今の自分について自分なりに紐解くなら、幾つかのターニングポイントを振り返ることになる。そしてその時の行動と思考が今も支えであり根幹であると思うのである。
随分と時間を巻き戻す事になるが、決して昔話ではない。
自分にとっては「今」と直結した領域として記憶されている。
20代に差し掛かろうというとしていた頃から、友人や仲間、知り合いといった類いを含めれば、100人は越えるコミュニティのリーダー的存在になっていた。共通の趣味を持った仲間との交流会の(今で言うオフ会)を主催し、遠方からも参加者が集まって来たのが始まりだった。
年齢・性別・職業に限定はないが、その会の中心は高校生で、自分にとっては後輩であり、弟・妹のようなものである。
学校帰りにふらりと立ち寄り、その日あった出来事や色んな事を話して帰る者も少なくなかった。いわゆる溜まり場と化した自分の部屋は、毎日誰かしら居るのである。そして誰かが居る安心感から訪れる者もいて、賑やかな夕方が日々続いていた。
今のようにスマホも携帯も、メールも無い時代である。
自室に電話があったが、それも同様に友人からのホットラインで良く掛かってきた。遊びにいく約束や「今誰がいますか?」なんて言うのも。
そしてみんなが帰り、一人になると今度は届いた手紙の整理が始まる。
毎日のように手紙が届くのである。
少し距離があって家に来ることが出来ない人達や、相談などを綴った内容など様々ではあるが、可能な限りその日のうちに返事を書いた。時が経てば読んだ時の感覚も感情も薄れてしまうからである。
ただ困った事が一つあった。恋愛相談である。
真剣な相談に向き合う上で経験値が重要だとすれば、当時は皆無に等しかったのである。しかし相談内容が深刻であればあるほど急を要す訳で、時間をかけてゆっくりと考えてともいかない。自分の中にある知識の点と線を繋ぎ合わせ、優しくもあり厳しくもある言葉を書き綴るのである。それは深夜に及ぶことも多く、そのまま集配局のある中央郵便局のポストへ投函して終わるのだ。(そうすれば最短当日に配達される)失恋で自殺をほのめかす内容とかの場合、一刻も早く伝えなければならないといった使命感のみで行動していた。
こんな事を繰り返していれば、自分の言葉に重みと責任を持たざるを得ない訳で、手探りでしかなかった理想の形を今度は自分が実証するときが来るのである。
でもそれは決して苦行ではなく、そういう正論が当てはまるのかという答え合わせでもあった。
理想的で夢のような像を描くだけでは乗り越えられなくとも、どこに向かうべきかは読み取れるのである。
それと同時にどこに岐路があっていつか終わるというのも見えてしまう。不確かなものとしてではなく、時の流れの先を手繰り寄せてしまうのである。それは言葉にしたりはしないが、受け入れるべき運命としてしまっておいて、その時が来たときの為の心の準備をする手助けになったと思っている。
考え込む事や思い悩む事に時間を取られて、予測できる最悪の結果を受け入れられないのであれば、瞬時に決断し行動することで変えるしかないのだ。それは自分にとって何の得にもならないことであれ、正しいと信じ疑い様のない理想を積み重ねた過去の経験があっての今に繋がるのである。