2019年12月31日火曜日

終わりの日

令和元年最終日。
日本人にとっては節目の一年。
振り返るようにメディアがまとめてくる。
幸せだった出来事もそうでない出来事も、明日には一括りの過去形になっているだろう。

そうやって気持ちを入れ換えるにはちょうど良い。
なにも変わらない毎日でも、せめて新年を迎えるという事で変化を味わいたいものだ。

今日も仕事。
明日も仕事。
日常の流れは変わらずとも、時間軸は新たな時代にまた突入するのだ。

今年最後の日。
どうぞ良い一日でありますように。

2019年12月30日月曜日

Unknown

そういえば昔使っていたメールソフトで、キャラを設定していない場合にメールを届けてくるのは、Unknownくんだった。茶色い紙袋のひっくり返したような姿で、ちょっと異様なキャラだった。

これまでメールも数えきれない程してきたが、それも昔の話。
便利であっても送る相手がいなければ無用の長物。送る相手がいても内容がなければ必要ないのである。

ブログはそういう意味では孤独であり孤独でない空間。
誰かが見るのだろうか?と思いつつ、期待もせずに好きな言葉を並べられるのだから。

そう思った朝。

2019年12月29日日曜日

奇跡の軌跡

この世の中に絶対はないと人は言う。
成し遂げられない結果を見越して布石を打つ言葉だと思う。
そして良い結果を招いたときは、日頃の行いが良かったと言う。
努力の積み重ねがあれば辿り着けなくはない事柄でも、小さな神にささやかな祈りを捧げるだろう。

思いつきのデタラメな行動でも、結果良ければすべて良し。
奇跡は突然やって来る。
その軌跡を振り返る事も出来ない。

ひと区切りになる暦の起点がもうすぐやって来る。
なにかを引きずっていても、その境界線を越えれば、新しい朝を迎えられたと感じることだろう。
なにも変わらないと知れば、どこか辛くなる生きにくさも、時計の針が頭上をまたげば、変わり行く時代の流れに期待してしまうものだ。

後少しの「今年」を流れるままに過ごそう。
軌跡が起こる瞬間のような特別な時間など望まず、せめて静かに新しい「今年」の始まりを受け入れよう。

2019年12月28日土曜日

それは知っている

幾つかの経験が自分を形成している。
失敗と挫折がその殆どである。
繰り返し痛みを味わうことで乗り越えてきた。
弱さは常に根底にある。本来の自分だろう。
失敗や挫折全てが苦しみではない。
あえて踏み込んだ本能的な性質と言えよう。
そこで成功を勝ち得るには程遠いと分かっていても、泥沼があるとしても、寄せられるのは弱さでしかない。

勝利をつかむ方程式。
幸運を引き寄せるメゾット。
そんなものは成功者の独り言だろう。

でも確実に言えるのは、自分の弱さがどこにあるか。
それは知っている。

2019年12月26日木曜日

忘却の彼方のその先にあるもの

年の瀬に駆け込むように新しい何かを見つけるとか、出逢ってしまうようなことはない。
どちらかと言えば総決算とおぼしき記憶の整理が始まる時期になってきた。
まだまとまらない感情と経験が頭の中を駆け巡る。
捉えようのない様々な思いがあるらしい。
言葉にすれば残るものも、そうでないものもあるようだ。

また会おう。
昨日よりも前の自分に。
探し物があるなら見つけにいこう。
明日への自分を助けてくれるかもしれない旅に。

2019年12月25日水曜日

メリー

今日はクリスマス。
明日は普通の日。
この違いは何だろう。
不思議。

2019年12月24日火曜日

ハートランド

イブの夜。
聖なる夜は続いている。
きっとイルミネーションの下で、来年の今日もなんて語り合っているのでしょう。
今日と言う日を過ごすために特別なサプライズを従えて、見えない未来を誓うなんて、ナンセンスでもあるけど、それが今という時間の限りある価値を高めている。

サンタクロースはいない。
トナカイも夜空に雪車を引いて飛んだりしない。

ただそんな幻想を持ち合わせて人はこの日を迎えるのだ。
プレゼントは幸せを詰め込んでおくといい。
聖なる夜だから許される浮かれ気分を解き放つ。
寒くても暖かいねと言える日になれれば良いね。

うどん屋のカツ丼

何だかなぁ。
うどん屋のカツ丼って美味いよね。
勿論うどんが美味しいお店での話だけど。
出汁が良いんだろうということしか言えないが、使ってるロース肉がそんなに高級でなくてもそこそこ美味い。

たまに肉が冷えてるカツ丼出す店がある。
揚げたてじゃないってどういうこと?ってなる。
デパートの食品街が意外にそうだったりする。
そういう店は二度といかないだけなんだけどね。

丼もので言えば、天丼や牛丼よりカツ丼が好きです。
以上。

イブ

毎度お馴染みクリスマス。
かつては子供にとって夢のあるイベントだったと思うが、今では国民行事の色も褪せて、商魂逞しい業界も、サイバーマンデーだのブラックフライデーだの、クリスマス前に色々セールしちゃうもんだから、クリスマスの有り難みが薄味に感じるのは気のせいでしょうか?

自分が子供の頃は、各家庭に煙突があって、サンタが煙突から入ってくるっていうのもありだった。但し、人ひとり通り抜けられるようなサイズではなかったのだが、まぁ、夢がある話ではあった訳です。

今では玄関からやって来るっていうのが正統派でしょうね。
いくら子供でも、窓から入ってきたら不審者だと思うでしょうから。

タワーマンションに住んでいる富裕層のサンタは大変でしょう。
オートロックだの指紋認証だのセキュリティが厳しい家も、サンタが訪ねにくい気がします。
まぁ、そもそも居ないのだが。

それでもクリスマスはやって来る。
何故かイブの方が盛り上がる気がしてならないが。

2019年12月18日水曜日

カラコンとメイク

視力低下した人には欠かせないコンタクトレンズ。
自分は使用していないが、眼鏡という鎧で覆うことによる顔の印象の変化が嫌な人等には適しているアイテムであろう。
使い捨てレンズ等もあり、きっと昔よりはお手軽なのは感じるところ。コンタクトデビューで人生観が変わる人もいるかもしれない。
眼鏡はチョイスを間違うと、眼鏡に性格的な要素が反映されかねないからだ。

コンタクトレンズでもカラーコンタクトは異質である。
元々は映画の特殊メイクとかから発展したと推測するが、今では色のバリエーションより、黒目を大きく見せるアイテムになっている。
その方が目が大きく可愛らしく見える?のであろう。

二重・大きな目・まつ毛長めで生まれて来た自分には分からない世界です。
カラコン、メイクで決めすぎるとどうもSF映画に出てくる異星人ぽく見えてしまうのは自分だけでしょうか?

ナチュラルメイクが素敵だと言いたい今日この頃でした。

丸裸♪

自分の脳内の構造が疑わしくなる時。
このところ見る夢(寝てるとき)は支離滅裂だ。
目が覚めて覚えているのは僅かだが、残った記憶は斬新なシーンばかり。

Netflixで話題の「全裸監督」という作品がメディアで度々取り上げられ、少なからずとも興味はあるが、Netflixに登録していないので見ていない。そこまでして見ようとも思わないし、言わばその程度なのだが。
今日の夢の何気無いシーンだったと思うが、BGMで流れて来たのは、意味のない「丸裸♪~~~」というフレーズ。
何度もリピートされるメロディーが夢の中の自分の頭に刷り込まれていく。
何故丸裸なのか?
そしてシチュエーションに関係なく流れて来たのは何故か?
誰に問うこともなく過ぎ去るであろう夢の出来事でした。

2019年12月17日火曜日

雨が降るように

今日は雨。
晴れていても寒さが厳しい今日この頃。
雨が降っているせいか気温が僅かに高いようだ。
薄暗くどんよりした空に溜め息をひとつつく。

雨の日が好きだという人は少ないが、そういう人は必ず好きだという理由を持ち合わせている。特別な思い出でもあるのだろう。そう思えることが羨ましくもある。

雨の思い出は幾つかあるが、どれも悲しい記憶。
だから雨を好きだと言えないままである。

雨の中で満面な笑顔を見せるのは、誰よりも幸せな人達に思える。
微かな記憶さえ手のひらを溢れていくような程生きてきた自分に、雨の良き思い出は作れるだろうか。


2019年12月16日月曜日

ソノサキにあるもの

何かを考えて、何かを掴みたくて、何かが分からないまま進む事がある。新しい事は古い記憶の上書きでしかない。より高くと望んでも、その準備が出来ていないのだから、足元に近い高さの低空飛行が現実なのだと終わりの瞬間を待たずして訪れる。

足元がぬかるんでいれば危ないが、安定しているからこそ、不用意に未知なる世界を見たくなるのかもしれない。

情報や噂を聞き付けても、そこにあるのは歪められた理想だったり、彩られた擬物であったりする。だとしてもそこに自分を投影してみて気がつくのは、闇を欲する心の隙間かもしれない。
救いがたい愚かさは、いつか自分を呑み込むだろう。
吐き出された言葉は意味のない過去の積み重ねばかり。

少し落ち着いて見渡す余裕が出来れば、昨日の自分を称えられる程になるのだろうか?
新しい朝を迎えるに相応しい自分を見つけられるだろうか。

金運アップ♪

年末押し迫り、なにかと物入りの時期になってきました。
令和元年も後半年で終わるんだなぁとしみじみ感じる程の情緒は持ち合わせていませんが、刻一刻とその時は来るのです。

今年を振り返るような書き出しですが、まだ早いので本題へ戻ります。
このところの趣味である数字選択式宝くじ。大当たりこそ逃していますが、小当たりはボチボチありまして、運気としては悪くないと思っているのです。こういうのって「当たる!!」と思わずして当たるはずもないというのが持論ですので、今は買い時なのです。
かといって、闇雲に買い続けるとか、何となく買うのでは当たりを引くことはできません。
幾つかの当たるジンクス(当たルールと名付けよう)を見つけて実行するのも楽しいのです。
売り場がここが良いとか、抽選日はいつが良いとか。

更に金運アップの定番にもちょっと頼ってみようというわけです。
今回は財布をチェンジしてみることにしました。
お札を折らない長財布で、金か黄色(黄土色)が良いという情報のみで財布を購入しました。
当たりますように。

2019年12月15日日曜日

R18に挑む訳

つい最近R15指定の作品を見た。
今の映画作品は年齢指定が細分化されていて、上映や鑑賞の際に注意が必要と言う認識である。その考えや根底にある時代背景(犯罪に影響をもたらした可能性)を否定こそしないが、言論や報道の自由といった法の下の平等は、安全安心の神話を構築するために削られていっている気がしてならない。
興味がある世代には与えず、成人には与えようというのは、結局検挙出来るかどうかの差でしかなく、無知なる者は幾つになっても変わらないとは思うのだが。理想を積み上げれば今の時代の生きにくささえ、抜け道を知るものにしてみれば関係のない緩い世界でしかないのだろう。

それにしても、日本映画であえてR指定の作品を描くのか?
AVというジャンルが一般化して、成人映画的なものは衰退していったはずなのに、興行的にも利幅が薄く、ドラマチック描こうにもシナリオが軽く見える気がしてならない。

今回見た作品で言えばこうである。
アングルもワンカメの構図が多く、安く作っているのがわかる。
見た作品は有名な役者は一人もいない。展開も急すぎて辻褄が合わず苦しいが、感情が噴き出すようなシーンでは、役者の迫真の演技が冴えていてそれなりに見ごたえがあった。でもラストシーンは意味不明な終わりだった。
きっと何度も見るような名作ではない。
故にある味わいを自分なりに見つけて楽しむ作品なのだろう。
どうも日本のこの手の作品は、貧しい、寂しい、悲しいを絡ませるのが定番過ぎてつまらない。

でもそのチープさが何となく良い気がしたのである。
何となく。



2019年12月14日土曜日

眼鏡を買う。

眼鏡は欠かせないもの。
学生時代に視力が落ちてからずっとしている。
眼鏡がなければ車も運転出来ないし、きっと生活にも支障があるだろう。
コンタクトレンズにもチャレンジしたことがあるが、お試しでしてから購入に至っていない。何となく違和感があったり、装着の手間が煩わしいと感じてしまったからだ。

眼鏡はそう買い換えるものでもないが、2、3年おきに買っている。
毎日使うものだけに、気が付けば傷んでいたりするのもある。視力の変化に合わせて度数を変えると、以前から使っている眼鏡が使えなくなるので、このところ度数は変えずにオーダーしているが、いつかはそうもいかなくなるであろうと感じている。

比較的安く購入出来る店があるので、最近はその店でお得意様になっている。技術代や材料費、様々な経費的なものからしても、売れれば利幅の大きい商品であろう眼鏡が、1本数万円以上(3~4)が当たり前の時代は買うのも躊躇ったものである。今は数千円からあるのだから、いい時代になったものだ。但し数千円の眼鏡を好んで買う事もないが。

1週間後に新しい眼鏡が出来上がる。
仕事用にはもったいないブランドフレームの眼鏡が新しい世界を見せてくれるだろう。

ノーベル賞を戴けるのなら

発明家として莫大な財を築き財団を設立。
世界的に立派な活動や研究をした人達に贈られる賞。
何だかよく分からないけど、世界を代表して誉めてくれる感じ。
受賞者は時の人となり、今で言うならインフルエンサーとかになって、通販で商品売ったら儲かりそうだなと思う。
そんなこと企まない人が貰える名誉なんだけど。

もしもノーベル賞を貰えるなら、文学賞とかぐらいかな。
他はあまり興味ない。
どうしてもと言うなら戴くけど、表彰式には出ないふりをするかな。

2019年12月9日月曜日

50kmの挑戦

不要な緊張感を自ら味わうなら、車の燃料メーターが残量警告を発してから、どれだけ走れるか試すのが良い。
今時映画のワンシーンでもあるまいに、ガス欠で車が止まるなどあり得ない話だが、警告を無視して走り続ける以上、そのリスクは当然付き物だ。
自分の車では、理論上警告灯が点いてから、およそ60kmは余裕で走れる筈である。あくまで理論値であり、もっと走れるか、それとも短いかは試したことがないので分からない。

今朝買い物に行ったときは、まだ余裕があったのだが、再スタートをしてしばらくすると、警告灯が点滅し始めた。
目的地はまだ15km先だし、いつも行くスタンドに戻るには時間的に余裕がない。取り敢えずそのまま向かうことにする。
簡単な用事を済ませ、自宅に向かうまでに3ヶ所寄り道をしたいのだが、迂回ルートとなるため、30kmは走らなければならない。ガソリンスタンドがどこにあるか頭に入っているが、出来るだけいつものスタンドまで走破したい。慎重に車を走らせる事とする。
大きな国道を走れば距離は近いが信号が多く、一時停止などのリスクもある。万が一ガス欠で車が止まれば大ひんしゅくでもある。山道を走ればカーブが多く、小刻みにギアが変化することでの燃費の浪費もあるが、一定速度で走りきれば何とか距離が稼げると判断し、山道を選択する。

前後に車もなく至ってスムーズに山道を終え、市街地に出たところで究極の選択である。
このままガソリンスタンドに向かうべきか? 用事を済ませ自宅近くのスタンドで給油すべきか?
普通なら前者を選ぶべきだろう。リスクは少ない方がいい。
ただ、午前中に用事を済ませたい。後15kmは行けると判断し、寄り道コースを選択する。
1軒ごとに車を停車し用事を済ませなければならない。この次エンジンが掛からなかったらどうしよう。人知れずドキドキしながら無事に任務完了。最終的には目的のスタンドまで辿り着きました。
過去最高水準まで満タンにし、家路についたのです。

心臓に悪いのであまりしない方がいいですね。

本日はお休み

お休みの日はゆっくりすれば良いと思うのだが、日頃出来ないことややり残したことを思いだし、結構忙しく過ごしてしまうのが常である。性分というか、年々そういう風に自分を追い詰めていっている感も否めない。昔はそうでなかった気がするからである。

一旦帰宅してきたが、出掛けるまでにそんなに時間がないと決めつけている。慌てることもないのだが、落ち着かない。あれもこれもと頭によぎる予定を整理していると、途方もない量の用事が増えていくのだ。本当は今日の予定に組み込んでいなかったはずのことでさえ、まるで今日中に終わらせなければならない重要なことのように思える。

午前中の予定はほぼ決まった。
頭の中にはカーナビのような地図が浮かび上がり、到着予定時刻をアナウンスしている。
午後からの予定を空白にして、慌ただしいであろう今からの時間をきっちりこなしていこう。

迷っている暇はない。ナビが急かすように進路を誘導してくれている。頭の中で正確な情報を刻々と。終わりが近づくまで。

24時間営業ではありますが

朝早起きして買い物に出掛ける。
車の通りも少なく、買い物のレジ待ちもないのが魅力ですが、今日は店が棚卸しか何かで一時閉店状態だった。
前もって知っていれば来なかっただろうに、冬空の下は寒さが一層増すばかりの無力感。今日1日の予定がこれで狂ってしまった。

朝早起きした分時間に余裕はあるのだが、午前中の予定が詰まってしまった。分刻みのハードスケジュールに変更である。そもそも個人的な予定なので予定変更を緩くすれば良いだけなのだが、後回しにしたくない一心で、この後過ごすことでしょう。

仕方がないので、最寄りのコンビニでホットコーヒーを買ってみた。
キリマンジャロブレンド新発売である。
とりあえずは薄い。香りもコクもである。
温かい飲み物にありつけただけが心を満たす。
車の列が流れて、信号の度に長い帯のように連なっている。
暗かったはずの景色も、朝の顔に変化して見える。

一旦戻ろう。
予定の細かな組み立ては帰宅後にすることにした。

2019年12月8日日曜日

座敷わらしに出会ったなら

日本には妖怪が居るという言い伝えがある。
さらに幽霊や怨霊、奇々怪々な伝承があるがどれも架空の存在であり、科学的根拠のない想像の賜物とされている。
但しそれらは信心深い人達によって語り継がれ、どこかに居るのではという潜在意識と結び付いている。物がなくなったり、突然見つかったりすれば神隠しだと思い、夢か現実か分からない現象を霊的なものと結びつけることで、納得しようとする。

それらを見えてしまう人は霊感が強いと言い、良い悪いを識別しては御祓をしたり、供養したり、時には対話もするようだが、私にそんな特殊能力が有るわけもなく、特段そういう世界を信じているわけでもない。

そんな中今朝早く不思議なことがあった。
まだ夜も明けていない時間帯。真っ暗なな部屋でスマホの画面が煌々と光っている。画面に写し出されているのはシューティングゲームのような画面。朝起きれないと言っている家族がこんな時間にゲームをしているようだった。注意すべく足元から近づき布団を剥がすと、うつむせだったはずが仰向けで寝ている。「スマホを出せ!」と言うと眠そうに「向こうの部屋」と言う。確かに言われた場所にあった。
あの眩しいほどの明かりは消え失せ、それぞれが眠りにつくしかなかった。

明けて出た結論は「座敷わらしが居たんじゃない?」である。

プラスに捉えて解決となった。

間違いなく見えたのである。
ただ事実と現実が相違していなかったのである。
座敷わらしかどうかは別として、不穏な空気が一掃出来たのは、いにしえの伝承が救いとなったようである。

そして座敷わらしが居る家は栄えると言う言い伝えに、年末の微かな期待が加わることになった。
結果は未定だが、良い方向に進めば良いと思う。


2019年12月5日木曜日

ナーブ

今日も映画の話です。
「ナーブ ~世界一危険なゲーム~」
短めの映画でした。だからでしょうか、導入部とラストの展開があっさりしすぎてる感じの映画でした。
大学進学を控えた高校3年生のヴィーは、親友とのトラブルをきっかけに、裏オンラインゲーム「ナーブ」に挑戦する。視聴者と挑戦者で成り立つ過激なゲームをクリアすると、賞金が振り込まれるシステムだ。度胸試しのつもりで一度だけのつもりで始めたゲームに、次第に取り込まれていくヴィー。最初の挑戦で偶然知り合った男とゲームを進めるのだが、より過激な挑戦と目に見えない狂喜の世界に巻き込まれていくのだった。最後はどうなるのかは映画を見てください。

SFやホラーのような要素はなく、現実社会にもしかしたらあるかもしれないと思わせる設定ですが、肝心の首謀者が誰かなどの伏線は全く出てきません。それが良かったりするのかもですが。

たまにはこういう映画もありかなという作品でした。

2019年12月4日水曜日

インフルエンザ

流行ってますね、インフルエンザ。
もうそんな時期なのかと、季節の風物詩のように感じます。
お陰さまでインフルエンザ流行とは縁がない健康体。
それ以外にはあちこちガタが来てはいますが、ウイルスに対しては結構耐性があるようです。

目に見えない敵と戦うには予防しかないのですが、潔癖症ぐらいの人じゃないとそういう行動をしない気がします。
但し、マスクは流行しているインフルエンザを追従する流行のようにしている人が多い気がします。おしゃれアイテムみたいな感じでしょうか?マスク美人が増える時期でもありますね。


2019年12月3日火曜日

ハッピーバースデー

おめでとう自分。
ありがとう自分以外のすべて。
ありのまま、あるがままでいられる今が最高です。


2019年12月2日月曜日

まだまだだな

LOTO6抽選日。
結果は5等1本当選。
かなり良い感じで予想したつもりだったけど、少し宛が外れてしまったみたい。
もう少し予想を絞っていけるかな?
でも全く当たらないよりはましかな。

さぁ、頑張ろう!

12月だった

ブラックフライデー。
サイバーマンデー。
まだ聞きなれないセールが立て続きに開催されているうちに、12月だった。
クリスマス。
大晦日。
そして新年。
2020年。
オリンピック。
なんか景気のいい話が勝手に流れてるようでもある。

激動の一年もあと僅か。
やり残した事も多いし、出来なかった事もあるだろう。
来年に持ち越すことが多い一年の気がするけれど、ゆっくりで良いから前に進んでいこう。


昨日は焼肉

急遽昨晩焼肉を食べに行きました。
こういう時って写真を撮ってアップするのがSNSぽくって良いのだろうけど、そういうのしません。
私の誕生日祝いという名目ですが、払いも自分です。
初めて行くお店でしたが、まぁ普通。
口が肥えているので(自称)評価は厳しめですが、特別旨いとまではいきません。
ただお祝いの席を過ごせた事がご馳走だったと言えるのでしょう。

明日誕生日です。
生きてるだけで幸せだと言えるように、日々を感謝しなくてはと思います。

世界平和を考える

スネークマンショーをご存じだろうか?
日本を代表するアーティスト集団によるユニットで、ラジオ番組として活動してきたらしい。かなり昔のことだが、詳しくはWikipediaで検索して欲しい。
そのスネークマンショーが出したアルバムがある。音楽とコントが融合した珍しい作品なのだが、大人の遊び心というジャンルがそこにはある。
まず、現在の地上波では放送出来ない下ネタが組み込まれており、一流の音楽家や俳優などが、これ程ふざけてしまってることがおどろきなのである。
ましてや音だけの世界。
人の聴覚から得られる情報を脳内の映像に反映させる手法は、今でも斬新にして先進的でもある。

彼らユニットのアルバムの中に「死ぬのは嫌だ 怖い 戦争反対」がある。
時代は反戦ブームだった影響もあるのだろう。
しかしそれさえもブラックジョークテイストの仕上がりである。
初めて聞いたときは面白さが優先だったが、改めて聞き直すと少し考えが変わった。戦争未経験の世代に戦争の本質をかなり急な角度ではあるが訴えていると感じる。
故にこういった風刺は必要な表現なのであろうと思う。

LOVE AND PEACE