2022年4月10日日曜日

寿司食いねえ

私は魚が食べれません。
好き嫌いと言うより生まれもっての体質。
全ての魚が無理です。
貝も同じ。
なので寿司はほぼほぼ縁がないのです。

で、魚は食べれるけど寿司を避けてきた息子。
彼は酢飯アレルギーでした。
幼い頃にちらし寿司で嘔吐してから一切食べなかったのです。
親としても体質的に無理なものを食べさせるわけにいかず、食べさせないようにしていたのですが、昨日急に食べたい!と言い出しまして、無理ならその場で終了!という約束のもと、先ほど行って来ました。

シャリハーフサイズのサーモンから始め、幾つかのネタを食べていました。
酢飯の酸味がほぼなく食べやすかったのか普通に食事をし、デザートにケーキを食べて満足したようです。

本人的にも成長によって味覚の変化があるようで、苦手意識から脱却出来たことは喜びだったはず。
これから寿司をたまに食べたいとなるのでしょうか?

海老しか食べれない自分は海老でお腹が一杯です。

2022年4月8日金曜日

アンチ向いてホイ!

世の中にはアンチが溢れている。

人気者や目立っている人。
行動や存在、思考に至るまで反対意見を向けてくる。
しかもアンチは攻撃的だ。
勝手に思っている分には害はないが、それを押し付けてくる傾向が強い。
一理あると言う事もあるだろうが、基本的にはどうでも良い持論の塊であろう。
とあるところで「見てて不快になります」という書き込みを見たが、勝手に見て不快になるのだから、たまったものではない。
わざわざ不快の原因を探して注意喚起しているらしい。
それに反応すれば更なるアンチを引き寄せ炎上し、ブロックすれば別から他人のフリをして追撃することもあるらしい。
よっぽど暇なのか?謎である。

自分はアンチにならないように「見ない」を心掛けている。
わざわざ見つける事は時間の無駄と思っているからだ。

見るもの全てが自分にプラスになる要素かどうかは結果論だが、最初から毒か害でしかないものを取り入れない様にしている。

アンチの方には向かない。

2022年4月6日水曜日

暴露系なんちゃら

興味がなくてもニュースの見出しで上がってくる「暴露話」
芸能人の裏の顔が公になって、吊し上げや謝罪、活動停止に追い込まれている。
芸能レポーターや記者がリサーチするレベルを越えて、その仲介役だったと言うのだから、関わった人は戦々恐々でしかないはず。
ましてや面白おかしいレベルの話ではない。
被害者、加害者と振り分けられる程の内容らしい。
誰が誰にと興味を持って深掘りする気にもならないので、記事や動画を見たりはしないが、それでも大枠の内容は流れてくる。

立場や仕事を餌に言いくるめて自分の思うように操るといった振る舞いを、「相手が不快な思いをしたのであれば申し訳ない」と謝罪する文を見たが、自分が上に見ている感覚は変わらないようだ。
強制ではない。選択肢はあった。同意があった。
そういう釈明が添えられているのももどかしい。

触れられたくない過去が金脈となって甦るご時世。
暴露というお宝が尽きるまで続くのかと思うと、それもまた苦しい。

2022年4月4日月曜日

YouTubeその2

最近YouTubeで見るのがドキュメンタリー。
何と言うかリアルタイムで生きている人達の人間模様を垣間見ている。

面白いとか凄いなとか特別な感情を引き出さずに淡々と見てしまう。

企画制作されていないがこその取り留めもない言葉や行動であるが、そこに考えさせられるものがある気がしてならない。
誰かに見せる目的と言うより、自分の記録として残しているのだそうだ。
その記録を偶然見つけて見ているだけなのだ。

例えば深く考えた何かをコメントしたりすべきかもしれないが、そこに至るまでの感情移入は避けている。
興味本位でしかない所からの陶酔のような思い込みで浮かんだ言葉は、どう考えても薄っぺらくなってしまう。

静かに見守るように在るべきと心得てみる。

結局叩かれるの誰よって話

ウイルスミスのアカデミー賞授賞式での平手打ちが現地では問題になっている。
日本では否定的意見より、とっさの判断としては止むを得ないというところか。
暴力行為への称賛はしづらいが、直情を抑えきれないほどの侮辱への報復である。
更には不適切な言葉で罵ったとされるが、そうさせてしまった原因について、スターやセレブに対しては皮肉なジョークを浴びせても良いみたいな風潮があり、それらを受け流す器があってしかりなのだそう。
しかし、彼は妻への侮辱が許せなかったのだ。
自分自身への言葉であれば、何なりと笑い飛ばしていただろうに。
病気で短髪にしている妻はそれを隠さずに公の舞台に現れたが、その事を内心辛く思っていたのかもしれない。
その胸の内を知るから故の反撃だったに違いない。
地位も名声も関係なく、一人の男として動いたのである。

その後謝罪をし、アカデミー会員を辞退したという。

彼は何を失ったのだろう。
というか、何故に失わされたのだろう。
スクリーンの中でヒーローとして振る舞い悪人を討伐する姿は絶賛されて、そこにある暴力シーンはエンターテイメントというカテゴリーで容認されている。
リアルは違うのだ。
例え相手に負があっても、とるべき行動は至って冷静沈着にしてしかりなのだと言う事か。

日本では「やられたらやり返す!倍返しだ!」なんて台詞のドラマが大流行した。
時代劇では「仇討ち」が美談として描かれている。
そういう土壌が日本人の中にはあるのだ。

暴力を肯定しない代わりに否定もしないのは、そういった価値観が根付いてるからだろう。