2020年3月31日火曜日

追悼

ドリフターズの志村けんさんが新型コロナの闘病の末お亡くなりになりました。享年70歳。若すぎる死でした。
自分が子供の頃70歳の芸人と言えば、落語や漫才の見たこともないような師匠で、お正月の演芸番組で拝見する存在でしかなかった。
今では多くの大物芸人が第一線で「バカ」を演じる時代になったものです。気が付けば60、70歳が元気に活躍し、当たり前のように走り回っている。違和感もなく、若手や中堅どころと絡んでいるのですから大したものです。
ただそれも思いがけず、今回のコロナ感染はいともあっさりと奪ってしまうのです。
見えない敵に立ち向かうには、見えない敵に立ち向かう術が必要なのだと強く思うばかりです。
ネットでもお悔やみや思い出を語る書き込みを見かけます。
都知事の発言はやはり言葉を慎まなければならない引用があったと思いますが。
感心事の求心力を有名人の急死の原因になぞらえるのは如何なものかと。
今は日常の一部が欠けてしまった感覚を埋められない寂しさを感じますが、日々の生活を大切に生き抜こうと思うばかりです。

志村けんさん。笑わせてくれてありがとう。
背後からコロナウイルスが迫ってくる状況に「志村~。後ろ~!!!!!!」って言いたかった。(言ってたかも)
その声は届いていたんでしょう。

安らかに。
合掌。


2020年3月28日土曜日

迷惑メールってばさぁ。

いまだに届く迷惑メール。
一つ一つ手打ちではないだろうけど、今時こんなので騙されるものかね。
最新作は「宅配業者」を装った配達メール。
そういうサービスに登録しないと勝手に来るわけ無いのに、朝方4時とかに普通に送ってくる。

あのね。
うちの携帯はメール友達居ないので、すぐばれます。
着信来るとビビる位ないです。

2020年3月24日火曜日

不要不急の外出を控えましょう

パンデミックからオーバーシュートへ段階が移り変わるかもしれない。
実際そうなれば経済活動や生活そのものが機能停止しかねない。
危機的状況を予測しながら、先手を打って行動しなければならない。

とりあえずおとなしくおうちで休日を過ごしています。
お部屋は空気の入れ換えをこまめにします。
掃除は念入りにします。

ネットで大喜利しておきます。

2020年3月23日月曜日

なんか来た。

Twitter経由でDMが来た。
自分が見ているツィートがそういう系だったからか、発言がそっちよりだったからか、「お誘い」の内容だった。

取り敢えず丁寧にお断りの返信をする。

冷やかしか詐欺かもしれないが、関わらないに越したことはない。

甘く見て貰っては困る。
伝説の遊び人は甘い誘いに乗らないのだ。
伝説の遊び人の名に恥じぬよう日々精進しよう。

2020年3月19日木曜日

自己承認欲求について

「いいね」の数が自分の価値だと思うようになったらおしまい。
Twitterを始めてから思うこと。

自分の発言がこの世のどこかでポツンところがっている。
道端の石のようなもの。
特別な輝きがあるわけでもなく、貴重な鉱石でもない。
ただの石ころ。
でも興味を持ってくれる人がいれば嬉しいのも事実。
確かに「いいね」も頂いた。
でもその数に拘るつもりはない。
それが自分を図る指標になってしまったら、本来の自分が消えてしまう気がする。

だからここは変わらず残しているし、少しずつだけれど書き続ける。
ここは自分が生み出した世界。
一部であり、すべて。




2020年3月15日日曜日

異次元クオリティー

文字はその人と成りを表すというけれど、手書きじゃなきゃ分からない。
でも文章は、語尾ひとつでその雰囲気や印象が変わるものです。
そういう体験をしていると、自分はまだまだ浅いなぁと思うのです。
万人受け等狙うわけでもなく、何となく書いているブログだけれど、時には自分の納得する仕上がりの文章を書きたいと思うのです。

2020年3月13日金曜日

話題の中心

ニュースも、ワイドショーも、ネットも、新型コロナウイルスに纏わる話題で持ちきり。ウイルス感染の恐怖だけでなく、経済活動への打撃が深刻化しているのが、より一層拡大しているからである。
マスク不足が解消されないといった状況にも、いつしか慣れてしまった感はあるが、もうそれどころではないと悲鳴をあげている業界は多いだろう。倒産。閉店。破産。当たり前の日常が停止すれば、こんなにも脆くなってしまう社会経済のあり方が、今後どのように立ち向かって行けるのか考えどころである。

そんな中、小倉優子離婚危機報道がワイドショーで取り上げられていた。人々の感心事はそこか?と首をかしげるしかない。
スポンサー有りきの民法TV局にとっては、芸能ニュースを織り混ぜるのも視聴率獲得の定石なのだろう。お昼のワイドショー番組はいつだって主婦層がターゲットなのだろうから、仕方ないか。

と言うことは、ゆうこりんは数字持ってるってことなのかな。
自分的には興味ないんですけどね。

2020年3月11日水曜日

流れて辿り着いて

はまり中のTwitterのフォローを辿っていくと、興味深い方々に出会うようになってきた。
きっと普段の生活では出会うことの無い感性の持ち主である。
そもそも、そういう人達ばかりだと、それはそれで渋滞してしまうほど感情の振り幅が大きいので、こういう距離感が丁度良いですね。

人を傷付けないけれど、自分の言いたいことは言える位。
発想が豊かな方々に刺激貰って、ちょっと新しい世界を探索してみたいと思います。

Twitterにハマってみた。

自分が呟く訳ではないけれど、Twitterにハマってみた。
誰かのツイートにリツイートする形で進行中。
肝心の自分のツイートは「0」件のままですが。

言いたいこと。
書きたいことはここで書けるからいいかな。

ここでも大したこと書いてないけど、Twitterとかって何か自分には大きすぎて分かんないんだよね。結局。
どこでもそうだけど、他人の悪口とか、デマ情報とか流すとかはやってません。Twitterも気になる人を応援するメッセージ限定でやらせて貰ってます。

ここのブログも楽しいけど、他の世界を垣間見るのも悪くない。
そんな感じです。

2020年3月9日月曜日

このコトバつかうなかれ

魔法使いが摩訶不思議な現象を引き起こすときに使う言葉。
「呪文」
そのまま読めば「呪いの文」である。
なぜこのような表現になったかは定かではないが、不思議な力を操る裏では、その代償となる災いがあるとも読み取れる。

アニメや漫画では可愛らしく描かれる魔女(っ子)や、有名なシリーズの魔法使いは勇ましく、決して怖い存在ではないが、中世欧州においては不思議な力を有する者は、男女関わらず「魔女」として忌み嫌われ迫害を受けてきた歴史がある。時には無惨な仕打ちによって命を落とした人もいるようだが、迷信や得たいの知れない疫病の対抗手段だったのだから、何とも言い難い。

現在は魔女の存在など信憑性に欠けるところだが、「呪文」は至るところで唱えられている事にお気付きだろうか?
新型ウイルスで紙製品が不足すると言ったデマも、有効な「呪文」なのである。
その言葉が信憑性に欠けても、目の前から必要なものが消えていく様に変化し始めれば、人はたちまちその呪文に飲まれていくのだ。
恐怖心を煽る。情報が拡散する。現実味を帯びてくる。
今の社会構造では、この流れに言葉を乗せればそういう「呪文」に成りうるのだ。

罪の意識がない言葉は危ういものである。
言葉選びはその人を表す。
だがその人から離れたところでも伝わるのだ。
形を変え、中身が歪んだとしても、発信元の一言として。

不用意な言葉にご注意。
そう思う今日この頃であった。

2020年3月8日日曜日

むすんでひらいて

繋いだその手を振りほどいて君は去っていった。
振り返ることもなく、背中越しのサヨナラが最後だった。
そんなことが何度かあったのをふと思い出す。
思い出とは言いがたい記憶。その先を歩き続けて今がある。

固く結んだ絆もスルリとほどけて離れていく。
不実な現実はかけがえの無い時間を消していく。

一瞬が過ぎていく。
過ぎ去った時は常に未来を辿る。
自分がどうなるかは自分次第でしかないけれど、開いて結ぶには少し戸惑いが付きまとう。

まだ道半ばなのだろう。
心に刻まれた傷みに翻弄されないように生きようと願う。

2020年3月6日金曜日

どこまでいけるか

情勢は日々悪化により規制や自粛が厳しくなっている。
目に見えて変化している人の動きを見ると実感する今日この頃。
まだ不安に駆られて行動するほどでは無いが、拡がりを見せる感染に注意しかないのは、誰しも同じだとそう思う。

何処へ行こうかと考えるより、頭の中の記憶にある場所へアクセスすると、そこは平穏で楽しい時間が今も流れている。
自分の記憶で形成されている領域は、ご都合主義の主観で構わない。楽しみたければ楽しめ、辛くなることもどこかで乗り越えられる。
移動の時間も、チケットも、無駄な準備も要らない。
そっと目を閉じて思い浮かべればいい。
眠りにつくまでの僅かなひととき。空想旅行。

今日は何処へ行こうか。
記憶の果てへ旅立とうか。
現実から解放される瞬間。
体を休めて気持ちを高めよう。

2020年3月5日木曜日

そういうことか

SNS全盛の昨今。
余りある情報量に埋もれるであろう呟きをしてみた。
とあるネット番組のアシスタントさんの卒業を受け、公式Twitterに
書き込んだのだ。
短い文章だが、寂しさと感謝を自分なりの文にして綴った。
それだけで満足なのだが、さっき通知で公式Twitterさんが「いいねをしました」とあったのを見つけた。
届いているんだなっていう事実が見える事で嬉しくなった。
とても単純なのだが、「そういうことか」と納得できた。
きちんと見てくれる人がいる。
アナログ世代の自分にも伝わる感覚がしっかりあった。
返信とかそういうものを望むわけではなく、何気無くしたコメントを誰かがきちんと見ている。
それがいいんだな。

2020年3月4日水曜日

眠たい。

睡眠時間は5~6時間で十分足りる筈なのに、今朝はかなり眠い。
どうしたものか、あくびが止まらない。
あくびとは脳に酸素を送り込むための動作とはいうが、どれだけ酸素が足りていないのかとおもうほどだ。


人少なっ。

頚椎の痛みで久々に病院に行ったのだが、いつもは人混みがある病院でさえ閑散としていた。
お陰で待ち時間もほぼなく診察を終え、スムーズに予定が進んだ。
いつもの受診待ちはなんだ?って思う。

新型ウイルスの影響で、自粛・中止・延期などが拡がっている。
人の動きが制限される状況で見えてくるのは、防衛本能と浅ましい人間性が際立っている。
国をあげてウイルスの封じ込めを図りたいとする政府見解も、初動の遅さ(致し方ないが)や、危機管理能力の低さが露呈する結果ばかりが目立つ。戒厳令を発動すれば、愚かな買い占めや暴動に発展しかねないのは目に見える。それを統制する程の国家力が無いのだから、民衆の善意に委ねて鎮静化を見守りつつ、粛々と国家レベルで出来る(やるべき)検査や特効薬の開発、緊急対策の実施に専念してほしいものだ。

天災以上の危機的状況に立ちむかうには、個々の人間性が重要なのだが、先の見えない不安にどう立ち向かうかは不透明である。

変わり行く世界

夜は短い。
そう感じるようになったのはいつからだろうか。
気が付けば月夜も闇夜も仰ぎ見ることなく過ぎ去ってしまった。
賑わう場所の妖艶ささえ、忘れかけて今を生きている。

どうしているかなんて知るよしもなく、どうしているのと問われることもない。
変わらない距離感がどこまでも続いている。
ただ風の噂のような呟きに、時おり励まされていたような気がする。

その繋がりも消え果てた。
時代の移り変わりなのだろう。
どこかに眠る記録はこの先の未来を映すことなく、現実を探したとしても、空っぽの建物が冷えた壁と扉を晒しているだけだろう。

一方的な情を注いだとしても、溢れて流れる儚き世界。
グラスに映る笑顔を忘却の彼方に差し出せば、思い出という名の忘れ物を、そっと優しく閉じることだろう。