おはようございます。
明日から4月の本日は日曜日。
個人的には珍しく休日と仕事休みが重なって、ややのんびりしています。
ニュースを見ると、4月1日から変わりますというフレーズの内容が飛び込んできます。
駆け込みで買い溜めなどをお薦めとかしてる感じは特にありませんが、景気が良くなった感じはないのに物価が上がる傾向はここ数年変わりません。
アベノミクスって言わなくなったのも、目に見える成果がない政策の看板を掲げ続けるリスクに気が付いたからでしょうか。
まさにアベニリスク?
そんなダジャレじゃ誤魔化せない世間の風はどこ吹くやら。
新元号発表準備でお忙しいのが政治家なのでしょう。
2019年3月31日日曜日
2019年3月30日土曜日
ハンナ
今、「ハンナ」という海外ドラマにはまりつつあります。
Amazon primeのオリジナル作品のようですが、1話50分で時間的にも見やすく、
内容も良くできていると思います。
2話まで見終わっていますが、謎の部分がまだあるようで、「続きが見たい」と思わせてくれる構成になっています。
ネタバレに注意しながらですが、主人公「ハンナ」は16歳まで父親と2人で森の中で生活をしていました。その間母を殺害した父親の元上司の復讐のため訓練を受けています。
閉鎖された環境で父親しか知らず、言葉や知識を学んだとして、いざ現代社会の文明にこれほど適応できるのかというところが現実離れに思えますが、挙げ足を取らずに見ればかなり面白い作品です。
日本ではあり得ないというか、この設定を当てはめると、父親も法律違反で罰せられるのでしょうね。
海外だから大丈夫ってことにはならないのですが。
とにかく面白いということでありました。
Amazon primeのオリジナル作品のようですが、1話50分で時間的にも見やすく、
内容も良くできていると思います。
2話まで見終わっていますが、謎の部分がまだあるようで、「続きが見たい」と思わせてくれる構成になっています。
ネタバレに注意しながらですが、主人公「ハンナ」は16歳まで父親と2人で森の中で生活をしていました。その間母を殺害した父親の元上司の復讐のため訓練を受けています。
閉鎖された環境で父親しか知らず、言葉や知識を学んだとして、いざ現代社会の文明にこれほど適応できるのかというところが現実離れに思えますが、挙げ足を取らずに見ればかなり面白い作品です。
日本ではあり得ないというか、この設定を当てはめると、父親も法律違反で罰せられるのでしょうね。
海外だから大丈夫ってことにはならないのですが。
とにかく面白いということでありました。
去らば安らぎの場所
今朝ちょっとした事件が発生。
我が家のソファーにうさぎがおしっこしてしまいました。
ソファーが布製カバーだったこともあり、かなりのダメージを受けてしまいました。
すぐにネット検索で「ソファー ペット おしっこ」で検索しましたが、
結論としてはソファーの処分が的確であろう。。。となり、処分場に運んできました。
そこそこ年数も経っていたし、汚れも目立っていたので、良い機会かな。
ただし代替品となるソファーがあるわけでなく、しばらくはくつろげるスペースがありません。
背もたれのありがたさを感じる日々が続きそうです。
我が家のソファーにうさぎがおしっこしてしまいました。
ソファーが布製カバーだったこともあり、かなりのダメージを受けてしまいました。
すぐにネット検索で「ソファー ペット おしっこ」で検索しましたが、
結論としてはソファーの処分が的確であろう。。。となり、処分場に運んできました。
そこそこ年数も経っていたし、汚れも目立っていたので、良い機会かな。
ただし代替品となるソファーがあるわけでなく、しばらくはくつろげるスペースがありません。
背もたれのありがたさを感じる日々が続きそうです。
2019年3月29日金曜日
相談窓口
分からないことがあったらここへと連絡が来る。
まぁ、色々興味があることについて調べるし知識がある分には隠す必要もないからね。
今日はパソコン購入についての質問。
値段とかどういうのがお薦めとか。
全く興味がない人にとっては高い買い物でしかないからね。
お得な買い方とお薦めを伝授しました。
いついるの。
どういう用途で使うの。
予算はいくら。
他に何がいるの。
いくつか質問して即答しました。
自分で調べられる範囲の事ですが、
人は人に頼る事で失敗を回避したいのでしょうね。
まぁ、責任転嫁は受け付けませんが。
まぁ、色々興味があることについて調べるし知識がある分には隠す必要もないからね。
今日はパソコン購入についての質問。
値段とかどういうのがお薦めとか。
全く興味がない人にとっては高い買い物でしかないからね。
お得な買い方とお薦めを伝授しました。
いついるの。
どういう用途で使うの。
予算はいくら。
他に何がいるの。
いくつか質問して即答しました。
自分で調べられる範囲の事ですが、
人は人に頼る事で失敗を回避したいのでしょうね。
まぁ、責任転嫁は受け付けませんが。
曖昧すぎる記憶
生涯勉強と言うけれど、
覚えたはずの記憶が曖昧だととんでもない事になります。
苦手だった分野はほぼ記憶すらないので誰かに教えるなどありえませんが、
得意分野だったはずの教科が出来なくなっているとショックです。
ただし歴史(社会)などは新たな発見や解釈の変更、社会情勢等によっても変化があるようで、数十年も経つと内容が全然変わっているのも当たり前みたいです。
下手をすれば、本人として掲載されていた写真が別人だったまであり得るのですから。
学校時代の勉強に興味はなくても、
新しい事を始めるときは常に学びがあります。
ただし、現代は使いきれない機能を持ったハイスペックな製品や、人工知能が代理してくれる機能で、学びの一部が削られているのも事実です。
不便さからアイデアが生まれ、無知から学びを培い、そうやって成長してきた時代ですが、便利さから逃れられずにもて余すか、使いきれずに取り残されるかの時代になりそうです。
覚えたはずの記憶が曖昧だととんでもない事になります。
苦手だった分野はほぼ記憶すらないので誰かに教えるなどありえませんが、
得意分野だったはずの教科が出来なくなっているとショックです。
ただし歴史(社会)などは新たな発見や解釈の変更、社会情勢等によっても変化があるようで、数十年も経つと内容が全然変わっているのも当たり前みたいです。
下手をすれば、本人として掲載されていた写真が別人だったまであり得るのですから。
学校時代の勉強に興味はなくても、
新しい事を始めるときは常に学びがあります。
ただし、現代は使いきれない機能を持ったハイスペックな製品や、人工知能が代理してくれる機能で、学びの一部が削られているのも事実です。
不便さからアイデアが生まれ、無知から学びを培い、そうやって成長してきた時代ですが、便利さから逃れられずにもて余すか、使いきれずに取り残されるかの時代になりそうです。
春だから
真冬の時期には当然のように少なく、暖かくなって増えるものといえば、
「日本一周」の看板を掲げたサイクリング野郎である。
多くの荷物を荷台に括り付け、その後方に何故か段ボールに手書きのスタイル。
貧乏旅行を猛アピールといったところか。
良く見ると高価なロード車にサイクリング用のスタイル。
それだけでかなりの金額ではあるのだが、基本的な所にお金を掛けているだけなのでそこは理解しよう。
しかしながら、あの段ボールに手書きの日本一周は何故定着したのか。
中にはお手製感丸出しののぼり看板までなびかせている者までいる。
日本一周をする理由の多くは単純に言えば自己啓発であろう。
そして人との出会い、ふれあい。
肌で感じて何かを学びとりたいという高尚な考えなのであろう。
それには贅沢な旅は不必要なのである。
貧乏旅こそが人との出会いや交流を生むのである。
かつて全国行脚をしていた僧侶などのように、僅かな施しが旅を繋ぐのである。
しかし僧侶のような出で立ちでなければ、ただのサイクリング野郎にすぎない。
施しも交流も期待できないのである。
しかしながら秘策はある。
多くの荷物にあわせてマストアイテムとしての一品。
段ボール看板の効力が発揮されるのである。
このアイテムの凄さは計り知れない。
若者の無謀な挑戦を後押ししたい人達を駆り立てるのだ。
食事や飲み物を提供し、寝るところまで用意する人もいるほどである。
短期間のアルバイトを受け入れ、資金提供に協力する優しい人もいるようだ。
ここで思う。
段ボールにインパクトのある計画を書いて放浪すれば、人間そこそこ生きていけるんじゃないかって。
まぁ、それは飛躍しすぎですが···。
ちなみに日本一周する人を見ると、
「頑張ってるのかな」
と思いつつ通りすぎます。
私には段ボールよりネオンの看板の方が影響力ありそうです。
「日本一周」の看板を掲げたサイクリング野郎である。
多くの荷物を荷台に括り付け、その後方に何故か段ボールに手書きのスタイル。
貧乏旅行を猛アピールといったところか。
良く見ると高価なロード車にサイクリング用のスタイル。
それだけでかなりの金額ではあるのだが、基本的な所にお金を掛けているだけなのでそこは理解しよう。
しかしながら、あの段ボールに手書きの日本一周は何故定着したのか。
中にはお手製感丸出しののぼり看板までなびかせている者までいる。
日本一周をする理由の多くは単純に言えば自己啓発であろう。
そして人との出会い、ふれあい。
肌で感じて何かを学びとりたいという高尚な考えなのであろう。
それには贅沢な旅は不必要なのである。
貧乏旅こそが人との出会いや交流を生むのである。
かつて全国行脚をしていた僧侶などのように、僅かな施しが旅を繋ぐのである。
しかし僧侶のような出で立ちでなければ、ただのサイクリング野郎にすぎない。
施しも交流も期待できないのである。
しかしながら秘策はある。
多くの荷物にあわせてマストアイテムとしての一品。
段ボール看板の効力が発揮されるのである。
このアイテムの凄さは計り知れない。
若者の無謀な挑戦を後押ししたい人達を駆り立てるのだ。
食事や飲み物を提供し、寝るところまで用意する人もいるほどである。
短期間のアルバイトを受け入れ、資金提供に協力する優しい人もいるようだ。
ここで思う。
段ボールにインパクトのある計画を書いて放浪すれば、人間そこそこ生きていけるんじゃないかって。
まぁ、それは飛躍しすぎですが···。
ちなみに日本一周する人を見ると、
「頑張ってるのかな」
と思いつつ通りすぎます。
私には段ボールよりネオンの看板の方が影響力ありそうです。
神々の悪戯
この国の不思議なところ。
普通に生活している分には全くといって気が付きさえしないのだが、
神様仏様の数たるや、種類の多さも含め尋常じゃないと思う。
すみ分けが出来ていて混同されたりしないのが不思議だとさえ思う。
お正月等の節目には神社へ行き、受験前には学問の神を拝み、何か頼み事があればそれに強い神のもとへ行き、先祖が祀ってあるお墓のあるお寺へ行き、最後は観光で寺社めぐりなんてする始末。
誰が眠っているかも分からない所に大挙して訪れると言う行為に出るのである。
眠っている側からしたら騒がしいであろう。
なぜ今回はこんな話を書き始めたかと言うと、
「願い」を叶えるべく行動するときに、
人はどこにそれを託すのかと言う話がしたかったからであります。
つまりこの国では受け付け窓口の宝庫といわんばかりに、
「祈願」し放題なのであります。
確実にそこに行かないと御利益がないと言われると難しいのですが、
心という受け皿が大きい人は空を仰いで神に祈るのです。きっと。
普通に美味しいものを食べたときでも、
ちょっとした出来事であっても、
ちょくちょく神が出てきますね。
「神様に感謝」とか「神対応」とかお手軽感覚で使われています。
しかし極限であればあるほど神への風当たりは強くなり、
「神はいないのか」「神は我を見捨てたのか」
などと口走る。
どの神に文句いってるの?
とさえ思うのである。
信仰心の薄い人ほど幅広く神を崇めている風潮さえ感じます。
私はほぼ信仰心がないので神を崇める行為も慎んでいます。
冒涜する行為はもっての他いたしませんが、
なんでも神頼みにしてしまう現代の風潮には疲弊してしまいます。
誰かが病で苦しんでいるとき祈るとしましょう。
祈りを捧げるということは良いことです。
誰にその祈りを捧げるのでしょう。
先祖様、見仏様、神様、誰でも良いとかあるかも知れませんね。
でも願いが叶わなかったときに怒りの矛先にされるわけですから、大変だと思います。
自分は自分の内にある神(居るものとして)に祈ります。
結果すべてが自分に跳ね返ってくるのですから、責任転嫁はありません。
誰かのために祈るとしても、神を選択する必要がないのですぐに祈れます。
何よりプライスレスなのが良いですね。
普通に生活している分には全くといって気が付きさえしないのだが、
神様仏様の数たるや、種類の多さも含め尋常じゃないと思う。
すみ分けが出来ていて混同されたりしないのが不思議だとさえ思う。
お正月等の節目には神社へ行き、受験前には学問の神を拝み、何か頼み事があればそれに強い神のもとへ行き、先祖が祀ってあるお墓のあるお寺へ行き、最後は観光で寺社めぐりなんてする始末。
誰が眠っているかも分からない所に大挙して訪れると言う行為に出るのである。
眠っている側からしたら騒がしいであろう。
なぜ今回はこんな話を書き始めたかと言うと、
「願い」を叶えるべく行動するときに、
人はどこにそれを託すのかと言う話がしたかったからであります。
つまりこの国では受け付け窓口の宝庫といわんばかりに、
「祈願」し放題なのであります。
確実にそこに行かないと御利益がないと言われると難しいのですが、
心という受け皿が大きい人は空を仰いで神に祈るのです。きっと。
普通に美味しいものを食べたときでも、
ちょっとした出来事であっても、
ちょくちょく神が出てきますね。
「神様に感謝」とか「神対応」とかお手軽感覚で使われています。
しかし極限であればあるほど神への風当たりは強くなり、
「神はいないのか」「神は我を見捨てたのか」
などと口走る。
どの神に文句いってるの?
とさえ思うのである。
信仰心の薄い人ほど幅広く神を崇めている風潮さえ感じます。
私はほぼ信仰心がないので神を崇める行為も慎んでいます。
冒涜する行為はもっての他いたしませんが、
なんでも神頼みにしてしまう現代の風潮には疲弊してしまいます。
誰かが病で苦しんでいるとき祈るとしましょう。
祈りを捧げるということは良いことです。
誰にその祈りを捧げるのでしょう。
先祖様、見仏様、神様、誰でも良いとかあるかも知れませんね。
でも願いが叶わなかったときに怒りの矛先にされるわけですから、大変だと思います。
自分は自分の内にある神(居るものとして)に祈ります。
結果すべてが自分に跳ね返ってくるのですから、責任転嫁はありません。
誰かのために祈るとしても、神を選択する必要がないのですぐに祈れます。
何よりプライスレスなのが良いですね。
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