情報化社会といわれて久しい現代。
進化は変化に取って変わっている。
最新の技術が手元にあって、
誰もが持ち運び自由に使える。
実に便利な時代になったものだ。
家に電話がなくても、冷蔵庫がないとか洗濯機がないとかはなかった。
しかし、今は携帯(スマホ)はあるが家電はないという人もいる時代。
便利さの価値観が変革を起こしているのだ。
たしかに冷蔵庫がなくてもコンビニがある。
洗濯機がなくてもコインランドリーがある。
困らないなら必要ないのだ。
だが携帯は必要なものになってしまった
GPS機能で所在が判るのが便利であったり、
逆に不都合であったりしようものでも、
それがあることで社会の一員であるかのように位置付けられる。
連絡手段を越えて、交流という欲求に対応するツールになっている。
人の潜在的欲求を掴み取れば、安定的市場を確保できる。
情報化社会の根幹はまさに「繋がり」に対する欲求を満たしたいと願う者への仲介業界と言えよう。
こうしてネットを使っている自分もその恩恵に預かっているのだけれども。
夜な夜なネットを巡回している時期もあったが、
どうもリアリティーの無い仮想空間に疲れてしまったのか、今では必要最低限しか使っていないのが現実だったりする。
調べものとか興味の湧いたときに検索するのは便利だが、
自分のこれまでの事に何かしらの情報がないか検索したことがあるが、
宇宙の片隅ほどの情報もなかった。
それはそれで良かったのであるが、反対だったら恐ろしくもある。
正しくも誤りでも何処かで残り続けるのであれば、自分がどうであれ何処かで残骸として生き続けるわけで。
それが言葉や文字のレベルでも、パピルスに刻まれた文字や壁画の絵文字のように解読される日が来るかも知れない。
まぁ、考えすぎですがね。
本当に必要なものは手の届く範囲にあれば良い。
声が届く距離で良い。
そう思います。
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