今自分がどこにいたとしても
今自分が誰かと言葉を交わしたとしても
今自分が見せている姿と見えている姿に差異はないはず
そうありたいし、そうでなければならない
本当の自分であるために
どこか誰も自分の事を知らない場所に行ったとき、人は自分を良く見せようと企むものであると感じることがある
いわゆる表の顔と裏の顔を巧みに使い分けるのである
ネットなんかがそういう人間が吹き溜まりのように溢れていて、より現実社会よりも混沌としているのは明らかだけれど、仕方がないのかも知れない
自分はそういう使い分けがとても面倒で、尚且つ必要性を感じないので、可能な限りありのままの自分でいようと思う
このブログを見てくれている人は地球上でほんの数人だし、Twitterでもやり取りがある人は数えるほどでしかない
何か特別な仕掛けを講じればフォロワーが増えたり、人気者になって有名になってっていう事もあり得るかも知れないけど、そこを目的にはしていないので、自分自身をそのまま表現出来る場所として、これからも活用すると思う
思うがまま、感じるがまま、あるがままにね
今のご時世どうにも人との係わりあいが希薄になって仕方ない
かれこれ1年以上もこんな生活が続いている
変に慣れてしまっている現実も虚しいのだが、最終的に人の命や社会生活、経済活動の根元さえも脅かし続けているのだから、自分は大丈夫など言っていられない
そもそも自分の身勝手な行動をしようにも、出先が閉まっているか受け入れてもらえないだろう
緊急事態宣言こそ出ていない地域だし、華やかな繁華街があるとも言えない所だが、飲食店などもより閑散としているようだ
県外にいる親戚筋や友人も行き来が出来ずにいる
江戸時代の関所に阻まれているかのようだ
通行手形を持ってしても県を跨ぐにはリスクがある気がしてならないのも事実
それでも日々を生き抜くには、前を向いて行くしかない!
結局1年前と自分は何が変わったと言われても何も変わってないのである
気を付ける事は増えたが、メンタル的には飄々としているまま過ごしている
世の中の情勢が大きく変化したぐらいで驚いてはいられないって自分を見つめ直すべきか?
そんな時間があるのなら、どんな状況下でも面白く過ごせる事を想像するだろうな
このところ奇妙な夢を見る
見たこともない場所
会ったこともない人
そういう展開が日々更新されている
夢を見ている最中に「これは夢だ」と気が付いていて、自分の思うようになるときとそうならないときもある
不幸な展開のときほど抜け出せないジレンマ
そして朝を迎える
起きた瞬間は鮮明に残っているのだが、仕事に向かう最中に忘れている事が多い
どんなにいい夢でも忘れている
だから新しい夢を見るのか?
最近睡眠を取れる時間が充分にあるのに、熟睡している時間が短い事に気付く。
きっと記憶を失くしたかのように眠っている時間と夢を見ている時間の割合は半々で、夢を見ることで体力も消耗しているようだ。
毎日違う夢を見るし、起きた瞬間は鮮明に覚えている。
悪夢に近い夢が多い気がするが、時間の経過と共に忘れてしまっている。それだからあまり気にする必要もない。
ただ、脱力感が抜けない日は寝続けたことに後悔する。
現実よりもきつめの夢でうなされるからである。