一気に終息ムードに転じた。それは海外のメディアが見ることの出来る情報に、中国政府の情報操作が関与しているからか?都市部だけではなく、広大な国土には把握できない程の集落もあるが、低所得の民にも感染予防が徹底できているのだろうか?そして武漢の現状は専門家チームによる検証があったとはいえ、直後でなかっただけに、様々な隠蔽工作があったと容易に推測は出来るが、もしそこで決定的な証拠を見つけられたとしたら、まずは治療薬開発の鍵となる気がするのだが。(国際的生化学兵器によるテロと位置付けとかは国連などに任せよう)

大量破壊兵器撤廃や核兵器廃絶など、保有国同士がつば迫り合いをしているが、こういったウイルスが世界を侵食して、人類全体の図式を変えていく時代に突入したのかも知れない。

ノアの箱船に我先に乗り込む者がその計画を知る者なのかも。


2021年5月11日火曜日

趣味増やしました

 これといって趣味と呼べるものが少ない自分

最近少しはまっているものがある

それは車のDIY

業者に出せば簡単だけれど、お値段や時間がかかる

信頼できるところならともかくたまにハズレもあるので、自分で出来る事はやってみたいと思うようになった

道具の初期投資はあるものの、作業工賃と思えば赤字にはならない

そんな感じで少しずつやっていこうと思う

次の休み晴れていればカーエアコンのガス補充に挑戦!

ネットで動画も上がっているので良く見てやってみたい!



2021年4月27日火曜日

ニュース

 最近明るいニュースと言えばゴルフの松山選手の全米オープン優勝とか、芸能人の結婚ぐらい?

コロナ禍と言えど、日常が奪われていくことは耐え難い

もう1年経ったのだ

先の見えない不安は誰のせいと煽るマスコミ報道にも疲弊している

明るいスクープはないものか?

それじゃ、売れないんだよって!編集長が言うんだよっていう時代が、より影を濃くしてるんだろうね


2021年4月25日日曜日

緊急事態宣言

 都市部では緊急事態宣言がまた出ましたね

IOC会長来日までに感染者数減少を狙っての発令だとか言われていますが、理由はどうであれ、医療現場の逼迫や飲食・接客業の危機的状況なども合わせて考えれば、当然の措置ではあるのですが

それでも罰則規定がなかったり経済援助が受けられないだけで、緊急事態宣言を受け入れない所もあるようです

もうこんな状況を❗1年以上繰り返して、経営が困窮し赤字を抱えている経営者は、政治判断の信頼性に委ねる余裕は失くなっています

どうしても東京五輪を開催したいのであれば、それなりの覚悟が必要だと思いますが、強硬開催は国家転覆のトリガーだとの認識をもって欲しいものです


2021年4月22日木曜日

爆笑スランプ

 色々あって断食をして以降、「欲」からの脱却に成功した見返りに「おもしろさ」を見失っております

精神の扉を閉ざしたかのような「無」に戸惑う日々

平坦な日常が如何に難局であったとしても、溢れるものがあったはず

そう思わずにはいられない

「無」とは何も得ず、何も与えず、何も欲せず、何も考えず、何も感じない

虚しいものです


少しずつ元の領域に遡れるよう

煩悩の開花を待つ春の日々



ぞうさん、うしくん、かえるくん

 元気かな?

2021年3月9日火曜日

手土産

 どこかへお呼ばれするときに「ご挨拶の品」として持っていくもの・・・それが手土産だろう

地元の名産でも、近所の美味しいと有名なスイーツでも良い

最近ではコンビニスイーツをお持たせと紹介するぐらいだから、多様性に富んでいるともいえる

何故こんな話を始めたかというと、急に「遊び人の流儀」なるものとはと思ったからで、大した理由はない

ただ、非現実や常識の範疇を越えてでも、こういう手土産は欠かせないのが自分流というのを思い出したのです

「つまらないものですが」とへりくだっていてはいけない

その時に必要なものを用意するのが手土産として最高なのだと信じたい


2021年3月1日月曜日

誰かのための自分となりてその存在意義を問う

 今の自分について自分なりに紐解くなら、幾つかのターニングポイントを振り返ることになる。そしてその時の行動と思考が今も支えであり根幹であると思うのである。

随分と時間を巻き戻す事になるが、決して昔話ではない。

自分にとっては「今」と直結した領域として記憶されている。

20代に差し掛かろうというとしていた頃から、友人や仲間、知り合いといった類いを含めれば、100人は越えるコミュニティのリーダー的存在になっていた。共通の趣味を持った仲間との交流会の(今で言うオフ会)を主催し、遠方からも参加者が集まって来たのが始まりだった。

年齢・性別・職業に限定はないが、その会の中心は高校生で、自分にとっては後輩であり、弟・妹のようなものである。

学校帰りにふらりと立ち寄り、その日あった出来事や色んな事を話して帰る者も少なくなかった。いわゆる溜まり場と化した自分の部屋は、毎日誰かしら居るのである。そして誰かが居る安心感から訪れる者もいて、賑やかな夕方が日々続いていた。

今のようにスマホも携帯も、メールも無い時代である。

自室に電話があったが、それも同様に友人からのホットラインで良く掛かってきた。遊びにいく約束や「今誰がいますか?」なんて言うのも。

そしてみんなが帰り、一人になると今度は届いた手紙の整理が始まる。

毎日のように手紙が届くのである。

少し距離があって家に来ることが出来ない人達や、相談などを綴った内容など様々ではあるが、可能な限りその日のうちに返事を書いた。時が経てば読んだ時の感覚も感情も薄れてしまうからである。

ただ困った事が一つあった。恋愛相談である。

真剣な相談に向き合う上で経験値が重要だとすれば、当時は皆無に等しかったのである。しかし相談内容が深刻であればあるほど急を要す訳で、時間をかけてゆっくりと考えてともいかない。自分の中にある知識の点と線を繋ぎ合わせ、優しくもあり厳しくもある言葉を書き綴るのである。それは深夜に及ぶことも多く、そのまま集配局のある中央郵便局のポストへ投函して終わるのだ。(そうすれば最短当日に配達される)失恋で自殺をほのめかす内容とかの場合、一刻も早く伝えなければならないといった使命感のみで行動していた。

こんな事を繰り返していれば、自分の言葉に重みと責任を持たざるを得ない訳で、手探りでしかなかった理想の形を今度は自分が実証するときが来るのである。

でもそれは決して苦行ではなく、そういう正論が当てはまるのかという答え合わせでもあった。

理想的で夢のような像を描くだけでは乗り越えられなくとも、どこに向かうべきかは読み取れるのである。

それと同時にどこに岐路があっていつか終わるというのも見えてしまう。不確かなものとしてではなく、時の流れの先を手繰り寄せてしまうのである。それは言葉にしたりはしないが、受け入れるべき運命としてしまっておいて、その時が来たときの為の心の準備をする手助けになったと思っている。

考え込む事や思い悩む事に時間を取られて、予測できる最悪の結果を受け入れられないのであれば、瞬時に決断し行動することで変えるしかないのだ。それは自分にとって何の得にもならないことであれ、正しいと信じ疑い様のない理想を積み重ねた過去の経験があっての今に繋がるのである。








2021年2月25日木曜日

メビウス

 今自分がどこにいたとしても

今自分が誰かと言葉を交わしたとしても

今自分が見せている姿と見えている姿に差異はないはず

そうありたいし、そうでなければならない

本当の自分であるために


2021年2月21日日曜日

あるがまま

 どこか誰も自分の事を知らない場所に行ったとき、人は自分を良く見せようと企むものであると感じることがある

いわゆる表の顔と裏の顔を巧みに使い分けるのである

ネットなんかがそういう人間が吹き溜まりのように溢れていて、より現実社会よりも混沌としているのは明らかだけれど、仕方がないのかも知れない

自分はそういう使い分けがとても面倒で、尚且つ必要性を感じないので、可能な限りありのままの自分でいようと思う

このブログを見てくれている人は地球上でほんの数人だし、Twitterでもやり取りがある人は数えるほどでしかない

何か特別な仕掛けを講じればフォロワーが増えたり、人気者になって有名になってっていう事もあり得るかも知れないけど、そこを目的にはしていないので、自分自身をそのまま表現出来る場所として、これからも活用すると思う

思うがまま、感じるがまま、あるがままにね

気楽にいこう

 今のご時世どうにも人との係わりあいが希薄になって仕方ない

かれこれ1年以上もこんな生活が続いている

変に慣れてしまっている現実も虚しいのだが、最終的に人の命や社会生活、経済活動の根元さえも脅かし続けているのだから、自分は大丈夫など言っていられない

そもそも自分の身勝手な行動をしようにも、出先が閉まっているか受け入れてもらえないだろう

緊急事態宣言こそ出ていない地域だし、華やかな繁華街があるとも言えない所だが、飲食店などもより閑散としているようだ

県外にいる親戚筋や友人も行き来が出来ずにいる

江戸時代の関所に阻まれているかのようだ

通行手形を持ってしても県を跨ぐにはリスクがある気がしてならないのも事実


それでも日々を生き抜くには、前を向いて行くしかない!

結局1年前と自分は何が変わったと言われても何も変わってないのである

気を付ける事は増えたが、メンタル的には飄々としているまま過ごしている

世の中の情勢が大きく変化したぐらいで驚いてはいられないって自分を見つめ直すべきか?

そんな時間があるのなら、どんな状況下でも面白く過ごせる事を想像するだろうな




2021年2月16日火曜日

見るもの全てが繋がっている

 このところ奇妙な夢を見る

見たこともない場所

会ったこともない人

そういう展開が日々更新されている

夢を見ている最中に「これは夢だ」と気が付いていて、自分の思うようになるときとそうならないときもある

不幸な展開のときほど抜け出せないジレンマ

そして朝を迎える

起きた瞬間は鮮明に残っているのだが、仕事に向かう最中に忘れている事が多い

どんなにいい夢でも忘れている

だから新しい夢を見るのか?


2021年2月8日月曜日

浅い眠りとの戦い

 最近睡眠を取れる時間が充分にあるのに、熟睡している時間が短い事に気付く。

きっと記憶を失くしたかのように眠っている時間と夢を見ている時間の割合は半々で、夢を見ることで体力も消耗しているようだ。

毎日違う夢を見るし、起きた瞬間は鮮明に覚えている。

悪夢に近い夢が多い気がするが、時間の経過と共に忘れてしまっている。それだからあまり気にする必要もない。

ただ、脱力感が抜けない日は寝続けたことに後悔する。

現実よりもきつめの夢でうなされるからである。


2021年1月31日日曜日

巻き戻し早送り

 人生をやり直せるならという問いがあれば、思うことは今の経験値があればと思う

誰しもが思うだろうが、誰よりもそう思う

今の現状に不満があるわけではないけど、どこかで変わっていたかも知れないとは思う

過去に縛られていてはいけない

今こうしている間にも時は過ぎていく

早送りで見るべき未来に期待はない

そうだな、誰しもが同じ時を刻んでいるのだから

予想外の瞬間にも対応出来るだけ良いのかも


2021年1月30日土曜日

happy

 自分の信条は「目の前にいる人を楽しませること」


喜ばせるとなると難しい

お金がかかったり、無理難題に答えなくちゃならないかも知れない

どんな願いでも叶えなければならないかも知れない

目の前にいる人全てではない

勿論相手にだって選ぶ権利はある

いきなり「あなたを楽しませます!」って不自然でしょう

だから自分に興味を持ってくれた人に限定してます


選ばれた人ではなく

選んでくれた人の特権です


翼を授ける

 鳥は生まれながらにいつか飛ぶことを許されている

人は鳥よりも優れていると思っているが越えることはない

進化の過程で一旦特別な能力を封じ込め、脳の発達煮特化したのが人類である

その結果生み出したものは多い

反面、破壊と創造を繰り返し地球を支配しようとしたのも事実

奪うことで得るが実に長年繰り返されてきた

それを変えようとする動きもあるが、利得利権が絡んで思うように進まない

歴史的に偉業を成し遂げた者の末路を踏みたくないからか?

未来を感じる感性の薄さか?

地に足を着いて飛べないうちは、見ることのない世界を知らないと言い切れる愚かさだろうか?

2021年1月22日金曜日

木の葉言の葉

 自分の内から出た言葉は全て言霊なのだろうか?

適当に振る舞ってみせてもどこかに言葉の重みを感じる

手書きでもなく、聞こえ伝えるものでもなくともそれは変わらない

自分の内なるものを紡いでいる

自分の本質を問うている

そこに広がる領域に呼応する人達の温かさが言葉の意味を教えてくれる


2021年1月20日水曜日

何だろね

 かなり昔の話

沢山の仲間(後輩)を抱えていた時期の事、良くありがちな悩み相談を受けていた

学校の事、友達の事、恋愛の事 etc.・・・

経験があれば自分の経験談として答えられただろう

そういう意味では「恋愛観」は経験値として乏しく、あくまで理想論を唱えるしかなかったのを思い出す

自分としては「硬派」だったのだが、軽い誘いに乗らなかった事で、恋愛とは程遠い所に身をおいていた

それでも「相談」が来るのだから、ある程度委ねられる懐があったのか、他意無言であることを知っての事かは分からないが、そういう時期があったのは事実

今のようにスマホも携帯もネットもない

家電か手紙が毎日山のように来ていた

それに応えていたのだからよっぽどいいヤツか、暇人である(暇ではなかった)

その経験が後の自分の恋愛観に繋がる基礎となる

それだけ理想論をまるで哲学者の名言宜しく語っていたのである

今の自分の一部を構築したのは苦しい胸の内を明かして救いを求めた友人や後輩たちである



2021年1月17日日曜日

誉め言葉

 「たいへんよくできました」

これが嬉しくて頑張るって単純!?

でもそういう言葉さえ貰えないぐらい出来て当たり前が増えてしまった


「お疲れ様です」

「ご苦労様です」

これは労いの言葉


「格好いいですね」

「素敵ですね」

これはお世辞なのかな


今一番嬉しい誉め言葉は

「安心する」

ですね


なりたいもの なりたかったもの

 子供の頃に「将来なりたい職業は?」という問いに「普通のサラリーマン」と面白くもない答えをしていた事を思い出した。

当時が小学生だったとして、夢のある答えに行き着かなかったのにも理由がある。(そこを紐解くには時間がないので割愛するとして)

中学位から様々な興味が湧いて自分なりに夢が出来た。

アナウンサー

DJ

作家

カメラマン

作る、伝える、表現すると言った仕事に興味があった。

しかし結局そのどれにもなっていない。

なれなかったのではなく、ならなかった。

行き着くまでの努力をしなかった。

後悔するほど無駄に生きてはいないから、仕事として何かが出来なかったと嘆くこともない。

むしろ今の時代、自分の子供の頃の夢など誰でもなれてしまうコンテンツになって、プロにこだわらなければ今からでもなれてしまう。

そう思えば、サラリーマンも悪くない。



2021年1月12日火曜日

静かに揺れる

 そう、何となく揺らいでいる

ふわりと浮かんでいる

言葉以上に感覚が柔らかい

思いがけずに降り注ぐ

あたたかくもあり

安らぐ気持ち


新年あけました

 2021年です

オリンピックも出来ず、何だかなぁの2020年も終わりましたね

新しい年に向けて思うことは今の苦境を世界が乗り切れますようにかな

地球規模の戦いなのだから

そう思います