2019年4月29日月曜日

復活祭

昨日の話。
TVにネット接続して映画を楽しんでいると、急にネット回線が切れた。
まぁ、無線LANのエラーであることは明白なのでリセットをしてみる。
回線復帰。TV での映画鑑賞は再開できたのだがここで問題発覚。
セキュリティーのため設定してあるアドレスが消えていたのである。
これでは我が家は公衆無線LAN状態でしかない。

暫くしてから設定をし直すと問題なく復帰できた。
と同時にこれまで無線LANが使えなくなっていたPCも無線で使えるようになったのである。
PC側の問題かと散々設定を見直していたのに直らず、有線LAN化していたのが一瞬で直ったのである。
怪我の功名と言うか、とにかくラッキーであった。

ただし、タブレットやスマホに押されて活躍の機会が少ないのは変わり無いのではある。

ウサギの逆襲

朝。
どうしても起きない子怪獣にうさぎを投入。
見事に任務完了と思いきや、気持ちが良いのかおしっこされてしまった。
外は雨だがうさぎのおしっこは臭い。
急いでコインランドリーへ向かった。
急な出費と時間を無駄にする結果となり、うさぎ作戦は二度と出来ないミッションと判明。
これも人生の教訓なのか。

2019年4月27日土曜日

変わりゆく街と共に

訪れることの無い夜の街を風の便りで感じる日々。
少しずつではあるが何かが変わっているようだ。
人の流れも夜を司る城も確実に変化している。
それを遠くに感じるだけの現実。
日常も変化しているがゆえに進めない道となった。
深い闇も甘い誘惑も溶けて消えるあの街に未練はないけれど、
羽ばたくことを忘れた蝶の行く末を見守るのは、
儚い尊い夢の続きのようであるのです。

2019年4月25日木曜日

予知夢?

4月から色々様変わりし戸惑いながら進んでいる中で思うこと。
これって10年ぐらい前に見た夢の状況なんじゃないかって。
そもそも10年前の夢を覚えているのもおかしな話だが、
今その現実に重なる記憶がある事を辿ると10年前の夢なのだ。

そして日々の夢にもその日の出来事がフラッシュバックかのように現れる。
追い詰められているようで乗り越えようとする力なのかもと思う。

今朝は久々に熟睡した。
というより、起きる事を拒否し続けた結果である。
目覚めは良くなかったが、ダルさは解消された気がする。

少し休もう。
明日のために。

プロフィール

ブログなどでプロフィール欄を見るとその人の個性が見えてくる。
見ているブログが特殊な?だからだろうか、アピールポイントが営業っぽくて面白い。
ただプロフィール欄の更新は頻繁ではないので、たまに覗くのだが更新されていると何があった?って想像するわずかな時間が楽しいのである。

直接連絡出来るわけでもないので、勝手に想像して着地するのであった。
それがまた良いのである。

自分はどうか。
まぁ、遊び人自称している他何にも無いなと反省。
でも特別お知らせする事項もないので更新は当分無しで。

2019年4月22日月曜日

浅い眠りと深い夢

このところ睡眠時間には恵まれているのだが、
眠りは浅く途中で目が覚めて仕方ない。
光。音。温度。
目覚める理由は何でもありだ。
そして目覚めの前には夢を見ている。
不思議で不気味なシチュエーション。
展開も有り得ないほどのデタラメ。
脳がパニックになっているのだろうか。

ゆっくり眠れる時間と寝た時間は比例しない。
そんな日々である。

2019年4月20日土曜日

ハウツー

世の中には様々な教書がある。

代表的なものは聖書や経書であろう。
その他にも多種多様な本があり、無知な世界から導いてくれる。

ただハウツーというのは少し違う。
恋愛のハウツー。
子育てのハウツー。
人間関係を円滑にするハウツー。
どれも当たり前の延長線にある基礎的内容に過ぎない。

経験不足を補うサプリ程度ならまだしも、
こうあるべきだと謳っているものほど怪しくさえある。
何事も経験であり実践に勝るものなしなのだと思うからである。

凝り固まった概念が行く手を阻むことも多いが、
柔軟性をもって立ち向かえば活路を見いだす日が来る。
失敗こそが成功への近道なのだ。

ハウツー通りにやったのに上手くいかなかった。
どこで間違えたかわかるはずもない。
それこそが答えだと信じきっているからである。

だから私はハウツー本を読まない。

取り扱い説明書は細かく見るけれど。

2019年4月19日金曜日

ドキュメンタリー

ヤフー検索急上昇ワードで「オードリー春日 サプライズプロポーズ成功!」とあった。
取り分け好きな芸人と言うわけでもないが、少し記事を読んでみる。
「10年付き合った彼女へ番組中にサプライズプロポーズ」とある。
以前は彼女いませんと言ってキャラを作っていたのだが、最近相方の熱愛と破局が話題になった辺りだろうか、彼女がいることは何となくほのめかしていたのだが、いよいよ結婚に踏み切ったわけである。

同時にその番組(オンタイムは見逃した)が動画配信されているのを発見したので、それとなく見てみることにした。
面白くなければ途中で見なければ良いという軽い気持ちでである。

番組が前もってリサーチした彼女の理想のプロポーズを演出すべく、様々な演出を段取りするのだが、芸人春日の生真面目さが刺さる展開にのめり込み、また彼女のおおらかで優しい人柄が素敵に思えた。
芸能人であるがゆえの葛藤と、見えない努力を垣間見れるドキュメンタリーは実に素晴らしいと思いつつ、動画を最後まで見てしまった。

最初に取り分け好きではない芸人と書いたが、今は好きな芸人に列挙したいと思う。

芸人がリアクション芸とか無茶ぶりをさせられる度に、
「特殊な訓練をしています。決して真似しないでください」
とテロップが出るようになったのはいつからだろうか?
彼らも芸人というだけで、過酷なロケをこなしている訳だが、
我慢という精神を鍛え上げ立ち向かっているに過ぎない。
ネタを作り、舞台に立って笑いをとるだけでは許されない現実と戦っているのだ。

中には芸能人ではなく、芸NO人もいるが、
使い捨てられる事によって排除されてしまう運命なのである。

その中で生き残りレギュラーを多く抱え頑張っているのは、
改めて尊敬に値するのかも知れないとさえ感じた。

オードリー春日氏に幸あれと思った朝の出来事でした。

2019年4月16日火曜日

ラジオから聞こえる

今日の話題は若者の車離れ。
首都圏なら必要ないのも頷ける。
交通機関も発達してるし、維持費も馬鹿にならない。
そういう人も沢山いるだろう。

私は車がないと生活できない環境なので、ずっと車を乗っている。
ただ自分の本当に欲しい車に乗ってきたかと言えばNOである。
カッコいい車。速い車。
憧れの車と現実の車はかけ離れている。

ただ今乗っている車を長く乗り続ける事に執着している。
だからメンテナンスと、ちょっとした自分なりのカスタムはかかせない。
飽きないように壊れないようにと。
日々言い聞かせている。

2019年4月14日日曜日

喉痛いし。

昨夜寝ている途中から喉が痛くて目が覚めた。
喉の奥の方がいがいがした感じ。
ここ何年も風邪らしい病気とは縁がなかったので、久し振りに味わう痛み。

薬飲んだけど早く治らないかな。

体のどこが調子悪くてもいけませんね。
痛覚があるから悪いところを治そうと出来るそうですが、その痛みが消えるように薬で麻痺させるのは不思議でもある。
何にせよ喉の痛みから解放されたいです。

2019年4月13日土曜日

ブラックホール

人類初ブラックホールの撮影に成功。
これはとても凄いことなのですが、宇宙にそういう空間が存在するって事を提唱した最初の科学者は凄いなぁと感心します。

天文学や物理学は良くわからないので詳しいことはなしで。

人間の闇もブラックホールみたいなもので、時として得たいの知れない力で引き寄せることがあります。
宇宙の神秘は人類の神秘でもあるのでしょう。

できるかな

はじめての経験は新鮮で心地よいものばかりではありません。
できれば安定した状態で緊張感も程よくぐらいがいいのです。
人生そうは上手くいかないもので、時々急転直下の出来事があるものです。

何度もそういう状況は乗り越えてきたとはいえ、その分蓄積された知識と疲労の反比例は半端ないですね。
命綱なしの綱渡りをしているわけではないので驚くほどでもないのですが、足元を見下ろすのはもう少し後にしておきます。

失敗を恐れず前を向くしかない。

できるかな。

できるとも。

まだ誰にも触れられずにいる

このブログをはじめてもうすぐ一年になろうとしています。
正確には第一回目の投稿を振り返れば分かるのですが、別にお祝い制度は発動しません。
ただ、全くもって誰にも触れられていない投稿も過去にはありまして、いやぁ~それなりに面白いと思ってはいるものの、スルーされたままなんだなぁと思いました。

いわゆるバックナンバーみたいなもので、遡るとこういうことがあるものです。
過去を振り返る楽しさと切なさを自身のブログで感じました。

2019年4月11日木曜日

春の宴は続いています。

ネット社会とはありがたいものであります。

随分と夜遊びから遠ざかり粛々と日々過ごしている自分にも、あの夜の世界を垣間見させてくれるのですから。
もっとも、自分が主人公として登場する場面など無い文章が綴られたブログを見ているだけなのですが、表と裏の微妙な線を繋ぎ合わせた言葉を読み解くのは面白いものです。

どんなに世の中が変化しても変わらないものと変わりゆくものの両端を見ることができます。

これもひとつの勉強ですかね。

2019年4月10日水曜日

思うようにはいかないもので

最近寝付きは良いものの目覚めが早くて困っている。
二度寝は危険だが早朝過ぎるので寝ようとするのだが、そのまま寝てもつまらないので夢に見たい人物や情景を思い浮かべるのだが··············。
変な雑念というか、嫌な事の方が思い浮かぶようで無駄になってしまう。

寝てるときの夢ぐらいたまにはコントロール出来ると良いと思う今日でした。

2019年4月8日月曜日

しかし

うさぎは自由である。

自由と平等

理想的社会の基礎は自由と平等の共存である。
しかし自由と平等はその概念が全く違うがゆえに共存し得ないと思われる。
自由を求めれば、様々な障壁を乗り越え敵をなぎ倒し進むことになるだろう。
平等は常に分け与え、分かち合い、苦難を共にする信念によって実現する。

日本では選挙ラッシュの時期になったようで、党派の先行きを占う選挙があったらしい。
政治家の選挙は、選ぶ権利という自由と誰でもが投票できる平等が掲げられているが、選ばれた政治家がもたらす恩恵が、自由と平等と反している現実は否めない。

自由というのは何なのか。
無人島で孤独に生活していれば、ある種の自由は得られそうだが。
そうなると何に対しての自由なのかが見えなくなってくる。
そこにもう一人誰かがいればルールが生まれ、少なからずとも自由は奪われるのだ。
そしてルールがバランスを保てなければ平等さえあり得ないのである。

仮説として無人島での話を作っただけでも、結果人間が2人以上存在すると均等なバランスを保つ事が難しいとわかる。
よっぽど理解力があって心の広い人たちが集まれば別かも知れないが。

現実は混沌としている。

最近の日常を見渡した結果である。

2019年4月7日日曜日

多忙の後は何も考えない時間

今日今の時間は何もしない、何も考えない時間にした。
ということで映画鑑賞も休んで、何も考えないずに見れるバラエティーをひたすら見ている。
久々にこんな時間を持った。

しばし充電ということで。

2019年4月5日金曜日

本当に必要なもの

情報化社会といわれて久しい現代。
進化は変化に取って変わっている。

最新の技術が手元にあって、
誰もが持ち運び自由に使える。
実に便利な時代になったものだ。

家に電話がなくても、冷蔵庫がないとか洗濯機がないとかはなかった。
しかし、今は携帯(スマホ)はあるが家電はないという人もいる時代。
便利さの価値観が変革を起こしているのだ。

たしかに冷蔵庫がなくてもコンビニがある。
洗濯機がなくてもコインランドリーがある。
困らないなら必要ないのだ。

だが携帯は必要なものになってしまった

GPS機能で所在が判るのが便利であったり、
逆に不都合であったりしようものでも、
それがあることで社会の一員であるかのように位置付けられる。
連絡手段を越えて、交流という欲求に対応するツールになっている。

人の潜在的欲求を掴み取れば、安定的市場を確保できる。
情報化社会の根幹はまさに「繋がり」に対する欲求を満たしたいと願う者への仲介業界と言えよう。

こうしてネットを使っている自分もその恩恵に預かっているのだけれども。

夜な夜なネットを巡回している時期もあったが、
どうもリアリティーの無い仮想空間に疲れてしまったのか、今では必要最低限しか使っていないのが現実だったりする。

調べものとか興味の湧いたときに検索するのは便利だが、
自分のこれまでの事に何かしらの情報がないか検索したことがあるが、
宇宙の片隅ほどの情報もなかった。
それはそれで良かったのであるが、反対だったら恐ろしくもある。
正しくも誤りでも何処かで残り続けるのであれば、自分がどうであれ何処かで残骸として生き続けるわけで。
それが言葉や文字のレベルでも、パピルスに刻まれた文字や壁画の絵文字のように解読される日が来るかも知れない。

まぁ、考えすぎですがね。

本当に必要なものは手の届く範囲にあれば良い。
声が届く距離で良い。
そう思います。

桜のアーチ

春は桜。

お花見(イベント的なこと)はしばらくしていないが、
桜を見る絶好のポイントがある。

小学校時代2年間ほど通った学校沿いの車道。
もちろん桜の木は歩道沿いに生えているのだが、
高いところで枝葉が交差しており、この季節にはまさに桜の花がアーチになっているのである。
その中を車で走るので、夜は車のライトが反射して綺麗です。
写真があればアップしたいのだけれど、まだ行ってないので残念。

会いたい

会いたい
会いたい
会いたい

この世に意味があるのなら
生まれたことが運命なら
答えを導いてくれるのであれば

ただ
純粋でなければならないのであれば
無垢であることが条件ならば
その権利を主張できるかは疑問だ

生き抜くために
生き続けるためだけに
大人になった

だから
すれ違っても気が付かない
待ち望んでも届かない

会いたいは
いつか
会いたかったで終わる


頂点と底辺

何かに付け頂点と底辺が存在する。
平等の中の不平等とでも言うべきか。
人間が2人以上いれば優劣を付けるものだ。
3人以上だと、その中間を取り合い味方に付けようとする者もいる。
実に分かりやすい構図が出来上がってくる。
味方を付けた奴は強さを誇示しようとするが、足元を見ない弱さを気がつかない。
それを愚かに思うがあえて指摘しないことにしている。

より強く賢いものに押し潰されている姿が目に見えるからだ。

破壊と構築の繰り返しに垣間見る社会の歪み。
実に滑稽でしかない。

少し距離を置いてみれば周りのざわめきも届くだろうに。
それすら気が付かない事が幸運に思う。

私は宙を舞い、時に怒りの雷を放つかも知れぬ秘めたる思いを隠しつつ、頂点にも底辺にも交わりのない場所を求めるだろう。

2019年4月3日水曜日

悲しみには勝てない

ふと思うこと。
人の悲しみには勝てないのだと。
悲しみには癒しが必要だ。
しかし癒しなどそう溢れているものではない。

優しい言葉は嘘のようにまとわりつき、
強い言葉は壁のように厚い。

しかし時に悲しみを吹き飛ばす魔法を持った者もいる。

その人は必要とされている人だ。
ただそれだけで癒しになる。

2019年4月1日月曜日

新世界

4月に入って色々変わった。
状況に変化に対応できなければおしまいとはいかないのが社会である。
一から始めるのは気が引けるが積み重ねていくしかない。
そう思う今日が終わった。

明日も明後日もまだこのループから抜け出せず迷うだろうけど、
とにかく前に進まなくてはと一人思うのである。